2006年10月31日

アクセスアタック

なにせ弱小ブログですからアクセスも微々たるものです。見てもしかたがないアクセス解析を時々覗きますが、昨夜トップページに異常なアクセスが集中していることに気づきました。数時間で1万件近くに上っています。1万人も来たのではなく、たったひとり、いや、人ではなくロボット。プログラムでリファラを作っての連続攻撃らしい。
誰がなんのためにそんなことを?
時間帯から見て海外からの可能性もあるけど、読めもしないのに・・・うーむ、謎。
ブログのテキストは別サーバで管理されていて、メインのabc-abc.netへは特段の影響はないのですが、そのため詳細なログも取れず、IPなどは不明。

訪問者が少ないと勝手なことを書けて気楽ですが、だからって気分が晴れるほど好き放題に書き散らしていたわけでもありません。
まあ、一般公開している以上、どんな弾みで他人の恨みを買うやも知れず、その「弾み」なんてものはおそらく当人には理解できないようなことだったりしますから、慎重に身を処したところで限界がありましょう。トラックバックは片っ端から削除してるけど、そんなのいちいち根に持ってたらスパマーは勤まらないはずだし。

ブログに限らず、人付き合いが悪い私は拒絶的な印象を与えているみたいです。
こういうブキミなことがあると、ますます引っ込み思案になりそう。
投稿者:ルノ 21:06 | コメント(0) | トラバ(0) | パソうつ
2006年10月28日

肩こり知らず

私は生まれてこのかた、肩こりを経験したことがありません。

「まあ、なんて幸せな人!」と、多くの女性がうらやみ、憎たらしく思うのではないでしょうか。
それくらい肩こりは普遍的な病気、というか、症状です。特に女性は、老も若きも悩みの種。

「外国人は肩こりを理解できない」「肩こりは日本特有の概念だから」「外人が日本に来て『肩こり』という言葉を覚えると肩こりが始まる」といった聞きかじり説をまことしやかに語る人がおりますが、どこの国の人だって肩くらいこるでしょう。英語ではstiff shouldersとかstiff-neckednessとかいうらしいです。もっとひどいのはfrozen shoulderといい、これは五十肩のことです。
改まった席や堅苦しい状況を『肩がこる』と比喩するように、人目と体裁を気にする日本人はやたらと肩がこりやすい体質(気質)ではあるようで、日本特有は大げさでもそれに近い・・・国民病みたいなものでしょうね。

実は私が肩こりを知らないというのは間違っているようです。
「えー、ホントに肩こりしないのぉ?」と不審がった同僚が私の肩を揉んで「すごくこってるじゃない。よく平気ねえ」と呆れたことが何度もありました。指の関節がはれて整形外科に通ったとき、リハビリ担当者に「肩もこってますね」と言われました。専門家の判断だから間違いないでしょう。
だからって、支障を感じたことはありません。

そもそも肩がこるってどういうこと?
肩の筋肉がこわばって固くなるんですよね。寝違えなどと違って、痛いわけじゃないんですよね。
痛くないのに何がつらいの? 肩なんてもともと固いもんでしょう。おっぱいみたいに柔らかかったら、バッグもかけられない。肩は固くて当たり前と開き直れば、案外楽になりはしないか?

思うに肩こりとは「肩がこったことを苦痛に感じる状態」なのです。不眠症が「眠れない病気」ではなく「よく眠れないと悩む症状」であるのと同様、きわめて主観的な病気なのです。

いくら肩がこっても自覚がない私は、今後も肩こりとは無縁の人生を歩むでしょう。こーゆー人間って、何かと「無神経だ」「思いやりがない」と陰口たたかれるんですよね。
・・・。
投稿者:ルノ 22:01 | コメント(2) | トラバ(0) | 美容と健康
2006年10月27日

クリスマスは異教徒の祭り

ショーウィンドーにクリスマスの飾り付けを見た人が『早いものだなあ、もう10月か』とつぶやくアメリカの一コマ漫画が『進化した猿たち(星新一)』で紹介されたのはずいぶん昔のことです。
クリスマスシーズンはその後も伸び続けているのでしょうか。うちの近所には『1年中クリスマス』というコンセプトの店がありましたが、いつのころか普通の雑貨屋に模様替えしました。やはり暑いと気分が出ないものです。

12月に入ると、クリスマスっぽく彩られたホームページが目につくようになります。

私も例年なんやかやとクリスマス更新をおこなってきました。ページデザインはそのままに、クリスマス専用ドールを作って写真を載せるだけですが、日本語版と英語版の2体が必要で、それぞれ違った趣向を目指すので、かなり手のかかる作業です。さらに25日には大急ぎで片づけて振袖人形などへの差し替えを迫られます。

たかが異教徒の行事にこうまで振り回されるなんて・・・。

で、今年からは取りやめにしました。
というか、諸般の事情で新しい人形ができていない状況。クリスマスどころじゃありません。

さて、私は『異教徒』と書きました。
しかし異教だの邪宗だの外道だのという排他的表現を使う資格があるのは、確固たる信仰を持っている人のみです。無味無宗のわたくしにとってキリスト教は理解しがたい外国産文化の一形態、みたいなもの。

わが国で本物のキリスト教徒はわずかです。が、クリスマスがキリスト教の教祖であるイエス・キリストの誕生日(ということになっている)という知識は、ほぼすべての日本人が持っています。信者でもないのに。お釈迦様の誕生日を知っている人はおそらくもっと少ないでしょう。ムハンマドとなると、「誰? それ」って反応。ショーコやリューホにいたっては関係者くらいしか・・・。

現実に教祖殿の誕生日を祝う人がいるかどうか疑問ですが、クリスマスは日本人にとって非常に重要なイベントです。
政教分離の原則を盾に総理大臣の某神社参りに反対する人々も、首相官邸でのクリスマスパーティは不問に付すでしょう。
クリスマスに限りません。教会で結婚式を挙げることは女性の憧れだし、バレンタインデーにはチョコレートが飛び交います。

ジーザス・クライスト大多数が無宗教である日本人がキリスト教にこんなにも寛容もしくは親和的なのはなぜでしょう。
最大の理由はキリスト教のヴィジュアルで華やかな雰囲気じゃないかな。とりわけクリスマスは五感に訴える素材が満載。ツリー、雪、カード、ケーキ、七面鳥、シャンペン、ひいらぎ、ジングルベル、トナカイ、サンタクロース、赤と金のストライプ、プレゼント・・・。商魂をかきたてられなきゃ商売人失格でいっ。
おまけにイエスさんご本人がこれまた絵になるヴィジュアル系です。

諸外国でもクリスマスは年間最大の稼ぎ時です。クリスマスの演出が派手になったのはコマーシャリズムの賜物に違いありません。
このごろはクリスマスから宗教色を薄める傾向が出てきているようです。メーリングリストなどでも、Merry Christmas だった挨拶がHappy HolidaysやHappy New Yearに移ってきました。キリスト教は信徒の多さゆえか傲慢で独善的でしたが、世界には違う宗教やいろんな立場を持つ人々がいることをようやく認め始めたのでしょうか。
いや、もっとあざとい魂胆がありそうですぞ。つまり宗教を離れたイメージを付与することで、より多くの人々を商戦に巻き込み、売り上げ増が期待できます。
宗教と完全に切り離して無邪気に騒ぐ日本の成功例に触発された・・・とはうがってますか?
投稿者:ルノ 22:28 | コメント(2) | トラバ(0) | 世相=世間相場?
2006年10月23日

先勝・大安・友引

日本シリーズがたけなわです。
2回終わっただけで「たけなわ」という表現は気が早くないか? この勝負は先に4勝したほうが日本一になるので、最短の4回で決まるなら、2回が中間というケースもありえます。そんなふうな一方的展開ではあまり盛り上がらず、たけなわかどうか不明なうちに終わっちゃうかな。

先に4勝? 後に4勝しても逆転はムリ?
後に4勝は不可能ですよ。片方が4勝したら以降の試合は打ち切られるんだから。

ならば「先に4勝すれば日本一」ではなく「4勝すれば日本一」と言えば済むと思うが。

「先に4勝」は取り立てて「違和感を感じる」ほどではありませんね。
「後の後悔」「急いで急行する」などと違って、見た目の重複がないからでしょうか。

これは重複表現ではなく、慣習的説明過多です。「そう言ったほうが呑み込みやすい」という程度のものです。実はこうした過剰説明を完全に排除すると、文章はまことに味気ないものとなってしまう、のみならず誤解を招くおそれが無きにしも非ずなのです。
日本ではしつこいくらい懇切丁寧に説明しないと(いや、したとしても)わかってもらえない・・・ような風潮がありますし。

ところで日本シリーズは日本一を決めるゲームでありますが、負けた側は日本二(第2位)ということになるのでしょうか。そういうわけでもないようです。スポーツ無知な私にはよくわからん。
投稿者:ルノ 21:22 | コメント(0) | トラバ(0) | イチャモン日本語
2006年10月22日

鴉昇天

翼が欲しい。
そう願っていたのです。

別に「束縛から逃れたい」とか「飛躍を求めて新たな可能性にチャレンジしたい」とかの比喩ではありません。
単に鳥類の翼(羽根ではなく)が欲しかっただけ。ある程度の大きさがあって、できれば漆黒・・・鴉(カラス)あたりが適当だな、と。

黒天使の人形を作ろうとした私の前に「翼のリアリティ」が立ちはだかったのです。
なるべくそれらしい質感と形にしたいけど、構造がよくわからない。
翼とはすごいものです。空を飛ぶという機能も驚異だし、形が美しい。たためばボディにぴったり沿い、広げても羽根が希薄にならないフレキシビリティが見事。やはり筋肉が伸び縮みしてそうなるんでしょうか。
下着や服を作るときにはしばしば分解・分析に取り組む私。本物の翼を分解すればきっといいものができるだろう。むしろそのまま干物にして人形にくっつけちゃったらどうかしら。無知な素人の半端な加工により腐ったり虫が湧くおそれなんか頭にないのでした。

問題はどうやって烏の翼を手に入れるかってこと。
カラスってのは凶暴で頭がいいから、虫取り網なんかで捕まえるのは無理だろうな。
理想は・・・歩いていたら目の前にカラスがぼとっと落ちてきて死ぬこと。

そんな都合のよい事態にはたして出くわせるのか? いちおう賭けてみよう。楽観的な人だ。
で、はさみを持ち歩くことにしたのです。ドイツ土産にもらったヘンケルの小型剪定ばさみ。切れ味抜群。血が出るかもしれないから、黒いポリ袋と100円ショップで買った使い捨て手袋も常備しました。





そして数年。

人造の羽根を貼りつけた黒い天使はとっくに完成して、ロサンゼルスに旅立ちました。
Angel

その後ガチョウの羽根を貼りつけた白い天使もできました。

バッグの中にカラス3点セットを眠らせたまま、翼を欲しがったことなどすっかり忘れておりました。
普段からあまり出歩かないし、そもそも我が街は特殊なゴミ収集システムによりカラスが少ないことで全国的に有名なのです。死体どころか、生きたカラスだって珍しいくらい。

なのに、まさかの棚ボタに遭遇してしまったのです。

図書館からの帰り、遠回りして散歩がてら川沿いの細い道を歩いていたら、カラスが落ちていました。目を開き、くちばしを開き、ピクリとも動かず。
目の前に落ちてきたわけではないが、ほぼそれに近い状態。車道の真ん中に何分間も無傷でいられるはずはないんだもの。
おお、カラスじゃ、カラスじゃ。ついにはさみの出番が来た。リュックを漁ろうとして、ぎくり。数歩向こうに小学生くらいの女の子と男の子が立ってじとっと見つめている。どうも私よりも先に発見したみたいでした。道端に落ちてるゴミを拾うのに文句を言われる筋合いはないんだけど、興味津々の視線を逸らしてくれなくて、ヘンに決まり悪い。とりあえずポリ袋に突っ込んで人目のないところへ運び、翼だけ切り取って持ち帰ろうか。
そこへ車が走ってきたので、急いで翼の端っこをつかんで歩道に引きずりました。ずしっと意外な重量感。
子どもたちは相変わらず無言で私の手元を見つめています。おまけに上空がやけに騒がしいのに気づき、見上げれば多数のカラスが群れているのです。カラスが少ないこの街になんで〜といぶかると、近くにうっそうと木が茂っていて、たぶん神社かそんなのがあるようでした。カラスたちは電線に止まってぎゃあぎゃあ鳴きながらも、仲間の死体を注視しているのは明らかで、何羽かがしゅっと低空飛行でそばまで飛んできて、妨害めいた行動に出るのです。まるで私の意図を察したみたいで不気味。

結局、怖気づいて立ち去ることにしました。見つけてから2分と経ってなかったと思います。
子どもやカラスの邪魔が入ったからよりも、心構えが足りなかったというか、カラスの重さにビビッたのが最大の理由だとしておきましょうか。カラスってけっこう巨大な鳥なんだ。それにやっぱり血を見るのは苦手だしぃ。

実はこれ、昨年10月の出来事です。5年日記で見つけたネタ。
死骸も地面にも血は全く流れていなかったのですが、死因はいったいなんだったろうと後で不安になりました。もし鳥インフルエンザだったらどうしよう、翼に触った程度で深入りしなくて幸いだった。と、臆病な自分を慰めたのでありました。

ちゃんとした黒い翼にはまだ未練があって、機会あらば孔雀くんを作りたいんだけどなあ・・・。
投稿者:ルノ 22:15 | コメント(0) | トラバ(0) | 人形・ぬいぐるみ
2006年10月20日

蕭殺デイズ

何事にもやる気がおきない状態で、夢かうつつかうつらうつらとうつうつ・・・ふと我に返り、あまりに多くの日々を無為に費やしたことに愕然といたします。

十代のころ、欝(also 鬱)という漢字が好きで、ちゃんと書けてました。今は無理だろうな・・・。

当時、鬱病ないし躁鬱病は立派な内因性精神病で、その後統合なんたらと改名した分裂病と東西横綱の地位を分け合っておりました。内因性とは原因不明というほどの意味ですかね。
派手で理解不能な精神症状を呈するスキゾに比べ、喜びや悲しみといった誰でも持つ感情が亢進しただけに見えるうつ病は、地味で罹り甲斐がない(?)みたいで、命にかかわる度合いが癌や脳卒中よりもはるかに深刻な点は一般の人に理解されていません。深刻さが減ったはずはないのに、今やうつ病は『誰でもなる(可能性がある)ポピュラーな病気』に昇格もしくは成り下がってしまいました。

うつ病増加の背景には、病態解明の進歩、診断基準の変化に加え、社会が生きにくくなったことも挙げられましょう。内因性の病気は世情に左右されないものですが、躁病が鬱病に比べて圧倒的に少ないという事実は、この病気がもともと環境の影響を受けるものであることを示しています。そしてうつ病の中で抑うつ反応と呼ばれていたものは明らかに環境とのかかわりを深く持ちます。傍目には贅沢な引っ越し鬱病や昇進鬱病は昔から知られておりました。

そんなにありふれた病ならスキゾタイプの私がなったっていいだろ、えーい、なっちゃえ、なっちゃえ・・・てなノリでデプレッションに突入する人がいたっておかしくない。
名づけて『パソうつ』・・・引っ越しうつ病の亜型みたいなもんです。
だってパソコンを買い換えて以来、パソコンの前に坐るのが億劫で、ページ更新もしたくないし、ネットサーフィンも気が進まず、メールは書けず、ダイヤルアップ時代はなるべく毎日ログインしていたミクシィは今や放置状態、常時接続にしたらまず取り組むつもりだったアマゾンやPayPalは先送り・・・。パソコン周辺から発するデプレスの瘴気が部屋中に垂れ込めているのです。

要は、新しいパソコンに慣れず、使いこなせていないだけなんだよね。

ハードにおいては黒いボディでホコリが目立つし、消費電力が大きくて、旧パソコンの2倍以上というのは意外です。キー数を減らした小さなキーボードなのでページダウンやアップがワンキーでできないのが不便。NumLockのランプがまぶしすぎるので、テープを貼って隠しました。んな爪楊枝の先ぽっちの灯りがまぶしいだなんて、もはやノイローゼ?

OSではXPのいろんなやり方に戸惑いを覚えます。ファイル表示の順序が理解できず、操作がやりづらい(なんでf00.jpgがfa1.jpgとfpx.jpgの間にあるんじゃ?)。光学マウスの反応がやけに鈍い、というか選択的無反応を呈するのは、ハードよりもOSが悪いような気がする。何事にもオンラインで作業することが前提のシステムというのも問題かなあ。一番苛立つのがIMEの馬鹿さ加減。誤字脱字剰字はぜーんぶこいつのせいだー。

新しい環境にすばやく馴染めないのはおつむが硬くなった・・・老化の証なのでありました。

思えば10数年前、初めてATOKに接したときもその馬鹿さ加減に呆れたもんだった(その前はシャープの書院→富士通)。日本語変換機能はどれも一長一短であって、すべては『慣れ』が決めるのです。でも一太郎の置換機能はやっぱ秀逸だぁ。

自分のページの表示確認もしたいけど、これがまた憂鬱のタネなのです。チラッと見ただけでうんざりしました。とりわけ写真が異様に白っぽく、画質が劣悪。蟹は甲羅に似せて穴を掘ると言いまして、おんぼろディスプレーでちゃんと見えるように、極力明るく編集してアップしていたのがあだでした。貧弱な環境しか知らなかった自分がかなしー。しかし広い液晶もむらがあって見にくさには大差ありません。

新しいパソコンに合わせてそろえなければならない周辺機器やソフトが多くて、先立つものの事情から優先順位を決めかねます。

先日チラシでプリンタの安売りを見つけ、早起きして出かけたけど、すでに売り切れておりました。昔プリンタとスキャナに5万円近く投じたのに、今では数千円で買えるんですねえ。とはいえ古いものはまだ壊れてないからもったいない。メーカーが対応ドライバを出さないのは新製品を買わせたいためか。

ページの更新が滞っているのは、ホームページビルダーが使えないというまるきり初心者な理由からです。
当面は既存ページの修正程度だから、メモ帳とFTPで上級者のフリ(他人にはわからんので自己満足)。しかしメモ帳はあまりに使い勝手が悪いので、TeraPadをダウンロードしました。完璧とは言わないものの、シンプルで高機能、これで無料だなんて信じがたいほど有能なソフトです。同じく高機能フリーソフトFFFTPにも併せて感謝申し上げます。
こうした素晴らしいツールをご提供くださる人々を見ると、私も何か世の中のため役立つことをしなきゃあと思うんですけど・・・。

鬱々としているばかりでは何も進展しませんね。

で、とある方策を採用。マウスを左手で操ることにしたのです。私は右利きです。左手の活用で右脳を鍛えるとか、右手の負担を減らすなどの効用を聞き、以前にもトライしたことがあります。当時はドット単位の範囲指定など細かな画像処理を頻繁におこなっていたのですぐに挫折しました。
今回の左マウスは、パソコンの使いづらさを左手に責任転嫁するためです。
たどたどしい動きで失敗も多いのですが、それに気を取られてハードやソフト本来の欠陥を見過ごしてしまうかな、と。そして左手が器用になったころには新しい環境にも慣れているはずと期待しましょう。

結局のところ私はしたたか過ぎてうつには不向きでありました。
投稿者:ルノ 12:26 | コメント(0) | トラバ(0) | パソうつ
2006年10月04日

地に落ちたヤフーカテゴリ

今度は電話機が壊れました。
なーんかこのごろ電話がかかってこないなあ、でもま、こんな時期もあるさ・・・なんて思っていたら、ベルが鳴らなくなっていたんです。
アナクロ生活を享受する私は携帯電話など持ちません。我が家の片隅にある有線電話が外界とコンタクトを取る一番の手段です。
「えーっ、今どきそれで生きてゆけるのぉ?」だって必要性を感じたことがないんだもの。

電器店で電話機を物色していたら、男の人に声をかけられました。
「アンケートよろしいですか」どぞ。
「インターネットしてますか。回線はNTTですか。プロバイダに不満はありませんか」ちょっと高いのよね。
「ヤフー使ってみませんか、安いです」要りません。
「2ヶ月間無料ですよ」ヤフーは嫌いです。ぷいっ。
相手は仏頂面で引き下がりました。ヤフーよ、アンケートにはイケメンを雇いたまえ。

昔からヤフー嫌いをもって任ずるわたくしでありまして、その理由は、えー、なんというか、カテゴリ掲載にまつわる逆恨み、みたいなもんです。ぷは。
が、Google八分ならぬ六分のさなかで、訪問者の7〜8割を送り込んでくれるヤフー様の悪口など言っちゃバチが当たる。

検索エンジンの能力を評価するのに一番わかりやすい基準は「自分のページへの評価」です。自分のページを上位表示してくれるエンジンが有能だと思いたいのは人情でしょう?
その伝で私のランキングは、1位MSN、2位ヤフー、34・・がなくて11位くらいにGoogleてなことになります。
MSNサーチはまこと素晴らしいんですが、利用者が少ないのは致命傷。
群を抜いたシェアを持ち一応私好みの検索結果を出すヤフー・ジャパンには、文句のつけようがない。惜しむらくはヤフー・サーチ・テクノロジーの仕組みがさっぱりつかめないこと。

昔はヤフーカテゴリに載ると、とたんアクセスが跳ね上がりました。ウェブマスターたちは掲載を目指して必死だったのです。
当時のヤフー検索はカテゴリ登録サイト(トップページ)のみが対象であり、キーワードはタイトルとカテゴリ名とヤフーが設定した簡単な説明文のどれかに該当する必要があって、詳細情報を捜すのには向きませんでした。しかしヤフー利用者はインターネット初心者が多く、ヤフーで検索すれば必要な情報が得られると無邪気に信じていたのです。

それでは時代に取り残されるとの危機感からか、Yahoo/ヤフーは新たなシステムを採用し、カテゴリ登録と(ほとんど)無関係に、ウェブ検索を主体とする(真の)サーチエンジンに変貌しました。
今でもサイトの推薦をする人が絶えないのは、カテゴリ掲載がYST検索上優遇される、訪問者が直にカテゴリをたどって来てくれる、カテゴリ重視のユーザがディレクトリ検索をしてくれる、リンク元が増えることで他の検索エンジンにも好影響を与える(たとえばGoogleはYahooディレクトリへの掲載が有効だと認めています)等々の期待からでしょう。

実際の話、新規掲載から数日後には、当該ページについては検索順位が上がることがあります。ページ内やリンクアンカーにないワードでも、カテゴリ名に含まれれば案外上位で検索され始めたりもします。ただしそれが都合よく運ぶのは、ページがYSTに適合した作りになっている(SEO対策が万全)場合のようです。
単に掲載されただけでは、検索結果への反映も微々たるものです。カテゴリをたどって来る人も減る傾向にあります。不人気カテゴリならばアクセスも見込めません。

先だって久々にYahoo.comのトップページを覗いたら、ディレクトリのリストが見当たらず、ディレクトリへのリンクも消えていました(あるけど英語が苦手で見つけきれなかった? JavaScriptオフなら上のほうのDirectoryをクリックすれば行ける?)。たぶんずっと前からそうなのだと思います。Yahoo.comがカテゴリ重視をやめたのはずいぶん昔ですから。
Googleなどで検索されたディレクトリページから掲載ページに行く人がいるから、それなりに存在価値はあるのでしょう。

日本人のヤフー傾倒は特殊であり、ヤフー・ジャパンはなかなか本家に追随できずにいますが、トップページからカテゴリリストがなくなるのはおそらく時間の問題。ヤフー自身も人手と時間を食うカテゴリ運営を重荷に感じているに違いありません。カテゴリを徐々に衰退させ、人々の目を別のコンテンツに向けさせようとの方針ではないでしょうか。
投稿者:ルノ 22:08 | コメント(0) | トラバ(0) | サイト運営
2006年10月02日

しっかりしろよ、ソニー

パソコンが新しくなっても、私の生活全般は依然アナクロいままでして、その具現のひとつが、カセットテープで音楽を聴くという行為でしょう。

その貴重なカセットテープレコーダーもあえなく壊れ、テープが回らなくなってしまいました。

たぶんベルトが切れたんだろうと判断しまして──10年ほど前修理に出したとき予備のベルト(黒い輪ゴムみたいで、頼りなげな品)をもらっていたので──自分で取り替えようと、カバーをはずして中を覗いたのです。

プレスマン

テープレコーダーなんてどうせ単純な機械と高をくくっていたら、なんとまあびっしりといろんな部品が詰まっていること。
発売当時は『世界最小』とのフレコミだったそうで、どのパーツもあるべき位置にピシッと収まって無駄も余裕もない緻密さ。さーすが世界のソニーの技術力。

確かにベルトが1本切れていました。しかし奥の奥の歯車に絡まっていて、上の部品をのけないと引っ掛けることができないように見えました。
慎重に慎重を期して作業すべきだったのに、いじくっているうちに小さなスプリングが飛び出し、得体の知れない分銅のようなものが転がり落ち、スピーカーへの配線を引きちぎってしまい、それでも奥にたどり着けなくて、ついにギブアップ。こんな精密機器をシロートが自力で直そうなんて、はなから無謀な試みでした。

私くらいまでの世代には、ソニー神話というか、ソニーの製品なら大丈夫といった絶対の信頼感みたいなものがありました。とりわけ小さくても機能豊富で精巧な点は他の追随を許さず。近年その信頼は揺らいでいます。ビデオでつまづいたころからおかしくなってきたのかもしれません。フロッピーカメラなんてヘンなものを作ったり・・・。
このごろはソニーのバッテリーを搭載したノートパソコンが火を噴き、膨大な出費を迫られているとか。コストダウンへの焦りと過去の栄光による慢心がずさんな開発を招いたんじゃないんですか?
信頼さえあれば、消費者は高くても買うのに。ちなみにこのテレコの価格、記憶によれば4万円超でした。
投稿者:ルノ 18:14 | コメント(2) | トラバ(0) | 世相=世間相場?