2010年03月07日

謎の漢字

先日の新聞に、常用漢字改定案に対する識者の意見とやらが載っていました。

その中で、『多くの人が「おわび」を「お詑び」と書いてしまうが、正解は「お詫び」』という記述がありまして、「えーっ、そうなの?」とびっくり。
「詑」なんて字を書ける、というか、知っている人が、そんなに大勢いるのでしょうか。そもそも「詑」ってどーゆー意味?

講談社の『日本語大辞典』によりますと、「詑」は「タ」または「イ」と読み、意味は「あざむく、いつわる、だます」など。これを「お詫び」の代わりに使われたら、相手は怒りますよねえ(幸い相手も意味を知らない)。

ちなみに、手持ちの古い漢和辞典では特に説明はなく、「訑」と同じだそうです。「訑」も「あざむく、だます」というような意味です。

『日本語大辞典』で「訑」を探したら、見出しとしては載っておらず、「詫」の異体字とあります。へ? そりゃ「お詫び」ではありませぬか。

あらためて「詫」を見たら、その意味は「1:ほこる、おごる 2:あざむく、だます 3:かこつ、こぼす(愚痴を言う)」とあって、4番目にやっと「わびる、謝る」が出てくるのでした。

政治家や企業トップが「心からお詫び申し上げます」と頭を下げるシーンは、あまりに日常的で、すでに見飽きています。どの人も「心から」謝っている印象が全くなく、ただただ空疎で形式的なポーズに見えます。ケータイにストラップをつけるように、「お詫び」には「心から」を冠することが習慣化しているのです。

それもこれも、「詫」の本来の意味が「驕る、欺く、騙す」であると知れば、納得がいきますね。

おーっと。
何かと前置きが長いのが当ブログの性分(サービス精神旺盛?)。
本日の主役は「謎」でした。

その記事をよく読むと、常用漢字改定案には『「謎」の一点しんにゅうを許容する』という項目があるのです。これに私は、がびーんとショックを受けたのでした。

「謎」が二点しんにゅうだなんて、今まで知らなかった。
いや、そういうこと、考えてもみなかった。「謎」を手書きする機会などほとんどありませんが、さあ書けと言われたら、迷わず一点しんにゅうで書いたことでしょう。

ミステリ小説をよく読む私は、ことあるごとに「謎」という字を目にしています。なのに、じっくり見たことがなかったのです。

たまたま読みかけの本のサブタイトルが『謎』。表紙にでかでかとその字が記されています。確かに二点だあ。
推理作家になりたくて

一点しんにゅうが間違いというわけではありません。
現に私のパソコンでは、一点しか出ません。

アップにしますと

Vista以降は二点に見えるという話も聞きましたが。

改定案が「一点を許容」と言ってるのは、パソコンで普及している既成事実への追随なのだとか。
現行の一点を同じコードで二点に変え、さらに一点も許容というややこしいことになるらしいです。

「謎」はポピュラーな漢字です。学校で習わない子どもでも、たいていが読めることでしょう。
字の形も、言+迷うで非常にわかりやすい。意味を知らない子も少ないはずです。なぞなぞのなぞですからね。

「なぞ」が訓読みだとはわかるけど、ならば音読みはなんだろ。
「迷」がついてるから「メイ」だとは想像がつきます。実際、その通りです。「ベイ」とも読みます。
では「メイ」または「ベイ」が含まれる熟語って、何か思い当たりますか? 辞書では見つかりません。
謎解き、謎めく、謎かけなど、日本では「なぞ」としか読まれる機会がないようです。

熟語を持たない漢字はけっこうありますが、これほどよく使われる字においては珍しいのではないかと思います。
「謎」は謎に包まれた孤高の漢字なのですね。
投稿者:ルノ 20:55 | 辞書と戯れる
2010年02月16日

ひがみ根性

一姫二太郎の起源がいつごろか知りませんが、子沢山だった明治時代よりは新しいのではないでしょうか。あるいは、何人産むにしても、一番目は娘、次に息子が良いということかもしれません。
最初に生まれたのが男の子(跡継ぎ)でないことにがっかりしている人を慰めるために言われ始めたとも聞きます。
実務上も女の子は育てやすいから、まずは育児の練習台。育て慣れて稼ぎも増えたころ、本番に着手という算段であります。

二夫にまみえずが貞女の条件で、寡婦の再婚にはいろいろと障害がありました。
昔の中国では、夫が死んだら妻や次号を殉死させるケースも。「結草」という成句の背景にはそのような事実があります。
貞婦、節婦、烈女も貞女と同様の意味です。両夫を並べずとか、二夫を更(か)えずなどの言い方もあります。

三界に家なしの宿命を持つのが女性という存在。貞婦でなくとも生きづらいことに変わりはありません。

四徳は、婦人が修養実行すべき4つの道。言・徳・容・功。
功(わざ)は料理や裁縫でしょうか。
容はお化粧。女性の見た目は非常に重要です。玉の輿に乗れれば、一族が繁栄します。その期待から、女の子=門楣なのです。

五不取(ごふしゅ)とは、妻を娶ってはならない5つの条件です。
謀反人を出した家、家庭の乱れている家、代々罪人のある家、悪質の遺伝病、父を失った長女。

六親はいっさいの血族のこと。
管子では、父・母・兄・弟・妻・子。姉妹は含まれないんですね。嫁に行っちゃうからでしょうか。
老子だと、父・子・兄・弟・夫・婦。えっ、母もつまはじき?

七去は、妻を離縁する7つの条件。儒教の教えです。
男子を産まない、浮気する、姑に逆らう、おしゃべり、盗癖、やきもち焼き、不治の病気。ひとつでも該当すれば追ん出されるそうな。

八八(はちはち)は、かけて六十四。瓜という字を分けるとふたつの八になる(そうは見えないけどね)ことから「破瓜」ともいいます。
同じ破瓜でも、男子は64歳、女子は8+8で16歳のことです。男でない64歳はババアであって女ではないんですね。

九族とは9つの親族です。自分を真ん中に直系9段階を指すこともあれば、父の族4、母の族3、妻の族2を合わせたものという説も。父母の差1は誰でしょう。
投稿者:ルノ 10:21 | 辞書と戯れる
2010年02月15日

スカートをはいたアダム

微妙に(いや明白に)下半身ネタの割合が高い当ブログでありまして、こうなってしまった以上、開き直るしかない。

シモネタなら、米原万里。
ここで取り上げるのは『ガセネッタ&シモネッタ』にあらず、『パンツの面目ふんどしの沽券』です。

一読して、これはすごい、今年最大の収穫だーと胸躍ったのでした。
2月からそんな断言していいのか? 実は読んだのは昨年末のこと。ブログで紹介しようと思いながら余裕がなく、今回再度借りてきて読みました。

内容は、下半身を覆う衣類(下着や肌着、ズボンにスカート)に関する歴史的文化的考察、といったところでしょうか。
著者はロシア語の通訳なので、こういうタイトルにもかかわらず、下着関連書だとは想像もせず、各国の文化的語学的差異に触れた内容だろうと、実際に読むまでは思い込んでいました。

文庫版の惹句には『抱腹絶倒&禁断のエッセイ』とあり、確かに、お食事前に読むのはおすすめしかねる部分もあります。
もっとも、心卑しい輩が下ネタのみを期待して読めば、その高邁さに肩すかしを食うでしょう。

「下着」は著者本人もライフワークとしたかったほどの奥深いテーマだそうです。本書は古今東西の膨大な文献をもとに、自らの幼児体験も踏まえながら、世界の下着の起源を解き明かそうと企図された、アカデミックな労作です。

世の中、下着のお世話になっていない人などほとんどいないし、下着に全く興味を持たない人はごくわずかでしょう。
しかし下着に関する本を積極的に読みたい人は、そう多くはないと思います。
私がこの本に強い思い入れを持ったのは、下着に深く関わったウェブライフを選択したという個人的事情も大きいのでして、その分過大評価しているかもしれません。

何しろ最初の章で現れるのが、ソビエトの小学校で教えていたパンツ(パンティ)の作り方図説。40年前、彼の国ではパンツなど市販されておらず、手作りしかすべがなかったのです。
そして『今現在の日本のパンツ着用人口の100パーセントが、既製品に甘んじていると思われる』と述べています。すると私は100パーセントの外か。

イエス・キリストが腰に着けている布はパンツなのかふんどしなのかという話もあり、私もイエス人形を作ったとき悩んだあげく、ふんどし形式にしたいきさつを思い出しました。
ターザンでも同様。腰布は英語でloinclothといいますが、イメージ検索しても形状はわかりにくいものでした。

バレエダンサードールを作ろうとしたきっかけは、王子様然とした白タイツへのロマンを抜きにしては語れません(むうんさんに画像面でご協力をいただいたのに、挫折しました)。

そのほか、日本人女性がトイレで水を余分に流すことへの疑問や、英語の単数・複数の謎など、共感項目がいろいろ。
ひとつにしか見えないpantiesが複数形なのはなぜだと、かつて英語版のウェブページに書いたところ、たくさんのご意見をいただいた経験もありました。

現代ではスカートをはく男性は異端視されていますが、スカートが女性の衣料とされたのは、『大多数の国々においては、ごく最近のこと』であるとの記述もあります。それまでは男女ともスカート様の巻き布が主流でした。スカートこそは服の基本なのです。
そしてまた、高々数十年前のソ連やヨーロッパでは、厳寒の時期でさえ女の子がズボンを穿くことを異常なまでに罪悪視する風潮があったとか。
「常識」なんてものは、ほんとうに移ろいやすく当てにならないものなんです。

第14章『イチジクの葉っぱはなぜ落ちなかったのか』と同じことを、私もスカートに始まるで言及しています。誰しも不思議に思うことですね。
その後何枚かつないでスカート状にしたのだろうと、私は単なる思いつきで書いたのですが、さすがプロの物書きは執筆姿勢が違います。聖書や関連書物などをあれこれ調べ、イチジクの葉は複数形となっており、スカートかエプロンふうであったと絞り込み、最終的にエプロンだったと結論づけています。
ただし、そこを読んだあとも、私としてはスカートが正しいと思いたいのです。エプロンだと、くるっと回って丸見えになっちゃったりしません?
投稿者:ルノ 15:25 | 下着・ファッション
2010年02月12日

酢割る通し利害タイ

先般からなんとなく座り心地の悪い状態が続いておりまして、ありていに言いますと、座ったときお尻が痛いのです。

前立腺癌など厄介な病気の前触れかと危ぶみ、検索してみることに。

「座ると」と入力したら、検索候補の一番目に「座るとおしりが痛い」が出てきました。
世の中には座るとお尻が痛くなる人が大勢いるんだと、検索前から安心してしまったのでした。

実は私、こうやって検索窓で候補の顔ぶれを見ただけで満足して、実際の検索にまで至らないことがままあります。
主にうろ覚えのものごとについて、正式名称や漢字表記を確認すれば済むような事柄(固有名詞など、辞書に載ってないものが大部分)などで。ごくたまに、大勢の人が間違って覚えているような語句では誤記のほうが上に現れたりして、そのあたりは経験と勘に頼るのですが。

今回はそこで中止したわけではなく、ちゃんと検索いたしました。

無事検索まで発展しても、そこから個々のページへ飛ぶ確率は、一般的検索者に比べてかなり低いはずです。

あちこちのサマリーをつなぎ合わせたら、たいてい必要な情報が得られるものです。もともと過剰な期待を抱いてるわけではないし、貪欲なサイトを不用意に訪ね、個人情報を落としたり、クッキー仕入れたりなんて避けたいではありませんか。
相も変わらず心配性

とかなんとかぼやきつつも、結果的にいろんなサイトへ出向いているのが事実です。
とはいえ、それにもワンクッション。検索結果ページのURLをコピペして、隣のタブで開くのです。ちょっと面倒だけど。私が使っているブラウザでは2タッチでコピーできるので便利です(乗り換えると言いながら、いまだ捨てない理由)。

クリック惜しみというか、クリックに慎重な性格なんですよね。
検索結果のリンクをじかにクリックすると、どういう語句で検索されたかが当該ページの管理人にわかってしまうかもしれません。
そんなことを恐れていてはネットを歩けないじゃないですか。そもそも自分がお尻痛いで検索した事実をここで明らかにしていながら。頭隠して尻隠さずってこのことですなあ。

尻痛に関して数ページ見ましたが、結局のところ、自分の症状がどれに該当するのかは判断できませんでした。「骨盤のゆがみ」あたりが妥当かなー。

よくある、固い椅子だと痛くなるけど、柔らかいソファなら平気というケースに比べると、私は逆です。そこがちょっと不思議。
固い椅子に座ると臀部の底しか座面に密着しませんが、ソファは体が沈み込むので、背中から太腿まで、広範囲に体重がかかります(その分重みが分散されるのも事実ですが)。ソファに接触する「背中に近い部分」に問題があるのかも。
ソファではくつろぐだけで、何も建設的なことをしないので、椅子に座ってしゃきしゃき仕事せえという、潜在意識の危機感からの働きかけだと、前向きに受け止めることにしよう(でいいんだろうか)。

以上、個人的なお尻(と性格)の話をしてしまいましたが、せっかくだから、貧盗恋歌らしく締めくくりましょう(もう手遅れだい)。

脳、肌、肝臓など、人体の各部を表す漢字には、月のつくものがたくさんあります。これは「にくづき」といって、肉が変形して月になったもの。お月様とは別物です。現在では形の上で区別しなくなっていますが。
服は人体に着せるものだけど、にくづきではなく、ただの「月へん」です。

尻と同じ意味の「臀」には月が含まれますが、尻のほうはなぜこんな形なのか、ちょっと興味を持って辞書を引いてみました。
この部首(たれ)である「尸」は、なんと「しかばね」という不気味な名称を持っているのです。ほかに「おのたれ」とも呼びます。

尸のなりたちは象形文字で、人があおむけに寝ている形だとか。それで屍のほか、「形代(かたしろ)」という、祭事において人の代わりに祀る人形のようなものを指すようになりました。

だから尸たれを持つ漢字は、人体に関したものが多いのです。それも下半身っぽいような。格調高いブログなのでいちいち書きませんから、頭の中でくっつけてください。毛、水、比・・・。
そういえばも下のほうです。
比喩的に「屑」とか。
人間の屑といっしょにされたら、尼さんは怒りますね。

で、尻ですが、人体を表す尸に数字の最後である九を組み合わせて、体の端っこを意味したのではないかと思います。体だけでなく、帳尻や言葉尻など、抽象的な端っこも表します。

しかしま、お尻は体の中心部でこそあれ、端には見えないんですけどね。漢字ができたころ、人類はまだ四つん這いだったのでしょうか。
投稿者:ルノ 21:42 | 美容と健康
2010年01月30日

モーターヘッド子守歌

マシーンヘッドはなんといっても、ディープパープルの最高傑作ですね。必然的に、パープルの黄金時代はマシーンヘッドを出した時期ということです。

などと断言しつつ、昔の私が一番好きだったアルバムは、もっと古いThe Book Of Taliesynでした。当時はハードロックだのヘビーメタルだのにはあまり食指が動かず、プログレないしアヴァンギャルド派でした。後になって、アメリカンバンドのElfが非常に(異様に?)お気に入りとなり、シンガーを同じくするブラックモアズレインボウもかなり聴き込みましたが、パープル自体はさほど評価しないまま時が経過しました。

マシンヘッドをCDで改めて聴いたのはおととしだったか。なつかしさとともに心地よさも感じたのでありました。Pictures Of HomeやSmoke On The Waterは、胸に迫るほどなつかしい。
Taliesynを今聴いてもなつかしさは湧くだろうけど、「心地よい」かどうかは疑問だな。

ディープパープルは人の入れ替わりが激しいバンドでした(偏屈わがままギタリストのブラックモアがメンバーを次々クビにしたのか)。
パープル黄金期の立役者は、ヴォーカリストのイアン・ギランでありましょう。変幻自在のいい声です。歌もうまいし、迫力はピカ一。ハードロックにぴったりなのです。

ギランが参加したアルバムは、マシンヘッドとそれより前のファイアボールやインロックなどです。

で、インロックを聴いてみました。Speed King Child In Timeなどの名曲も含まれ、確かになつかしいんだけど、いまいちって印象でした。
気に入っていたはずのギランのヴォーカルがどうもひっかかるのです。シャウトしすぎ。シャウトって、聞いてるだけでこちらの喉が痛くなってきません?
マシンヘッドでもシャウトはけっこうあるけど、大幅に減っています。ひょっとして喉が疲れたのでしょうか。

歌う人に喉の病気は宿命です。ポリープなどもできやすいそうですね。イアン・ギランがいくらたくましい喉を持っていても、あんなに叫びまくっていたら、シンガー生命も長くは続かないでしょう。

加えてロックミュージシャンには、耳のトラブルも高頻度で起きるのではないでしょうか。常に大音響で演奏するんですから。

オーディエンスだって、ロック難聴は深刻な問題です。携帯プレーヤーで年中なにやら聴いている人は、遠からずイヤホンを補聴器に替えることになるでしょう。耳に異物がくっついていることに慣れているから、なじむのも早いかな。

若いころコンサートに通いましたが、大きなホールであれ、小さなライブハウスであれ、終わって出てきたあとは耳鳴りガンガン、まともに音が聞こえない状態でした。場合によっては翌日にも残っていたようです。
毎日そんな目にあっていれば、耳だっておかしくなります。

ここでやっとモーターヘッド登場。別にマシーンヘッドの親戚ではありません。

モーターヘッドはヘビメタバンド。デビューアルバムはわりと好きだけど、ほかは義務的に買ったという程度。ラリーつながりなのです。
メインマンのレミーは歌ヘタだし、声が滅茶苦茶キタナイんです。イアン・ギランとは月とすっぽん。個性と愛嬌あって、いったん気に入ればなかなかいいんですけどねー。

モーターヘッドの売りは破格の轟音。「音が大きい」以外に形容すべき要素のないバンドだったかもしれません(そこまでけなすか?)。

むかーし、そのモーターヘッドを見に行きました。
中程度のホールで、けっこう広いステージの2/3をでんと占領していたのが巨大スピーカー。3人のメンバーは中央の狭いスペースで演奏するのです。前列でも端っこの観客は、視野に入るのはスピーカーだけってことに。

たまたまその日の私は最低の体調でした。病気ではありません。うろ覚えだけど、前日最終バスに乗り遅れてほとんど徹夜を強いられた上に、早朝からお役所に出頭しなければならないとかいう事情があって、眠くて眠くてたまらなかったのです。もともと徹夜を苦手とする体質なので、一日中モーローとしていたような。モーターヘッドは人気バンドだから、夕方早めに並んでいい場所を確保する必要があり、並ぶ間は立ちっぱなしだから休憩も取れず・・・。

やっと入場したものの、人波に押しやられてステージ近くに行けず、やむなく2階の最前列に陣取ったのでした。ありがたや、椅子とテーブルがあるから、ちょっと休める。
コンサートが始まるまで時間があり、会場では大音響でBGMが流れていました。が、睡魔には勝てず、テーブルに突っ伏してうとうと。

はっと気づいたら、すでに演奏が始まっていました。何曲目だったかわかりません。ああ、もったいない。
まわりは総立ちで、革と鋲で武装したヘッドバンガーたちが陶酔状態で激しく頭を振っていました。死人も飛び起きるモーターヘッドを耳にしてすぐに目を覚まさなかったとは。

往年のヘッドバンガーたちは、耳だけでなく、かなりの比率で頚椎異常を経験したのではないかと、今さらながら思います。
とにかくロックは反健康的なものです。
投稿者:ルノ 18:12 | 70年代ロック
2010年01月22日

耳に潜むもの

ものもらいができたせいではないけど、このごろ読んだ本は『なるほど、ヒトの顔は面白い(由富章子)』・・・目、鼻、耳、口など、顔にある器官に関する考察や薀蓄を述べた、軽妙洒脱なエッセイです。

著者は熊本出身の現職眼科医で、彼の地ではものもらいのことを「お姫さん」と言うとか。お、そういえば私が子どものころ住んでいた田舎町でも「お姫さま」と呼んでいた記憶があるぞ。
北九州では「ねずみの嫁入り」なる別称もあるそうです。

呼び名がロマンティックだからって、見た目が良くなるわけではありませんが、「ものもらい」よりは人聞きがよろしいですよ。

さて本書では、当然ながら専門である眼科系の話に比重が置かれています。
まず取り上げられたのは、眼球摘出。簡単だから新人研修医がよくやらされるとか。
『視神経は太くて大きくて、箸の先くらいあるから、大きな尖刀を使って』『バチン』と切断するのだと。ひえっ。その音は摘出される患者の耳にもバチンと響くんでしょうね。

視神経は視束ともいうから、細い神経が束になっているのかと思ったら、神経線維の束ということであって、その実体は脳の一部であるらしい。歯の神経などとはレベルが違うってことか。
百科事典には『円柱状』とか『うどんのような紐』と書かれていて、うどんのほうが箸よりもリアリティを感じますが、いずれにせよ太いんですよ。

インターネットが盛んになり始めたころ、怪談めいた話が流布しましたね。かっこよく『都市伝説』などと呼ばれたりして。

そのひとつ・・・ピアスの穴から出ていた白い糸をぷちっと切ったら目が見えなくなった、実はそれ視神経だった、と。
うどんのような視神経がピアスの穴から出るには無理がありそうですが、あえて想像すると、よけい不気味です。

それで思い出しました。実は私、耳から糸が出るという恐怖の体験をしたのです。

発端はお風呂上がり。耳の中でがさごそと音がするのです。
シャンプーの最中に水が入ったかなと思って、綿棒でつついたり、頭をトントン叩いたり、飛んだり跳ねたり。
でも出てきません。
呼び水(1滴耳にたらすこと)も何度かやったけど、効果なし。

まあ、ほっといても自然に蒸発するから心配ないだろと、我慢することにしました。

しかし翌日も翌々日も、いっこうに改善の兆しが見えません。
頭を動かすたびに、かさかさ、ザザー。気持ち悪いったら。

耳垢がたまりすぎて取れなくなったという話を聞きますが、感触としては固形物ではなく、液体のように思えてなりません。
もしかして・・・耳の中に水が湧いている!?

私はかなり激しい耳鳴り持ちです(おまけに年々ひどくなっている)が、特に気にしていません。気にしないよう努力しているわけではなく、慣れてしまっているだけです。
そのかさこそ音だって、裏に厄介な病気が控えているとは考えにくく、慣れれば済むのでしょうが、気にすまいと意識すると、かえって意識がそこに集中するものです。もう気になって気になって。

起きている間中悩まされ、疲れ果ててノイローゼ気味。寝たら悪夢のネタにもなってしまいました。耳の中の何かが膨れ上がって鼻と口をふさぐという妄想で、呼吸困難に陥ったのです。

その翌日、近所の耳鼻咽喉科へ。症状を記入する用紙には「耳垢」に○をつけました。

お医者さんは私の耳の中を覗いて、
「おっ、あっ、これは・・・」
どきっ。何か変なものが?
「いやあ、これは凄い。トグロ巻いてる」
だっ、だから、なんなのよっ。

耳の中に突っ込まれたピンセットでひゅるっとつまみ出されたのは、1本の黒い糸(その場面を見たわけではないが)。

それは長さ数センチの髪の毛でした。なぜか渦巻状になって鼓膜にへばりついていたのです。
不快音は瞬時に消え去りました。

そして私は治療費1,470円を支払って病院をあとにしたのでした。

耳図
イメージとしてはこんな感じですが、自力で取れなかったのは、髪のカール具合がもっと大きく、耳道の壁にぴたっと沿っていたからのようです。粘着性綿棒ならば取れたかもしれないと、あとになって思いました。
投稿者:ルノ 16:00 | 美容と健康
2010年01月15日

収納上手

花や絵や置物などで部屋を飾ることが嫌いです。もちろん人形やぬいぐるみを飾るのもごめんです。

部屋だけではなく、万事において装飾に無関心なのです。このブログだって、質実剛健ってイメージでしょ。
本人もアクセサリーはめったに着けません。アイメークもせず、常に清潔を心がけているのに、なんでものもらいなんかになるだあ。(T_T°

そうそう、部屋の話だった。

昔、ワンルームマンションに住んでおりました。白い壁にライトブラウンのフローリング。

住み始めたころ、何冊かのインテリア雑誌を購入しました。部屋を整える参考にするためではなく、自慢のマイルームに取材に来てもらおうともくろんだのであります。いやはや、世間知らず。

で、誌面に採用されている事例を見て、その気が失せました。
うちのように殺風景な部屋は、どの雑誌にも載っていなかったのです。「だから新鮮味がある」との捉え方もできましょうが、インテリアデザインに対する考え方に根本的なギャップを感じてしまい、かかわり合いたくなくなったのでした。
極めつけは、あちこち探し回って購入したウールのアクセントラグと全く同じ商品を敷いた家が紹介されていたこと。そりゃあ市販品だからいくつあっても不思議はないけど、たまたま買った数冊の中で遭遇するなんて。たいそう気に入っていたラグだけに無念のきわみ。そのお宅はよそに比べるとすっきりしていて、センスの良さが光っていましたが。

「根本的ギャップ」と申しましたが、これは雑誌社と私の間ではなく、世間と私の間に横たわっているようです。

誰しも自分の城を持ったら、きれいに飾りたいものです。普通に暮らしていると、いろんな装飾品を入手する機会が多く、好むと好まざるとにかかわらず増えていきます。
ごてごて飾るのが嫌いな人でも、観葉植物くらい置きたいでしょう。空気を清浄にし、心を癒す効果もありますし。
それさえ嫌というのは、心がすさんでいるあかしではないのか。

実際、年月を経るにつれ、いろんなガラクタが増えていきました。おまけに壁にはブタを貼ったし(無理にはがしたら壁紙が破れて蒼ざめました)。
家具を買い足して手狭になったので、2LKに引っ越すことにしました。
引っ越し業者が見積もりに来て部屋を見渡し、「あー、これなら5万円でいいですよ」とのこと。

が、引っ越し当日、積み出しに来た作業員は仰天したようです。
こんな小さな部屋に、こんな大量の荷物があったとは信じられない。よそから持ってきたんじゃないか、と。

でも正真正銘、全部そこにあったんです。
その部屋には押入れやクロゼットがなく、部屋の一部がへこんでいたので、その前にカーテンをつけて押入れ代わりにしていました。当座使わないものはすべてそこに整然と収納し、見える部分はいちおうスッキリ。むろん見積もり担当者には、その中も見せたんですよ。

トラックが小さくて2回に分けて運ぶこととなり、彼らは5万円分をはるかに上回る労働をさせられたのでした。

新しい住まいは以前の倍以上の面積がありますが、ここも大量のガラクタに占領されていきました。
今や我が家は「すっきり」とは程遠く、どこも物置部屋と化しています。

相変わらず飾り気はありませんが、本棚のガラス扉の中には装飾品めいた小間物が雑然と置かれていて、いかにも見苦しい。モンローのポスターはUSB抜き差しに邪魔だから撤去しました。種から育てて順調に生育したあげく茶変して死にかけているアボカドの鉢などは、捨てるに捨てられなくて悩みの種。

本棚といえば、いつだったか本の整理をしたときのこと。
古い雑誌や好みに合わない単行本など、捨てようとした本がちょっとした山をふたつ築きました。しかしそれらの本が入っていたはずの本棚には、依然として本がぎっしり。手品みたいと我ながら感心したほど。

そんなふうに、根は収納上手なのだから、本気で片づければ広々空間を取り戻せると思うんですけど、なにぶん面倒で・・・。
投稿者:ルノ 18:16 | 生活の浅知恵