2016年09月18日

きのこ女子脱落

秋はきのこの季節。
いやあ、スーパーには1年中あります。山森や野山にも四季折々のきのこが発生します。野生のエノキタケは雪をかき分けて顔を出すそうです。

きのこ写真家・新井文彦の『きのこのき』には、実に美しい、かわいらしいきのこ写真が満載。
ようし、私もきのこ写真を撮ろう、と短慮発奮、デジカメ片手に墓場や公園に出かけました。

近所で木がたくさん生えている場所は、私有地でなければ公園くらいです。たくさんといってもたかが知れてるから、きのこの数や種類も期待できません。
いくつか見つけるには見つけたものの、いざカメラを構えると、気持ちがしぼんでしまうんですね。

だって、きのこがキタナイ。
落ち葉のかけらや泥やゴミにまみれ、虫に食われたり、傘が裂けたりえぐれたり。健やかなきのこ美を維持しているきのこって、ほとんどないんです。

汚れきのこ

きのこパン
道端の街路樹の根元の草むらにあった、メロンパンみたいな大きのこ。

虫食いきのこ
反対側に回ったら、穴の中に虫が落っこちて死んでた。まさか食虫きのこ?

大きのこ
これも巨大。直径20センチくらい。てっぺんに積もっているものはなんだろ。

穴あききのこ
クッキーみたい。毒キノコのテングタケかな。


余談ですが、撮影が難しいといえば、蝶。
飛ぶスピードは遅いけど、いっときもじっとしていない。ひらひらふわふわと飛び回るから、シャッターチャンスがつかみにくいのです。蝶にしてみれば捕食者から逃れる方策だろうけど。

運よく静止中のに出くわし、そーっと近づいたら、今度は角度の問題が。どうせ撮るなら、広げた翅が左右対称になる真後ろが一番。あるいは真横から端正に。斜めや歪んだ状態って、ぱっとしないでしょ。

キアゲハ
翅の広げ方が足りないような。

どうにか対称に撮れたと喜んでも、よく見たらそうでないことばかり。蝶自体が非対称なのです。翅のあちこちが破けたり欠けたりして。小さな蝶でも満身創痍で生きているんですね。

アゲハ蝶
お墓のそばで見かけたアゲハ。

蝶撮りの第一歩は、無傷の蝶を探すこと、なのです。きのこ同様。


『きのこのき』には、写真を見ばえよくするために、ピンセットや小さなブラシなどの「お化粧セット」を持ち歩くようにとのアドバイスがあります。これでゴミや土などを取り除くわけです。
私はそんなの無視して・・・まだ偵察程度の気持ちだったからね。

草むらにポツンと立つ、わりとかわいいきのこを発見。傘にへばりついた木の葉をつまんで持ち上げたら、傘が葉っぱにくっついて柄から外れ、台無しになってしまいました。

きのこって、もろいものなんです。
サルノコシカケなど、蹴っても壊れない硬いものもありますが。

桜きのこ
公園の桜の木にくっついていました。

なお、森の中に入るときは白っぽい服装を、というアドバイスも載っています。スズメバチや蚊は黒を好むのです。
私はそんなの無視して、全身黒ずくめ。あちこち蚊にたかられてしまいました。あとで数えたら、右手11か所、左手2か所、背中首筋ふくらはぎなど、被害点は数知れず。愚かな。

まあそういうわけで、わずか2回の遠征ならぬ近征で、きのこ撮影は挫折に至ったのでありました。

考えたら、挫折のもっと大きな理由は、私が九州人だから・・・だったりして。

きのこ探しに行くにあたり、『九州で見られるきのこ なば』という図鑑も用意したのですが、現実のきのこと照らし合わせても、さっぱり同定できません。同じきのこでも、色や形の変化が大きいし、別のきのこでもよく似たものがいろいろあるのです。
せっかく見つけたきのこの名前がわからないってのも、なんだかつまんないですよね。

白きのこ
柄がささくれているのが特徴か。

きのこ家族
幼いうちは丸っこいものが多く、だんだん開いてそり返ってきます。きのこの成長と消滅はものすごく早いらしい。

『きのこのき』という本で、一番気に食わないのは、ベニテングタケの写真が多すぎるってこと。
九州にいる限り、ベニテングタケとは出会えないんだあ。

そりゃあ九州には、北国にはない、珍しい、美しい、かわいい、面白いきのこがたくさんあるでしょう。
でも『九州で見られるきのこ なば』では、『九州では見られないきのこ』というおまけページまで設けて、ベニテングタケを紹介しています。それほどベニテングタケは魅力的なきのこなんです。

自分のきのこ写真コレクションにベニテングタケを加えることができないなんて。という俗物根性が、きのこ女子への道を妨げたのでした。

せめてぬいぐるみでも・・・。
きのこぬいぐるみ
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投稿者:ルノ 15:11 | トラバ(0) | るれろライフ
2016年08月30日

和菓子の難

一般の日本人が「和菓子」というものに抱くイメージは、上品、繊細、ヘルシー、といったところでしょうか。

私も例外ではなかったのですが、『やさしく作れる本格和菓子』(清真知子/世界文化社)という本で、認識が一変しました。
本格和菓子というのは、茶席で供されるような、伝統的な和菓子です。確かに上品で繊細なできばえ。かわいらしいのもあります。

しかしながら、作る過程を見てしまうと、「なんだかなあ」って感じなんですよ。

まずは材料。高価な道明寺粉や上用粉、本葛粉、入手しにくい本わらび粉などを多用していますが、それらを装飾するのに不可欠なのが、食紅などの食用色素です。別に色素が毒と言いたいわけではないけど、色素そのものは見るからにどぎつく、毒々しい。

どぎつさへの不快感は、京都の末富という老舗菓子店の菓子を紹介した本『菓子ごよみ』(山口富蔵/淡交社)をめくって、頂点に達しました。うわー、こんなケバい菓子が高級なのか。

和菓子もさまざま。ようかん、大福や黒糖まんじゅうなど、素材の色を生かした、素朴で庶民的な和菓子のほうが、私たちはなじんでいます。

和菓子は高級になればなるほど、色素に頼らざるを得ないのです。
それは、坂木司いうところの「物語性」のためかもしれません。
伝統和菓子には、そのひとつひとつに由来があり、表現すべき対象があるのです。表現力を高める手っ取り早い手段が着色。舌よりも目で味わうわけ。

和菓子がヘルシーとされるゆえんは、バターやマーガリンなどの油脂類をほとんど使わないことでしょう。1g当たり9kcalの熱量を持つ脂肪に対して、糖質は4kcalと半分以下です。

油っぽくないということは、和菓子は砂糖のかたまりのようなものです。カロリー低くても、糖質が気になる人には向きません。
砂糖は甘みを付与するだけでなく、水分を含んで菓子をしっとりさせる働きも持ちます。甘さ控えめにすべく砂糖を減らすと、ぱさぱさの舌触りになってしまうのです。

そして、作り方。
高級和菓子は細工が凝っているから、手でこねくり回して仕上げるのが普通です。衛生管理をしっかりしておく必要があります。

茶巾絞りは濡れ布巾でくるんで形を整えますが、この布巾の扱いって難しいのではありませんか。洗剤で洗えばどんなにすすいでも洗剤分が残り、水洗いだけでは雑菌が増えそう・・・一般家庭では避けるのが賢明でしょう。
また、和菓子を作る道具には木製のものがけっこう多い。ヘタすれば雑菌の巣ですわ。

人気の洋菓子作家・なかしましほの『まいにち食べたいごはんのようなクッキーとビスケットの本』では、粉とオイルを素手でこね、指についた粉はこすり落として混ぜてしまうという豪快さ。使ったボウルも水洗いで済ませるそうです。
これまた「なんだかなあ」ですが、実際やってみると、指にもボウルにもほとんど材料が残らず、無駄がない。
それに焼き菓子なら、最後に高温で焼き上げるから、とりあえず心配無用なのですよ。

上述の本格和菓子の本で気になったのは、作っている人(たぶん著者)の手荒れがひどいこと。作る前にはしっかり手洗いをするでしょうし、ハンドクリームなんか塗るわけにはいきません。

人の皮膚を覆う無数の常在菌は、食中毒を起こす黄色ブドウ球菌などの繁殖を抑える役目を果たします。洗い過ぎて手が荒れると、善玉菌が減り、悪玉菌が増えるのです。しかも荒れた皮膚はなめらかでなく、はがれやすいうろこや瓦が張りついているような状態で、洗ったあともその瓦の下に菌が潜んだまま。

それらの菌が手の皮のかけらとともにお菓子に混ざってしまうようすがありありと浮かんでしまう私って、神経質すぎ?

おはぎ
手作りおはぎとぼたもち。

いろいろと和菓子に難癖つけてしまいましたが、現実には、和菓子で食中毒なんてニュースはあまり聞きません。

食中毒の本などでしばしば取り上げられる「大福餅事件」は戦前の話です。餡がネズミのフンで汚染されたのが原因らしい。現在とは衛生観念が違うでしょうが、都会ではネズミが増えているそうだし、同じような色だから混入しても区別つかんし・・・。

私たちは毎日毎日、大量の生きた菌や死んだ菌を食べています。それでどうってことないようにできているんです。
気にしすぎると、おいしいお菓子もまずくなりますぞ。

気になって和菓子はもう食べたくない。というかたには、頭で味わう和菓子を・・・。

和菓子をモティーフにした上質なミステリ『和菓子のアン』(坂木司/光文社)はいかがでしょう。

デパ地下の和菓子店で働き始めたアンちゃんという女の子のまわりで起きる、ちょっぴり謎めいたできごとを扱っています。
キャラクター設定も面白い(かなりヘンだ)し、和菓子の知識が豊富に得られ、デパ地下事情などにも詳しくなる「お仕事エンターテインメント」の要素も。人が死なず、血も流れないので、ミステリ苦手な人にもおすすめ。

バラバラ死体や大量殺人大好きな私には、ちょっと趣味に合わないんですけど。と、またまた難癖。
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投稿者:ルノ 13:06 | トラバ(0) | 世相=世間相場?
2016年08月29日

迷い蝉

1匹のセミが地上に出てきたら、世界は戦争で滅んでいて、生き残っていたのは人間の少女がひとりだけ・・・という超短編マンガがありました。確か松本零士の若いころの作品。

世の移り変わりはめまぐるしく、6年後には何がどう変わっているか、予測もつきません。
かたや6年どころか10年も前から、なんの進歩もないブログを持つ人も、ここに約1名。

セミの幼虫って、数年間、種類によっては十数年の間、暗い地中で何を考えて過ごすんでしょうね。退屈じゃないんだろうか。

セミがあんなにも気ぜわしく鳴くのは、早く連れ合いを見つけて子孫を残さなきゃと焦っているからのようにも思えます。もう少しオトナの時期が長ければ、多少はのんびり過ごせるのに・・・。

住居の向かい側に小さな公園がありまして、毎日毎日、ジーコジーコ、ジャジジャジと鳴きまくっています。道路を隔ててもかなりの騒音だから、本人たちにはもっと大音量。難聴の心配はないんだろうか。

とまあ、退屈だの、気ぜわしいだの、難聴だのって、単純に人間からの見方なんですよね。
セミとしては、進化の果てに、幼年期と成熟期のバランスや鳴き声の大きさなど、これがベストという状態に落ち着いたのでありましょう。

昔、セミのそばで大砲ぶっ放したら逃げなかったので、セミは音が聞こえないんだと言った人がいましたな。

調べたら、ファーブル大先生でした。
ファーブルって人は、自分で芋虫の匂いを嗅いでみて、全然匂わないから、この芋虫を狩る蜂は嗅覚を頼りに探し当てるのではないと結論づけるようなところがあって、虫と人間の感覚を同一視していたような。

セミがやかましいのは事実だけど、やっぱり私も日本人、さほど気になりません。夏だからそんなもんさ。

ある朝、やけに大きな鳴き声が聞こえてきました。普段は気にしない私でも耳をふさぎたくなるほど。
そばの電柱に飛んできたんだろうか。ベランダに出てみると、足元からジジジジッ。床に大きなセミがへばりついていました。

ベランダのセミ

羽が透明でボディが黒光りしてるから、クマゼミかなあ。

セミは前後に這ったり、横歩きしたり、時々ぴょんと飛び上がったりして、その合間におなかを激しく震わせて、ジャジャジャーと鳴くのです。1回の鳴き時間は10秒足らず。
鳴き声は大きくて、一見元気よさそう。ただし、近づいても逃げないから、弱っているのかもしれません。

鳴き声はだんだん間隔があいてきて、午後にはほとんど聞こえなくなりました。
死んだんだろうかと、のぞいたら、まだうろうろしています。セミらしく鳴くのはやめたようだけど、時折りブジィー、ブジーと短く音を発します。あんまり無事とは思えないし、できればどうにかして飛んでいってほしいんだけどねぇ。

その後は排水口のふたにとまってじっとしています。
排水口のセミ

そうこうしているうちに激しい夕立が来て、ベランダは洪水のようになりました(セミにとっては)。
うちのベランダには屋根がないから、もろ雨に打たれてしまうのに、移動しないのです。

翌朝、まだ同じ場所でもぞもぞと動いていました。しかし音を立てることは全くなく・・・。

昼過ぎにはお亡くなりになっていました。
仰向けセミ

それから3週間。
公園はめっきり静かになりました。ときたまツクツクホウシが鳴く程度です。

排水口のセミは原形をとどめたまま、まだそこにいます。
公園に落ちた死骸や抜け殻は、微生物や小さな虫たちがさっさと片づけてくれるだろうに。
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投稿者:ルノ 08:42 | コメント(2) | トラバ(0) | 虫のいい話