2010年04月30日

やっぱり無能な検索エンジン

以前「ネットで検索する際に、用例を見ただけで検索をやめてしまったり、検索しても該当ページに行かないことがある」と述べました。

検索結果の上位に表示されるページを見れば、その検索語について正確で詳しい情報が得られると、誰しも期待するものですよね。

その期待はしばしば裏切られます。
真剣に探す人は40、50番目、ときには100以上、しらみつぶしに見ていくかもしれませんが、はたしてどの程度満足できるでしょうか。

それはそうと、年が行きますと、体の不調は、あちこちいっぺんに来るものなんですねえ。
私もこのところ非常に具合が悪くて、もう死にそうなんですぅ。
とはオーバーな。もともとヒポコンデリー傾向で、必要以上に気にするタイプなのです。

しかしま、世の中には「病気のデパート」みたいな人、たくさんいますよね。昨今のデパートは品揃えが貧弱だから、誇張表現ではなくなりました。
無病息災ならぬ一病息災でもなく多病息災の時代なのです。いろいろと具合悪くて、すべったのころんだのとぼやくけど、結局医者にかかることは少なく、普通に暮らしていたりして。
病院へ行くにしても、ネットで調べてから・・・とかなっちゃいます。調べたらなんとなく安心して、あとはうやむや。

私も「お尻が痛い」を初めとして、いろんな病気や症状を検索しました。
もし私のパソコンから検索履歴が流出したら、心身の状況がもろ見えで、嘲笑の的となりかねん。念のため消去しておこう。
そんな恥ずかしい症状ばっかり抱え込んでいるのか? うーーん、やっぱり、ちょっと・・・。

それにしても健康情報に関するページは多いですねえ。広大な需要があるのです。
当ブログでも、アクセスが多い記事は美容と健康カテゴリに偏っています。

むろん皆さん、ご存知なのです、「健康関連は需要が大きい」=「儲かる」と。
健康と病気に関するページが氾濫するのは、たぶんそうした理由からです。

しかしですよ、医師でも学者でもない普通の人々に、病気や健康に関する正確な知識がどれほどあるのでしょうか。
問題はそこです。

私のように自分自身の体験談を書いていれば、客観的な知識はさほど必要とされません。
が、病気のデパートさんであっても、体験談のみではネタが尽きます。一ブログを構築するには足りないのです。

ひとつの病名を検索してみると、全く同じフレーズ(説明文)を含むページがたくさん出てきます。
最近のウェブページはブログが相当量を占めるようになりました。ブログはその構成上、内容のダブりがはなはだしいからやむを得ない面もあります。
しかし、全くかかわりがないように見える複数ページが同じ文面を載せているみたいなのです。中にはミラーサイトもありましょうが、多くはどうやらパクリに過ぎないようです。

いちおう権威ある(ありそうな)ページから「○○病の症状はこれこれ、原因はこれこれ」うんぬんをコピペして、まわりに広告いっぱい配置して1記事出来上がりというしだいです。コピペもあんまりたくさん取ってくるとヤバいと思うのか、数行におさめています。

こんなページに行き当たったら、腹立ちますよね。怒りのあまり心臓発作や脳卒中を起こすかもしれないから、極力個別ページには行かないようにしています。

実は私もパクられたことがありまして、相手は単なる引用だとのスタンスなのか、トラックバックまで寄越してきたのですよ。盗人猛々しいとはこのことです。思い出しても血圧が上がる〜。いーの、普段は低血圧気味だから。

「内容が充実していないページの広告はクリックされやすい」が私の持論です(我がページのクリック率が低いこともそれを裏付けているんですー、わはは -_-;)。彼ら盗作者のページにある広告は、きっとばんばんクリックされていることでしょう。
そういうページを上位表示させる検索エンジンも共犯者じゃないですか。当然ですね。広告配信元も兼ねているんだから。
投稿者:ルノ 22:05 | ちょっとSEO
2010年04月15日

躍るブーマー

ひところ流行した「スプーン曲げ」、あれはいったいなんだったんでしょうね。
始めは「超能力」だなんて言われていたみたいだけど、なんで「スプーン」なのかって疑問に思いませんでしたか。せっかく超能力らしくするなら、もっとありがたみを感じさせるものを選びなさいって。

全国で相当多数の人が曲げちゃって、つまりは誰でもできることらしいけど、私はそんなもったいないこと試す気にもなれませんでした。小さなスプーンをうっかりゴミといっしょに捨ててしまって悔やむほどのしまり屋ですもん。

だいぶ経って、ぶあつい電話帳を素手で裂くなんて話も聞きました(流行らなかったけど・・・スプーンと違って、一家に2冊くらいしかないから?)。これもコツさえつかめば非力な人でも簡単にできるとか。紙は縦に裂けやすいものですし。
今では電話帳も薄っぺらになって、裂いてもインパクトなし。そもそも電話帳自体、あまり見かけません。

もっと昔に流行ったらしいヘンなものに、「綿吹き病」があります。
怪我をした人の傷口から綿(脱脂綿)のようなものが次々と湧き出るという奇病。流行ったといっても、別に伝染病ではなく、全国で特に接触もない老若男女の間に散発的(?)に発生していたようです。

あまりに不思議な現象なので、高名な学者が調査を始めまして、その吹き出る綿らしきものを分析したら本物の植物性綿であったことや、患者の傷口を封印して本人に触らせないようにしたところ、綿の出が止まった・・・などの事実から、「詐病」であると結論づけています。

つまるところ、周囲を騒がせたい、注目を浴びたい、みたいな単純心理から、自分で綿をくっつけていただけの話。
なんの得になるのかわからないところが奇妙で、スプーン曲げから連鎖的に思い出してしまいました。

傷口の殺菌消毒を神経質に行う習慣もなかった時代です。包帯をはがしたら傷口に脱脂綿の切れ端がくっついているのを見て、これが増殖したら面白いな、なんて、コドモならなんとなく考えそうなことかも。

綿吹き病の話は、若いころ買って読んだわりと高価な法医学書に載っていました。索条痕の付き方や死後硬直の経過などと同列に、綿吹き病を大真面目に研究するなんて、のんきな時代、というか、ずいぶんヒマな学者もいたもんです。

現代はテレビやインターネットなどの情報網が発達して、何か面白そうなことがあると、ぱっと広まってあっという間に消えてしまいます。
綿吹き病のころはラジオくらいしかなくて、何事もスローに運んでいたので、じわじわと浸透して長く話題になる、一種の娯楽みたいなものだったのでしょうか。

連鎖がちょっと飛びますが、フィリピンなどで行われていた、メスを使わない心霊手術とかいうの、行って手術を受けた日本人もけっこういると聞きました。
これは全くの詐欺だから、まじめに取り上げたテレビ番組は罪深いと思うけど、「病は気から」で、ちゃんと治る人もいたのです。新興宗教と同じです(頼りすぎて本来の治療がおろそかになり、手遅れの人が出る点も)。

へんてこな流行りものに毒されないためには、情報を厳選する姿勢と能力が必要です。
しかし、自分の考えと意志をしっかり持っているつもりの人でも、実はそうではないということを、『脳は意外とおバカである』を読んで、つくづく感じたのでありました。
いやあ、私の脳は「意外と」どころではなく、「やっぱり」のようだけど。
投稿者:ルノ 22:28 | レトロ
2010年03月30日

立つ鳥後を絶たず

冬鳥の北帰行の季節となりました。
近所の川では、1年中鴨の姿を見かけます。たわむれにお菓子やパンを与える人が多く、居心地がいいから帰らないのです。かくいう私もラーメンまいたことがあります。
北へ行くのは夏の暑さを避けるためなのに、酷暑の夏をよく耐えるものですね。

「立つ鳥跡を濁さず」という成句は、引っ越しや転勤の際に身辺をきれいにしておけよとの忠告を込めてしばしば使われるのですが、別に渡り鳥が出発する前に巣の掃除をしておくということではなく、水鳥が水から飛び立ったときに、水面がきれいという程度のことらしい。鳥の心がけではなく、水の自浄作用に過ぎません。

昔、雀のヒナを育てたことがあります。目も開かない、毛も生えていないヒナは、餌を食べるとウンチをします。そのとき、もぞもぞと体の向きを変え、おしりを巣の外に出して行うのです。親が教えたわけではなく、本能的にそうするみたいです。だから巣の中はいつもきれい。
そのウンチはぷよんとして弾力があり、割り箸でつまんでもつぶれません。鳥によっては親がくわえて遠くに運んで捨てる習性がありますが、そうしやすいようにできているのです。

歩けるようになると、巣の中でもどこでも、ところかまわずウンチしまくります。そこが巣だったという記憶がないんでしょうね。質も変化して水っぽくなるから、掃除がたいへん。鳥が飛び立ったあとはちっともきれいじゃありません。

・・・またも無意味な前置きを。

本日は、跡を絶たない「後を絶たない」という表現にイチャモンをつけます。

「後」と「跡」はどう違うのか。何かをした後に残るのが跡だから、まあ大いに関連はありますが、通常はさほど意識せずとも区別がつくものでしょう。

「跡を追う」を「後を追う」と書くことも多いようですね。
死んだ人や見えなくなったものを追うのなら「跡を追う」って感じだけど、背中が見えている人を追っかけるなら「後を追う」が合っていそう・・・てのは屁理屈?
それはおいといて。

私が持っている辞書には「後を絶たない」という言い回しは載っていません。
「跡を絶つ」ならばあります。「痕跡をなくす」から転じて「物事が起こらなくなる」といった意味。「あとを絶たない」がその否定形であるならば、「後を絶たない」ではなく「跡を絶たない」が正解です。

しかるに世間では、マスコミも含めて「後を絶たない」が横行しています。

別に私は「後を絶たない」が間違いであると断じたいわけではないのです。
これが実際「跡を絶つ」の否定形として使われているのかというと、微妙に差異が感じられるんですね。

ひとつは、通常は否定形しか用いられないこと。「児童虐待は後を絶たない」とは言うけど、「児童虐待が後を絶つ日がはたして訪れるのか」なんて言い回しには、まずお目にかからないでしょ。強引に肯定形とするならば、おそらく「跡」が使われるのではないでしょうか。

もうひとつは、通常「好ましくないこと」に対してのみ用いること。「好ましくない」というのは、むろん使う人の感情ではありますが、常識的に多くの人が同感するだろうといった含みがあります。

おおもとの「跡を絶つ」には、そういった感情判断が入り込みません。

始まりは「跡を絶つ」の否定形の誤記だったと思われます。
消滅すべき嫌な事柄が、なくなるどころか「後から後から」続発するのだから、「後を絶たない」のほうが受け入れやすいではありませんか。この件の「後」に来るものを絶えさせてしまえば、「跡を絶つ」ことになってメデタシメデタシですからね。

跡を絶ってほしいものに対して、「○○はあとを絶たないなあ」と嘆いているうちに、否定形のみはびこるようになってしまい、「後を絶たない」は「跡を絶つ」から独立した、いわば「新語」として定着してしまったということでしょう。おそらくはここ十数年かそこらの変化です。

昨今は「後を絶たない」という言い回しを見たり聞いたりしない日はないといっていいほどです。「後を絶たない」があまりに使われすぎる、ひどい世相が「後を絶たない」をますます大きく育てているのです。
投稿者:ルノ 22:40 | イチャモン日本語
2010年03月07日

謎の漢字

先日の新聞に、常用漢字改定案に対する識者の意見とやらが載っていました。

その中で、『多くの人が「おわび」を「お詑び」と書いてしまうが、正解は「お詫び」』という記述がありまして、「えーっ、そうなの?」とびっくり。
「詑」なんて字を書ける、というか、知っている人が、そんなに大勢いるのでしょうか。そもそも「詑」ってどーゆー意味?

講談社の『日本語大辞典』によりますと、「詑」は「タ」または「イ」と読み、意味は「あざむく、いつわる、だます」など。これを「お詫び」の代わりに使われたら、相手は怒りますよねえ(幸い相手も意味を知らない)。

ちなみに、手持ちの古い漢和辞典では特に説明はなく、「訑」と同じだそうです。「訑」も「あざむく、だます」というような意味です。

『日本語大辞典』で「訑」を探したら、見出しとしては載っておらず、「詫」の異体字とあります。へ? そりゃ「お詫び」ではありませぬか。

あらためて「詫」を見たら、その意味は「1:ほこる、おごる 2:あざむく、だます 3:かこつ、こぼす(愚痴を言う)」とあって、4番目にやっと「わびる、謝る」が出てくるのでした。

政治家や企業トップが「心からお詫び申し上げます」と頭を下げるシーンは、あまりに日常的で、すでに見飽きています。どの人も「心から」謝っている印象が全くなく、ただただ空疎で形式的なポーズに見えます。ケータイにストラップをつけるように、「お詫び」には「心から」を冠することが習慣化しているのです。

それもこれも、「詫」の本来の意味が「驕る、欺く、騙す」であると知れば、納得がいきますね。

おーっと。
何かと前置きが長いのが当ブログの性分(サービス精神旺盛?)。
本日の主役は「謎」でした。

その記事をよく読むと、常用漢字改定案には『「謎」の一点しんにゅうを許容する』という項目があるのです。これに私は、がびーんとショックを受けたのでした。

「謎」が二点しんにゅうだなんて、今まで知らなかった。
いや、そういうこと、考えてもみなかった。「謎」を手書きする機会などほとんどありませんが、さあ書けと言われたら、迷わず一点しんにゅうで書いたことでしょう。

ミステリ小説をよく読む私は、ことあるごとに「謎」という字を目にしています。なのに、じっくり見たことがなかったのです。

たまたま読みかけの本のサブタイトルが『謎』。表紙にでかでかとその字が記されています。確かに二点だあ。
推理作家になりたくて

一点しんにゅうが間違いというわけではありません。
現に私のパソコンでは、一点しか出ません。

アップにしますと

Vista以降は二点に見えるという話も聞きましたが。

改定案が「一点を許容」と言ってるのは、パソコンで普及している既成事実への追随なのだとか。
現行の一点を同じコードで二点に変え、さらに一点も許容というややこしいことになるらしいです。

「謎」はポピュラーな漢字です。学校で習わない子どもでも、たいていが読めることでしょう。
字の形も、言+迷うで非常にわかりやすい。意味を知らない子も少ないはずです。なぞなぞのなぞですからね。

「なぞ」が訓読みだとはわかるけど、ならば音読みはなんだろ。
「迷」がついてるから「メイ」だとは想像がつきます。実際、その通りです。「ベイ」とも読みます。
では「メイ」または「ベイ」が含まれる熟語って、何か思い当たりますか? 辞書では見つかりません。
謎解き、謎めく、謎かけなど、日本では「なぞ」としか読まれる機会がないようです。

熟語を持たない漢字はけっこうありますが、これほどよく使われる字においては珍しいのではないかと思います。
「謎」は謎に包まれた孤高の漢字なのですね。
投稿者:ルノ 20:55 | コメント(0) | トラバ(0) | 辞書と戯れる
2010年02月16日

ひがみ根性

一姫二太郎の起源がいつごろか知りませんが、子沢山だった明治時代よりは新しいのではないでしょうか。あるいは、何人産むにしても、一番目は娘、次に息子が良いということかもしれません。
最初に生まれたのが男の子(跡継ぎ)でないことにがっかりしている人を慰めるために言われ始めたとも聞きます。
実務上も女の子は育てやすいから、まずは育児の練習台。育て慣れて稼ぎも増えたころ、本番に着手という算段であります。

二夫にまみえずが貞女の条件で、寡婦の再婚にはいろいろと障害がありました。
昔の中国では、夫が死んだら妻や次号を殉死させるケースも。「結草」という成句の背景にはそのような事実があります。
貞婦、節婦、烈女も貞女と同様の意味です。両夫を並べずとか、二夫を更(か)えずなどの言い方もあります。

三界に家なしの宿命を持つのが女性という存在。貞婦でなくとも生きづらいことに変わりはありません。

四徳は、婦人が修養実行すべき4つの道。言・徳・容・功。
功(わざ)は料理や裁縫でしょうか。
容はお化粧。女性の見た目は非常に重要です。玉の輿に乗れれば、一族が繁栄します。その期待から、女の子=門楣なのです。

五不取(ごふしゅ)とは、妻を娶ってはならない5つの条件です。
謀反人を出した家、家庭の乱れている家、代々罪人のある家、悪質の遺伝病、父を失った長女。

六親はいっさいの血族のこと。
管子では、父・母・兄・弟・妻・子。姉妹は含まれないんですね。嫁に行っちゃうからでしょうか。
老子だと、父・子・兄・弟・夫・婦。えっ、母もつまはじき?

七去は、妻を離縁する7つの条件。儒教の教えです。
男子を産まない、浮気する、姑に逆らう、おしゃべり、盗癖、やきもち焼き、不治の病気。ひとつでも該当すれば追ん出されるそうな。

八八(はちはち)は、かけて六十四。瓜という字を分けるとふたつの八になる(そうは見えないけどね)ことから「破瓜」ともいいます。
同じ破瓜でも、男子は64歳、女子は8+8で16歳のことです。男でない64歳はババアであって女ではないんですね。

九族とは9つの親族です。自分を真ん中に直系9段階を指すこともあれば、父の族4、母の族3、妻の族2を合わせたものという説も。父母の差1は誰でしょう。
投稿者:ルノ 10:21 | コメント(0) | トラバ(0) | 辞書と戯れる
2010年02月15日

スカートをはいたアダム

微妙に(いや明白に)下半身ネタの割合が高い当ブログでありまして、こうなってしまった以上、開き直るしかない。

シモネタなら、米原万里。
ここで取り上げるのは『ガセネッタ&シモネッタ』にあらず、『パンツの面目ふんどしの沽券』です。

一読して、これはすごい、今年最大の収穫だーと胸躍ったのでした。
2月からそんな断言していいのか? 実は読んだのは昨年末のこと。ブログで紹介しようと思いながら余裕がなく、今回再度借りてきて読みました。

内容は、下半身を覆う衣類(下着や肌着、ズボンにスカート)に関する歴史的文化的考察、といったところでしょうか。
著者はロシア語の通訳なので、こういうタイトルにもかかわらず、下着関連書だとは想像もせず、各国の文化的語学的差異に触れた内容だろうと、実際に読むまでは思い込んでいました。

文庫版の惹句には『抱腹絶倒&禁断のエッセイ』とあり、確かに、お食事前に読むのはおすすめしかねる部分もあります。
もっとも、心卑しい輩が下ネタのみを期待して読めば、その高邁さに肩すかしを食うでしょう。

「下着」は著者本人もライフワークとしたかったほどの奥深いテーマだそうです。本書は古今東西の膨大な文献をもとに、自らの幼児体験も踏まえながら、世界の下着の起源を解き明かそうと企図された、アカデミックな労作です。

世の中、下着のお世話になっていない人などほとんどいないし、下着に全く興味を持たない人はごくわずかでしょう。
しかし下着に関する本を積極的に読みたい人は、そう多くはないと思います。
私がこの本に強い思い入れを持ったのは、下着に深く関わったウェブライフを選択したという個人的事情も大きいのでして、その分過大評価しているかもしれません。

何しろ最初の章で現れるのが、ソビエトの小学校で教えていたパンツ(パンティ)の作り方図説。40年前、彼の国ではパンツなど市販されておらず、手作りしかすべがなかったのです。
そして『今現在の日本のパンツ着用人口の100パーセントが、既製品に甘んじていると思われる』と述べています。すると私は100パーセントの外か。

イエス・キリストが腰に着けている布はパンツなのかふんどしなのかという話もあり、私もイエス人形を作ったとき悩んだあげく、ふんどし形式にしたいきさつを思い出しました。
ターザンでも同様。腰布は英語でloinclothといいますが、イメージ検索しても形状はわかりにくいものでした。

バレエダンサードールを作ろうとしたきっかけは、王子様然とした白タイツへのロマンを抜きにしては語れません(むうんさんに画像面でご協力をいただいたのに、挫折しました)。

そのほか、日本人女性がトイレで水を余分に流すことへの疑問や、英語の単数・複数の謎など、共感項目がいろいろ。
ひとつにしか見えないpantiesが複数形なのはなぜだと、かつて英語版のウェブページに書いたところ、たくさんのご意見をいただいた経験もありました。

現代ではスカートをはく男性は異端視されていますが、スカートが女性の衣料とされたのは、『大多数の国々においては、ごく最近のこと』であるとの記述もあります。それまでは男女ともスカート様の巻き布が主流でした。スカートこそは服の基本なのです。
そしてまた、高々数十年前のソ連やヨーロッパでは、厳寒の時期でさえ女の子がズボンを穿くことを異常なまでに罪悪視する風潮があったとか。
「常識」なんてものは、ほんとうに移ろいやすく当てにならないものなんです。

第14章『イチジクの葉っぱはなぜ落ちなかったのか』と同じことを、私もスカートに始まるで言及しています。誰しも不思議に思うことですね。
その後何枚かつないでスカート状にしたのだろうと、私は単なる思いつきで書いたのですが、さすがプロの物書きは執筆姿勢が違います。聖書や関連書物などをあれこれ調べ、イチジクの葉は複数形となっており、スカートかエプロンふうであったと絞り込み、最終的にエプロンだったと結論づけています。
ただし、そこを読んだあとも、私としてはスカートが正しいと思いたいのです。エプロンだと、くるっと回って丸見えになっちゃったりしません?
投稿者:ルノ 15:25 | コメント(0) | トラバ(0) | 下着・ファッション
2010年02月12日

酢割る通し利害タイ

先般からなんとなく座り心地の悪い状態が続いておりまして、ありていに言いますと、座ったときお尻が痛いのです。

前立腺癌など厄介な病気の前触れかと危ぶみ、検索してみることに。

「座ると」と入力したら、検索候補の一番目に「座るとおしりが痛い」が出てきました。
世の中には座るとお尻が痛くなる人が大勢いるんだと、検索前から安心してしまったのでした。

実は私、こうやって検索窓で候補の顔ぶれを見ただけで満足して、実際の検索にまで至らないことがままあります。
主にうろ覚えのものごとについて、正式名称や漢字表記を確認すれば済むような事柄(固有名詞など、辞書に載ってないものが大部分)などで。ごくたまに、大勢の人が間違って覚えているような語句では誤記のほうが上に現れたりして、そのあたりは経験と勘に頼るのですが。

今回はそこで中止したわけではなく、ちゃんと検索いたしました。

無事検索まで発展しても、そこから個々のページへ飛ぶ確率は、一般的検索者に比べてかなり低いはずです。

あちこちのサマリーをつなぎ合わせたら、たいてい必要な情報が得られるものです。もともと過剰な期待を抱いてるわけではないし、貪欲なサイトを不用意に訪ね、個人情報を落としたり、クッキー仕入れたりなんて避けたいではありませんか。
相も変わらず心配性

とかなんとかぼやきつつも、結果的にいろんなサイトへ出向いているのが事実です。
とはいえ、それにもワンクッション。検索結果ページのURLをコピペして、隣のタブで開くのです。ちょっと面倒だけど。私が使っているブラウザでは2タッチでコピーできるので便利です(乗り換えると言いながら、いまだ捨てない理由)。

クリック惜しみというか、クリックに慎重な性格なんですよね。
検索結果のリンクをじかにクリックすると、どういう語句で検索されたかが当該ページの管理人にわかってしまうかもしれません。
そんなことを恐れていてはネットを歩けないじゃないですか。そもそも自分がお尻痛いで検索した事実をここで明らかにしていながら。頭隠して尻隠さずってこのことですなあ。

尻痛に関して数ページ見ましたが、結局のところ、自分の症状がどれに該当するのかは判断できませんでした。「骨盤のゆがみ」あたりが妥当かなー。

よくある、固い椅子だと痛くなるけど、柔らかいソファなら平気というケースに比べると、私は逆です。そこがちょっと不思議。
固い椅子に座ると臀部の底しか座面に密着しませんが、ソファは体が沈み込むので、背中から太腿まで、広範囲に体重がかかります(その分重みが分散されるのも事実ですが)。ソファに接触する「背中に近い部分」に問題があるのかも。
ソファではくつろぐだけで、何も建設的なことをしないので、椅子に座ってしゃきしゃき仕事せえという、潜在意識の危機感からの働きかけだと、前向きに受け止めることにしよう(でいいんだろうか)。

以上、個人的なお尻(と性格)の話をしてしまいましたが、せっかくだから、貧盗恋歌らしく締めくくりましょう(もう手遅れだい)。

脳、肌、肝臓など、人体の各部を表す漢字には、月のつくものがたくさんあります。これは「にくづき」といって、肉が変形して月になったもの。お月様とは別物です。現在では形の上で区別しなくなっていますが。
服は人体に着せるものだけど、にくづきではなく、ただの「月へん」です。

尻と同じ意味の「臀」には月が含まれますが、尻のほうはなぜこんな形なのか、ちょっと興味を持って辞書を引いてみました。
この部首(たれ)である「尸」は、なんと「しかばね」という不気味な名称を持っているのです。ほかに「おのたれ」とも呼びます。

尸のなりたちは象形文字で、人があおむけに寝ている形だとか。それで屍のほか、「形代(かたしろ)」という、祭事において人の代わりに祀る人形のようなものを指すようになりました。

だから尸たれを持つ漢字は、人体に関したものが多いのです。それも下半身っぽいような。格調高いブログなのでいちいち書きませんから、頭の中でくっつけてください。毛、水、比・・・。
そういえばも下のほうです。
比喩的に「屑」とか。
人間の屑といっしょにされたら、尼さんは怒りますね。

で、尻ですが、人体を表す尸に数字の最後である九を組み合わせて、体の端っこを意味したのではないかと思います。体だけでなく、帳尻や言葉尻など、抽象的な端っこも表します。

しかしま、お尻は体の中心部でこそあれ、端には見えないんですけどね。漢字ができたころ、人類はまだ四つん這いだったのでしょうか。
投稿者:ルノ 21:42 | コメント(0) | トラバ(0) | 美容と健康