これまでダイヤルアップ族を売り物にしてきた私ですが、ついに方針転換を余儀なくされました。
パソコンの調子がおかしくなったんです。予兆は・・・あったといえばありすぎるほど。フリーズやハングアップは日常茶飯事だし、何かといえば動作が止まる。
アプリケーションにしても、しばらく前からホームページビルダーが異常を来たし、更新したファイルを転送するフリだけして、実は送っていなかったり。必要ファイルをちゃんとピックアップして、「転送中です」と延々インジケータが現れ、「転送は正常に終了しました」のメッセージまで出るのに、ページを見ると古いまま。Windows95時代のソフト風情がいったいどうやってこんな悪知恵を身につけたんでしょう。しかたなく、FTPを使って手動で1個1個転送する不便さ。
画面がふっとぶち切れるのにも閉口していましたが、本体もいきなり切れるようになってしまいました。光接続の概要を調べようとNTTのページを見ていたら、またブチッ。
取り急ぎ、1番近い・・・いや、2番目に近いパソコン屋さんに走って、いや、歩いて行き、店員さんに「ダイヤルアップのできるパソコンちょうだい。今日必要なの」と言うと、「いちお〜どれでもだいじょうぶですよ〜」という返事。
それで国産品のデスクトップ(型落ちモデル?)を選び、紐をかけてもらいました。
「けっこ重いですよ〜」心配顔を無視し、めてに本体、ゆんでにディスプレーを引っ提げ・・・計20kg余? 初めは楽勝と思ったけど、細腕が次第にしびれてきて、10歩ごとに休憩。しんどー。体重が800gは減ったとの確信とともに家に帰り着いたとたん、雨がザザザー。
案外ラッキーだったかも。
しかし、包装を解いてセットアップを始めようとして、がびーん。「このパソコンではダイヤルアップ接続はできません」とマニュアルに明記されているではないか。どどっと疲労に襲われる。こんなことなら焦ってひーこら持ち帰るには及ばなかったのにぃ。くそー、あのウソツキ店員。
電話して文句をつけたら、本人曰く「えーと、ダイヤルアップってなんでしたっけ」アホ、ボケ、カス、給料ドロボー。
「じゃあ返品ですか?」と開き直られ、億劫になって話を打ち切る。店員の無知を責める前に、ダイヤルアップなんて言葉はすでに死語なんだと認識しておくべきでした。
この新しいパソコンで当面ダイヤルアップを継続し、サイトの引っ越しが完全に済んだらもっと安いプロバイダに乗り換えようとの算段は崩れたわけですが、直ちに次善の策を練り始める現実性が私の長所である。としておこう。さっそく116に電話してBフレッツを申し込む。
・・・
そして12日後、光ファイバー工事が完了し、新たな環境で高速インターネットを開始したのでありました。
うーむ、確かに速い。これが100Mbpsの威力かあ。
あまりに時間がかかるので1度として最後まで表示させたことのないwtbwのトップページが一瞬にして表示されたのにはビックリ。(常連なのかって? いえ、年に数回・・・)
遅れてきた常時接続者として、やっと人並みになれたという感慨は別にありません。
開通から数日経ちましたが、接続時間はさして増えず。朝夕こせこせと必要最低限の閲覧をしてメールチェックを済ませたら、接続を切り、電源を落とします。
インターネットですることなんて特にないし、年中パソコンにへばりついてるわけにはいかないし。
がっくりきたのは、契約状況確認のためプロバイダのサイトに行ったとき。
『キャンペーン中』云々とあったので何気なくクリックしたら(普段はそんなもの見ない)、NTT直でなくプロバイダを通してNTTに申し込めば、プロバイダ料金が最大4ヶ月タダなんだとか。どこでもそういうキャンペーンを競ってるらしい。・・・知らなかった。情報を集めずに慌てて行動するとソンするのだよ。
2006年09月16日
溺れる者は
溺れる者は・・・次に続くフレーズはなんでしょう。
1:息ができない
2:藁をも掴む
3:わらにもすがる
4:笑ってる場合じゃない
時たま『藁にもすがる思い』で質問(や要求)を寄せてくる人がいます。『ワラクズなんかに期待しちゃいないが、とりあえず意見を聞いてやろう』といった不遜さはみじんもなく、真に切羽詰まった様子がうかがえるのですが、相手によっては、どうせわらわはわらじゃよ、とすねるかもしれません。
古い辞書には『藁にも縋る』という言い回しは載っていないようです。
最近の国語辞典では『困難に直面したとき、頼りにならないものにまで救いを求めようとするさま』との解説があります。
これが『溺れる者は藁をも掴む』から派生したのは明白です。といって、『溺れる者は藁にも縋る』とつなげることは少なく、通常は下の句だけ使われます。
その経緯を推理してみました。
ことわざや慣用句は一部省略しても概ね通じます。「ほら、溺れる者はなんとやらって言うじゃないですか」みたいに。でも「藁をも掴みたい心境です」ってのは、なんだかしっくりこないような・・・。まして頼る相手を藁扱いしている場合には、意識の底にそこはかとない後ろめたさがあって、「掴む」のはちょっと乱暴かなとブレーキがかかった結果、「縋る」に置き換えられたのでは? 「縋る」のであれば、「ワラさま、ワラさま、捨てないで〜」と、自分を卑下する印象を伴わせることもできますし。
『藁にもすがる』であれ『溺れる者は藁をも掴む』であれ、相手を藁に例えて頼み事をするのが非礼だという説は、たぶん時代遅れなのでしょうね。今の若いもんは目上の人を会合などに誘うとき「枯れ木も山の賑わいです」などと言うとか。
1:息ができない
2:藁をも掴む
3:わらにもすがる
4:笑ってる場合じゃない
時たま『藁にもすがる思い』で質問(や要求)を寄せてくる人がいます。『ワラクズなんかに期待しちゃいないが、とりあえず意見を聞いてやろう』といった不遜さはみじんもなく、真に切羽詰まった様子がうかがえるのですが、相手によっては、どうせわらわはわらじゃよ、とすねるかもしれません。
古い辞書には『藁にも縋る』という言い回しは載っていないようです。
最近の国語辞典では『困難に直面したとき、頼りにならないものにまで救いを求めようとするさま』との解説があります。
これが『溺れる者は藁をも掴む』から派生したのは明白です。といって、『溺れる者は藁にも縋る』とつなげることは少なく、通常は下の句だけ使われます。
その経緯を推理してみました。
ことわざや慣用句は一部省略しても概ね通じます。「ほら、溺れる者はなんとやらって言うじゃないですか」みたいに。でも「藁をも掴みたい心境です」ってのは、なんだかしっくりこないような・・・。まして頼る相手を藁扱いしている場合には、意識の底にそこはかとない後ろめたさがあって、「掴む」のはちょっと乱暴かなとブレーキがかかった結果、「縋る」に置き換えられたのでは? 「縋る」のであれば、「ワラさま、ワラさま、捨てないで〜」と、自分を卑下する印象を伴わせることもできますし。
『藁にもすがる』であれ『溺れる者は藁をも掴む』であれ、相手を藁に例えて頼み事をするのが非礼だという説は、たぶん時代遅れなのでしょうね。今の若いもんは目上の人を会合などに誘うとき「枯れ木も山の賑わいです」などと言うとか。
2006年09月09日
自家製パンはおいしいか
何十年か前、自動パン焼き機なるものが流行りましたよね。材料を入れてほっとけば、こねて発酵させて焼き上げてくれるという手間要らずのスグレモノ。お宅の押入にも1台入っているんじゃないですか。
それまで素人がパンを作るなんて大変なわざでした。
まず発酵の温度管理が難しい。古い料理本には『ドライイーストはちゃんとふくらまないことがあるので生イーストを使いましょう』とか書いてあって、現実には生イーストなんてどこにも売っていなかったもんな。
こねるのがまた苦労。力は要るし、なかなか均一にならないし、じゅうぶんな広さの台もないし。
どうにかこうにか形を整え、無事焼き上げたとしても、味はあまり期待できないでしょう。
一番の問題は、時間と手間がかかりすぎること。予備発酵、こねこね、一次発酵、ガス抜き、形成、二次発酵、焼き上げ・・・数時間つきっきり。パン生地を乱暴にちぎるとイーストが機嫌を損ねてしぼんだりします。
当時だってそこそこおいしいパンが安く売られていたのだし、自分でパンを作るなんて、どの角度から見ても割に合わないものでした。
それら諸問題をクリアしたかに見えた「パン焼き機」の華々しいデビュー。
人々が飛びついたのもむべなるかな。
最初は物珍しさもあったのでしょうが、子供でも安全に簡単に作れるし、案外美味だし、自分で作ったという充実感も得られ、お得な印象さえありました。いろんなパンミックスも販売されてブームを支えました。
・・・が、飽きられるのも早かったようです。
パンなんて自分で作ってまで食べたいもんじゃなし・・・日本人はやはりお米民族。
あのパン焼き機、1台何万円だったか知りませんが、元が取れたと胸を張る人は皆無でしょうね。所詮は高いオモチャだったと気づき、押入の場所ふさぎになってしまったようです。
とはいえ、近所のスーパーでは時々カメリア(日清の強力粉)の安売りをしているし、買う人がたくさんいます。パン焼き機はまだ健在なのでしょうか。
かくいうわたくしもたまに衝動的にパンを焼きます。カメリア1袋で4回作れます。うちのはパン焼き専用機ではなく、オーブンレンジにたまたまパン焼き機能がついていたんです。パン焼きなんて・・・とバカにしていまして、初めてパンを焼いたのは購入から数年後でした。食パンなら、材料をセットしてスタートボタンを押せば約4時間で焼き上がります。ゴマやくるみを混ぜたり、チーズを練り込んだり、バリエーションも楽しめます。
味は・・・まあまあ。こね足りないのか、生地のきめが粗くて穴だらけ。冷めるとパサパサざらざらになって、スーパーに並んでいる148円の食パンにも負けます。それでも焼きたてならば、町の自家製パン屋さんの260円の食パンよりおいしいくらいです。特に外側(耳)は絶品。ついつい耳をむしって食べちゃって、はっと気づくと中身だけが無惨に柔肌をさらしていたり・・・。
じゃあ「耳だけパン」を作ったら最高ではないかと。途中で取り出して天板に平たく伸ばし、数枚に分けて焼けばいいんです。ま、そんな面倒なことをする気力はありません。
本日焼いた素朴な手作りパン。
それまで素人がパンを作るなんて大変なわざでした。
まず発酵の温度管理が難しい。古い料理本には『ドライイーストはちゃんとふくらまないことがあるので生イーストを使いましょう』とか書いてあって、現実には生イーストなんてどこにも売っていなかったもんな。
こねるのがまた苦労。力は要るし、なかなか均一にならないし、じゅうぶんな広さの台もないし。
どうにかこうにか形を整え、無事焼き上げたとしても、味はあまり期待できないでしょう。
一番の問題は、時間と手間がかかりすぎること。予備発酵、こねこね、一次発酵、ガス抜き、形成、二次発酵、焼き上げ・・・数時間つきっきり。パン生地を乱暴にちぎるとイーストが機嫌を損ねてしぼんだりします。
当時だってそこそこおいしいパンが安く売られていたのだし、自分でパンを作るなんて、どの角度から見ても割に合わないものでした。
それら諸問題をクリアしたかに見えた「パン焼き機」の華々しいデビュー。
人々が飛びついたのもむべなるかな。
最初は物珍しさもあったのでしょうが、子供でも安全に簡単に作れるし、案外美味だし、自分で作ったという充実感も得られ、お得な印象さえありました。いろんなパンミックスも販売されてブームを支えました。
・・・が、飽きられるのも早かったようです。
パンなんて自分で作ってまで食べたいもんじゃなし・・・日本人はやはりお米民族。
あのパン焼き機、1台何万円だったか知りませんが、元が取れたと胸を張る人は皆無でしょうね。所詮は高いオモチャだったと気づき、押入の場所ふさぎになってしまったようです。
とはいえ、近所のスーパーでは時々カメリア(日清の強力粉)の安売りをしているし、買う人がたくさんいます。パン焼き機はまだ健在なのでしょうか。
かくいうわたくしもたまに衝動的にパンを焼きます。カメリア1袋で4回作れます。うちのはパン焼き専用機ではなく、オーブンレンジにたまたまパン焼き機能がついていたんです。パン焼きなんて・・・とバカにしていまして、初めてパンを焼いたのは購入から数年後でした。食パンなら、材料をセットしてスタートボタンを押せば約4時間で焼き上がります。ゴマやくるみを混ぜたり、チーズを練り込んだり、バリエーションも楽しめます。
味は・・・まあまあ。こね足りないのか、生地のきめが粗くて穴だらけ。冷めるとパサパサざらざらになって、スーパーに並んでいる148円の食パンにも負けます。それでも焼きたてならば、町の自家製パン屋さんの260円の食パンよりおいしいくらいです。特に外側(耳)は絶品。ついつい耳をむしって食べちゃって、はっと気づくと中身だけが無惨に柔肌をさらしていたり・・・。
じゃあ「耳だけパン」を作ったら最高ではないかと。途中で取り出して天板に平たく伸ばし、数枚に分けて焼けばいいんです。ま、そんな面倒なことをする気力はありません。
本日焼いた素朴な手作りパン。
2006年09月08日
ペット薄命
人気の悪妻ブログとやらを読んで、「奥さんがぽっくり死んじゃったら、ネタがなくなってこのブログもおしまいだな」とよけいな心配をする人は稀でしょう。ただでさえ妻は夫より長生きするものです。まして・・・。
以前とあるブログを時々のぞいておりました。あるとき「父が死んだので当面休みます」との記載があり、お悔やみのコメントがたくさん寄せられていたようです。
ブログオーナーの推定年齢からして、御父君が90、100歳ということは考えにくく、ショックは大きかったでしょうが、それでも親が先立つことは、めでたいは語弊にしても、順当としましょう。
当然ながら、親バカ満載の育児ブログを見て、この赤ちゃんが13年後には親を殺すかもしれないと冷笑する人でも、来年脳炎で死ぬ可能性を指摘はしないでしょう。
犬や猫ならば?
昨日ベビー服を買いに行った折り、閑静な通りで電柱の貼り紙に気づきました。「ロシアンブルーのロブちゃんを捜しています。怪我をしているかもしれません。・・・」飼い主の焦りと心痛が表れた文面に、一目でロシアンブルーとわかる顔立ちの猫の写真。なお『ロブちゃん』は仮名。
あの貼り紙は自分でプリントしたのかな。飼い主さんはきっとブログの持ち主で、「今日のロブちゃん」てな写真と記事を毎日アップしていて、今ごろは「ロブちゃんはいずこに・・・」と悲嘆で埋め尽くされているだろうな。と、想像をたくましくしつつ帰宅しました。無事見つかればいいですけど。
行方不明のまま推移することは死体を発見するよりはましと慰めましょうか。
ペットは扱いやすいモティーフで、気軽に共感を呼べます。幾万となき飼い主が嬉々として話題に掲げていることでしょう。
そして毎日何人、何十人の飼い主が「うちの○○ちゃんが死んじゃったあ」と涙混じりの文章を載せている・・・?
すぐに書く精神的余裕があるかどうかはさておき、時系列で身近というブログの特質から、書かずにいられないんじゃないでしょうか。
感情に走るも冷静を装うも、飼い主の個性。ただ、日常を文章にする習慣が根づくと、多少なりとも客観的になっていく傾向を感じます。
概して小型犬は大型犬よりも長命で、猫は犬よりも長生きするようです。だけど人間にはかないません。幾多の生物を絶滅に追いやりながら、人間の寿命は伸び続けています。
医療技術の進歩や環境変化により異様に長生きする動物も見受けられますが、成人病や認知症が増えたのも皮肉なことです。
ペットブームの陰には多くの拝金ブリーダーがいて、人気が上昇した種類を近親交配などで粗製濫造し、遺伝的欠陥や問題性格を抱えた個体を出回らせていると聞きます。結果、難病、早死に、飼い主に遺棄されるなどの悲劇も起きます。可愛い可愛いのきれいごとだけで命を買う飼い主の無知や単細胞にも問題があるようです。
ともあれいったん飼い始めると、遅かれ早かれ別れに直面することを覚悟すべきでしょう。
こんなことを書いたからって、ペット関連のページを嫌いだとか、軽んじているなんて思わないでくださいね。そういう場面に行き当たったら、ちょっと言葉がなくて困るなあ、と。
それに自分が猫の子をもらってきておきながら、母親に世話を押しつけた私に、ペットネタを扱う資格はありませぬ。
などと言いつつ、余談。その猫は20歳近くまで生きました。最後の数日は足腰が立たず寝たきりだったのですが、意識はしっかりしていました。母が抱えてトイレに連れていくまで我慢していて、寝床を汚すようなこともなく・・・。威厳とプライドを保ち続けた天晴れ猫です。人間に見習わせたいぞ。

セイコ 1981-2001
以前とあるブログを時々のぞいておりました。あるとき「父が死んだので当面休みます」との記載があり、お悔やみのコメントがたくさん寄せられていたようです。
ブログオーナーの推定年齢からして、御父君が90、100歳ということは考えにくく、ショックは大きかったでしょうが、それでも親が先立つことは、めでたいは語弊にしても、順当としましょう。
当然ながら、親バカ満載の育児ブログを見て、この赤ちゃんが13年後には親を殺すかもしれないと冷笑する人でも、来年脳炎で死ぬ可能性を指摘はしないでしょう。
犬や猫ならば?
昨日ベビー服を買いに行った折り、閑静な通りで電柱の貼り紙に気づきました。「ロシアンブルーのロブちゃんを捜しています。怪我をしているかもしれません。・・・」飼い主の焦りと心痛が表れた文面に、一目でロシアンブルーとわかる顔立ちの猫の写真。なお『ロブちゃん』は仮名。
あの貼り紙は自分でプリントしたのかな。飼い主さんはきっとブログの持ち主で、「今日のロブちゃん」てな写真と記事を毎日アップしていて、今ごろは「ロブちゃんはいずこに・・・」と悲嘆で埋め尽くされているだろうな。と、想像をたくましくしつつ帰宅しました。無事見つかればいいですけど。
行方不明のまま推移することは死体を発見するよりはましと慰めましょうか。
ペットは扱いやすいモティーフで、気軽に共感を呼べます。幾万となき飼い主が嬉々として話題に掲げていることでしょう。
そして毎日何人、何十人の飼い主が「うちの○○ちゃんが死んじゃったあ」と涙混じりの文章を載せている・・・?
すぐに書く精神的余裕があるかどうかはさておき、時系列で身近というブログの特質から、書かずにいられないんじゃないでしょうか。
感情に走るも冷静を装うも、飼い主の個性。ただ、日常を文章にする習慣が根づくと、多少なりとも客観的になっていく傾向を感じます。
概して小型犬は大型犬よりも長命で、猫は犬よりも長生きするようです。だけど人間にはかないません。幾多の生物を絶滅に追いやりながら、人間の寿命は伸び続けています。
医療技術の進歩や環境変化により異様に長生きする動物も見受けられますが、成人病や認知症が増えたのも皮肉なことです。
ペットブームの陰には多くの拝金ブリーダーがいて、人気が上昇した種類を近親交配などで粗製濫造し、遺伝的欠陥や問題性格を抱えた個体を出回らせていると聞きます。結果、難病、早死に、飼い主に遺棄されるなどの悲劇も起きます。可愛い可愛いのきれいごとだけで命を買う飼い主の無知や単細胞にも問題があるようです。
ともあれいったん飼い始めると、遅かれ早かれ別れに直面することを覚悟すべきでしょう。
こんなことを書いたからって、ペット関連のページを嫌いだとか、軽んじているなんて思わないでくださいね。そういう場面に行き当たったら、ちょっと言葉がなくて困るなあ、と。
それに自分が猫の子をもらってきておきながら、母親に世話を押しつけた私に、ペットネタを扱う資格はありませぬ。
などと言いつつ、余談。その猫は20歳近くまで生きました。最後の数日は足腰が立たず寝たきりだったのですが、意識はしっかりしていました。母が抱えてトイレに連れていくまで我慢していて、寝床を汚すようなこともなく・・・。威厳とプライドを保ち続けた天晴れ猫です。人間に見習わせたいぞ。

セイコ 1981-2001
2006年09月04日
頭痛と付き合う
偏頭痛のつらさは経験者しかわからないものです。痛みそのものの苦しさに加えて、その甚大なる苦痛を周囲が理解してくれないという悲憤も痛みに拍車をかけるとか。
私がピチピチの新入社員だったころ、営業所備え付けの救急箱に常備している頭痛薬をご飯代わりにバクバク食う先輩社員がいて、補充のためしょっちゅう薬局に行かされたので、粒が大きくて苦くて飲みにくい薬を選んで買おうと努力しました。
歳月を経て私も頭痛ってものに悩まされるようになりました。
私の場合、頭痛というより神経痛(以前かかった帯状疱疹の後遺症)だと勝手に診断しています。普段は脇腹や背中をちょこちょこつつく程度だけど、頭に来ると頭痛になるのだと。
で、年に数回、猛烈な頭痛の発作に見舞われるのです。いやー、その痛いことったら。でも市販の痛み止めがけっこう効くので、そう深刻には受け止めません。バファリンは早く効果が出るけど、イブはちょっと弱い、みたいな。優劣をつけるわけではなく、体質によって相性があるようです。ノーシンが一番と言う人もいるし。
実際、神経痛や常習性頭痛の裏に重大な病気が潜んでいるケースは稀らしく、あんまり心配するとかえって悪化するおそれもありますよ。
この発作、夜中に起きることが多いのでタイヘンです。
寝違えの項でも書きましたが、激痛で眠れない(ような)状態にあっても、なぜか私、夜中には何もしない人なのです。ちょっと起き上がれば、2、3歩のところに薬箱があって、よく効くバハリンが入ってるのにさ。両手で頭をわっしと掴んで、そのうち軽くなるだろと、妙に楽観的に悶々として・・・この心理は我ながら理解できません。相性が良い薬でも飲み慣れると効き目が薄れるからなるべく我慢しようという意識があるのか、はたまた心の底では頭痛なんてたいしたことないとバカにしているのか。
そのうち眠気が痛みに勝って、気がついたら朝で、ケロリと治まっています。あれは夢だったのかと訝るけど、シーツはしわくちゃで枕には髪の毛がいっぱい落ちていて、のたうち回ったあとが歴然。次こそは絶対薬を飲むぞーと決心しても、すぐに忘れ去ります。
この発作をなんとか抑えることができないかと、ハトムギ(錠剤や粉末)やきなこミルクを飲んだりしましたが、効き目なし。
最近ニンニク油がいいかも・・・と思い始めました。ニンニク油を飲むと、どうも神経痛や頭痛が起きにくいような気がするのです。人に会う予定があれば前日は飲むのを控えますが、そんなときに限って、軽い神経痛が出てきたりして・・・まあ、偶然かもしれませんが。信じる者は救われる、原因不明の痛みに万策尽きた人は試すよろし。
薬局や通販広告にはニンニク油のカプセルや錠剤などが多数ありますが、別に私は健康食品会社の回し者ではありませんよー。飲んでいるのは自家製ニンニク油です。
作り方は次の通り。材料費300〜400円。
ニンニク5、6かけを細かく刻んで、オリーブ油1カップに入れます。容器ごと湯煎で温め、沸騰する前に火を止め、冷めたら油こし紙などでこします。
中国産ニンニクはやめときましょう。青森産は高いから、私は大分産を愛用してます。
冷暗所に保存して、朝晩小スプーン1杯飲みます。油を飲むという行為には、初め喉の抵抗がありました。ニンニクの香りとピリッとした刺激があります。味噌汁やスープに混ぜるのもOKだけど、まずくなりそうで気乗りしません。100度以上で加熱すると有効成分(アホエン)が壊れるので、炒め物には向かないとか。
私がピチピチの新入社員だったころ、営業所備え付けの救急箱に常備している頭痛薬をご飯代わりにバクバク食う先輩社員がいて、補充のためしょっちゅう薬局に行かされたので、粒が大きくて苦くて飲みにくい薬を選んで買おうと努力しました。
歳月を経て私も頭痛ってものに悩まされるようになりました。
私の場合、頭痛というより神経痛(以前かかった帯状疱疹の後遺症)だと勝手に診断しています。普段は脇腹や背中をちょこちょこつつく程度だけど、頭に来ると頭痛になるのだと。
で、年に数回、猛烈な頭痛の発作に見舞われるのです。いやー、その痛いことったら。でも市販の痛み止めがけっこう効くので、そう深刻には受け止めません。バファリンは早く効果が出るけど、イブはちょっと弱い、みたいな。優劣をつけるわけではなく、体質によって相性があるようです。ノーシンが一番と言う人もいるし。
実際、神経痛や常習性頭痛の裏に重大な病気が潜んでいるケースは稀らしく、あんまり心配するとかえって悪化するおそれもありますよ。
この発作、夜中に起きることが多いのでタイヘンです。
寝違えの項でも書きましたが、激痛で眠れない(ような)状態にあっても、なぜか私、夜中には何もしない人なのです。ちょっと起き上がれば、2、3歩のところに薬箱があって、よく効くバハリンが入ってるのにさ。両手で頭をわっしと掴んで、そのうち軽くなるだろと、妙に楽観的に悶々として・・・この心理は我ながら理解できません。相性が良い薬でも飲み慣れると効き目が薄れるからなるべく我慢しようという意識があるのか、はたまた心の底では頭痛なんてたいしたことないとバカにしているのか。
そのうち眠気が痛みに勝って、気がついたら朝で、ケロリと治まっています。あれは夢だったのかと訝るけど、シーツはしわくちゃで枕には髪の毛がいっぱい落ちていて、のたうち回ったあとが歴然。次こそは絶対薬を飲むぞーと決心しても、すぐに忘れ去ります。
この発作をなんとか抑えることができないかと、ハトムギ(錠剤や粉末)やきなこミルクを飲んだりしましたが、効き目なし。
最近ニンニク油がいいかも・・・と思い始めました。ニンニク油を飲むと、どうも神経痛や頭痛が起きにくいような気がするのです。人に会う予定があれば前日は飲むのを控えますが、そんなときに限って、軽い神経痛が出てきたりして・・・まあ、偶然かもしれませんが。信じる者は救われる、原因不明の痛みに万策尽きた人は試すよろし。
薬局や通販広告にはニンニク油のカプセルや錠剤などが多数ありますが、別に私は健康食品会社の回し者ではありませんよー。飲んでいるのは自家製ニンニク油です。
作り方は次の通り。材料費300〜400円。
ニンニク5、6かけを細かく刻んで、オリーブ油1カップに入れます。容器ごと湯煎で温め、沸騰する前に火を止め、冷めたら油こし紙などでこします。
中国産ニンニクはやめときましょう。青森産は高いから、私は大分産を愛用してます。
冷暗所に保存して、朝晩小スプーン1杯飲みます。油を飲むという行為には、初め喉の抵抗がありました。ニンニクの香りとピリッとした刺激があります。味噌汁やスープに混ぜるのもOKだけど、まずくなりそうで気乗りしません。100度以上で加熱すると有効成分(アホエン)が壊れるので、炒め物には向かないとか。
2006年09月01日
背に腹は代えられぬ
けっこう気軽に使われる慣用表現です。意味も用法も正しく広まっているし、「ら抜き」の汚染も受けていません。なお、手持ちの国語辞典では2冊が「替えられぬ」で出ていて、1冊には「代えられぬ」と表記されています。代替可能な漢字なのでしょう。
英語ではことわざの“Near is my shirt, but nearer is my skin”を対応させたりするけど、ニュアンスがずれますな。
つらつら考えると、なんとも奇妙な言い回しではありませんか?
「背に腹を替える」って、いったいどういうこと? そんなことが可能なんでしょうか。不可能だからこそ「替えられぬ」となっているんだけど、むしろ「仮にできたとしてもするわけにはいかぬ」という意味合いが強いように感じます。
子供時代の私の解釈では、おなかを背中にしたらおなかが両側にできて食べる量も2倍必要で家計がパンクするからダメなんだ・・・って、せこいような案外いじらしいような。
そもそも背と腹とではどちらが大切なんでしょう。
「腹は背の代用にならない」ってことですから、背は腹よりも格が上ってことですよね。そりゃ腹には支える骨がないから、背に持ってきたらグニャグニャして上体が折れてしまう。とはいえ、腹部には背中とは比較にならないほど重要器官がみっしり詰まっているんですよ。背中がなくても生きていけるかもしれないけど、背を腹の代わりにしたら人はたちまち死にます。昔の人だってそのくらいわかっていたから、ハラキリなんて手法を編み出したんでしょ。「背は腹に代えられぬ」だったら納得なのにねえ。
とまあ、夏休み明けで少しはましな話題を持ってくるかと思えば、相変わらず詮無きことをうだうだと。
別に寝暮らしていたんじゃありません。実はこのたび、サイトに広告を貼ることにしました。はい、背に腹は替えられぬというわけです。ふぉっふぉっふぉ。
ついでながら、以前作った人形を近所のショップで売り出しました(ホテルニューオータニ博多の隣・・・出張の際はお立ち寄りください)。背に腹は代えられぬとばかりに、思い切ったお買得価格で出しております。これで不良在庫が一掃できるかどうかは不明ですが。
英語ではことわざの“Near is my shirt, but nearer is my skin”を対応させたりするけど、ニュアンスがずれますな。
つらつら考えると、なんとも奇妙な言い回しではありませんか?
「背に腹を替える」って、いったいどういうこと? そんなことが可能なんでしょうか。不可能だからこそ「替えられぬ」となっているんだけど、むしろ「仮にできたとしてもするわけにはいかぬ」という意味合いが強いように感じます。
子供時代の私の解釈では、おなかを背中にしたらおなかが両側にできて食べる量も2倍必要で家計がパンクするからダメなんだ・・・って、せこいような案外いじらしいような。
そもそも背と腹とではどちらが大切なんでしょう。
「腹は背の代用にならない」ってことですから、背は腹よりも格が上ってことですよね。そりゃ腹には支える骨がないから、背に持ってきたらグニャグニャして上体が折れてしまう。とはいえ、腹部には背中とは比較にならないほど重要器官がみっしり詰まっているんですよ。背中がなくても生きていけるかもしれないけど、背を腹の代わりにしたら人はたちまち死にます。昔の人だってそのくらいわかっていたから、ハラキリなんて手法を編み出したんでしょ。「背は腹に代えられぬ」だったら納得なのにねえ。
とまあ、夏休み明けで少しはましな話題を持ってくるかと思えば、相変わらず詮無きことをうだうだと。
別に寝暮らしていたんじゃありません。実はこのたび、サイトに広告を貼ることにしました。はい、背に腹は替えられぬというわけです。ふぉっふぉっふぉ。
ついでながら、以前作った人形を近所のショップで売り出しました(ホテルニューオータニ博多の隣・・・出張の際はお立ち寄りください)。背に腹は代えられぬとばかりに、思い切ったお買得価格で出しております。これで不良在庫が一掃できるかどうかは不明ですが。