右脳人間なんて言葉が話題になったのはずいぶん前ですが、今でも人のタイプを右脳型、左脳型と分けることがしばしばあります。おおざっぱに芸術肌は右、理論派は左。こくごやさんすうができる子は左、おえかきやおんがくが得意なら右、と。
思考や行動の種類によって脳の働く場所が決まっているのは確からしいけど、それをもって人を右脳・左脳と分類してしまうのはいささか乱暴です。科学的医学的根拠はないといえましょう。
こういう分類って、日本人の心根にはまるみたいですね。
非科学的といえば、
血液型性格診断も日本独自のカルチャーです。
黒髪お茶目オークル肌で均質な民族だし、学校や会社では制服を着せられるから、何かで分けて遊びたい・・・ってことでしょうか。
お遊びだと割り切ったうえで乗ってみますと、私は自分を左脳人間だと思います。
わりと理屈っぽいし、画像よりも文章を好むし。でも算数は苦手だな。要は芸術的センスに不自由しているから、右ではありえない、やむなく左。ちょっと情けないような消極的理由です。
「人形作りには芸術的センスが必要だろもん」などと姑息な慰めはよしてください。自分の作ったものを眺めると、どうにもセンスが悪いと「論理的に」判断せざるを得ないのです。
えー、しつこいようですが、「姑息」とは「その場しのぎ」という意味です。←こーゆとこなんか、左っぽい。
ちなみに「右脳左脳なんて考え方は非科学的だ」とバカにする人々は、例外なく左型です。お遊び、お遊び。右往左往。
欲を言えばもっと左翼でありたいのですが、普通の人ならはっきりわかるほど偏ってはいないものです。
右脳人間を自称する人でも、6対4、あるいは5.5対4.5くらいじゃないのかしら。あまりにバランスが崩れると生きにくいはず。
各界で活躍する才人たちには、どちらも群を抜いて優れている人々が大勢います。一般人が足して10程度のところを、8:7とか、6:11とか。
21:13、18:18ともなると、万能の天才。天才と呼ばれる人々は偏っていることが多いのですが、サヴァン症候群は、26:2みたいに極端です。なお、これらの数値は適当に打ったもので、根拠はありません。
人の潜在能力は広大で深遠であり、私みたいな凡人にだって天才と同等の能力が備わっているらしいのですが、たまたまそれが発現していないだけなのです。多くの人では持てる能力の数パーセントが使われるのみと聞きます。
知的障害者が恐るべき画才を発揮したり、視力を失った人の聴力が並外れて優れている事例は枚挙にいとまありません。後天的障害であっても、代償的にほかの機能が急速に発達するのが常であり、もともと人が無限の可能性を持つことを知らせているのです。
運動神経や絶対音感は遺伝的な要素が大きいと誰もが思っています。しかし生育環境が及ぼす影響は無視できません。音楽家の子どもは音楽に囲まれて育つのですから。
反面、音楽とは無縁の家系に生まれた全盲の子どもが、誰に教わることもなく天才的音感を示すことは稀でないとか。
人間はほかの動物に比べると、とりわけ視力を発達させてきました。見えないと実生活上不便の度合いが高いのです。それだけに視力障害は代償能力をより高めるのかもしれません。
凡人がそうした才能を代償ではなく得ることは可能なのでしょうか。
教育や訓練、本人の努力ではまず無理です。私の定義によれば努力できないのが凡人ですし。
生きるか死ぬかの壮絶な体験で「人が変わる」ことはありえます。それを人為的にプログラムしたのが「修行」というシステムかもしれません。厳しい修行によりある程度のレベルまで到達できる場合がありますが、天才に匹敵する力を得るには更に「突き抜ける」ことが必要です。
結局普通の人には無縁の世界なのです。
さて、左右脳の使われ方が民族や文化事情で異なるという話もよく耳にしますね。
代表的なのは、日本人は虫の音(むしのね)を左脳で聴き、西欧人は右脳で処理する。だから日本人にとって虫の声は何かを訴えるような風情をかもし、ガイジンにとっては雑音に過ぎぬ、と。
最近の日本人は洋風化されてきたらしく、隣の風鈴が耳障りだと怒鳴り込んだりするとか。私もどちらかといえば「虫の音=雑音」派です。蝉しぐれとなると音の暴力でしかない。激しい雨音はわりと好きだけど。
で、これについて、私は逆だと思っていたのです。
虫の音を左の論理脳が捉えたならば、それこそ雑音ではないのか。まさか鈴虫のリーンリーンがE=mc
2と聞こえるはずもあるまいし。かたや虫の音に心をなごませ、感情移入できるのは右の感覚脳のなせる技であり、なんらかの音楽的センスの持ち主でなければ困難だろうに、と。
そういう勘違いが生じたのは、左右の優位と左右の分担をごっちゃにしたからでしょう。それとも私に音感が不足しているせい?
私は芸術全般・・・絵画、造形、映画、書道、詩、音楽、どれも苦手ですが、とりわけ音楽のセンスは×です。
チェ・ゲバラを好きになったのは彼がオンチだったからだ、とか言い放ったくらいだしぃ。
そんな私でも音楽は聴くし、好き嫌いの判別もできます。
好みはもっぱら洋モノです。日本語の歌は全くダメ。聞くに堪えません。私にとって日本語の歌は「文章」なのです。文法ミスや文脈の論理的破綻が気になってメロディは耳を素通り。
その点英語のヴォーカルは意味不明だから楽器と同じなんですよね。つまり虫の音です。インストゥルメンタルではなく「声」の入ったものにこだわり、ドイツ語よりは英語を選ぶ背景には、別の要素が嗜好に反映されているのでしょうが。
まあ、そういうわけで、英語ペラペラになんかなりたくない。音楽に対する最後の楽しみを奪われるから。
それは「左脳人間を自覚するなら英語くらいできなきゃ」という皮肉に対する言い訳なのでした。