「玉箒」とは、お正月に養蚕室を掃除するほうきだったとか。実物がどんなものか知りませんが、美しいものに「玉」をつけるのが日本語の流儀ですから、実用品ではなく行事用の装飾的なものだと想像します。
人の世の憂さを払ってくれると称えられる酒ですが、その効力がほんの一時的だとは、どなたも経験的にご存知ですよね。
いくら酒をかっくらったってなんの解決にも手助けにもなりません。酔いが醒めてみれば、玉箒で掃き捨てたはずの憂いが倍になって戻ってきているのに気づくのが常です。
酒呑んでいいことなんか何もないでしょ。不味いしカロリー高いし金かかるし体きついし服に匂いがつくししばしば恥かくし人に迷惑かけるし後悔のタネだし。
酔っ払って眠り込み、気がつけば病院や留置場だったり、財布を盗られていたり。ついに酔いが醒めず、おらは死んじまっただぁになっちゃう人も。
自分が死ぬんなら自業自得で済むけれど、酒酔い運転で人を死なせてしまえばすまんじゃ済まぬ。もっとも現実には刑も軽いし、出所後は賠償もそっちのけでのうのうと生きている人が大半のようです。被害者や遺族はたまりませんよ。
飲酒運転をする人の多くがアルコール依存症だとか。依存症は病気であり、罹患者は平常から判断力がなく、罪の意識も生じません。飲んでいないときは一見常人なので野放しの現状です。
どうして人間は酒を飲むのでしょう。どうしてそんなに酒が好きなんでしょう。
この世から酒というものが消滅してもいっこうにかまわない私は理解に苦しみます。
酒飲みが幅を利かす社会において、飲める連中の横暴に泣かされているのは、体質的に酒を飲めない人々です。
契約獲得や上司へのおべんちゃらのため酒席にはべることを余儀なくされ、望まぬ宴会や飲み会に駆り出され、付き合いだからと割勘で不当な出費を強いられ、酔いつぶれた同僚を介抱するはめになり、どうかしたらイッキ飲みを強要されて急性アルコール中毒でぶっ倒れたり。
酒は人間関係の潤滑油などではありません。人の和という美名のもと集団行動を重んずる日本社会は、とりわけ下戸に過酷なしくみになっております。
日本人にはアセトアルデヒドを分解する能力が低い体質の人が多いのです。DNAがそうなっているのであって、努力や特訓でどうにかなるものではありません。そもそも酒を飲めない人がなぜに不要な努力を強いられなければならないのか。酒を飲める人々こそ努力して飲めないようになるべきだ。
アメリカが禁酒法を上手に続行していたら、なんせあの国のこと、日本を始め世界中にそれを強要したに違いないので、人間社会はどんなに安らかだったことか。
今からでも遅くない。せめて酒税を大幅アップしよう。大幅? うーん、現行の20倍くらい。
賢明な人は節酒もしくは断酒するかもしれないが、値段が上がっても飲む人は飲む。飲み続ける人は生活苦と健康苦から早死にし、酒に飲まれない人々のみが生き残ります。一種のふるいです。
破綻しかかっている日本経済は速やかに立ち直るでしょう。酒源病の減少で医療費が抑制され、酔っ払いの世話をする必要のなくなったお巡りさんは交通違反の取り締まりに精を出してじゃんじゃか罰金を取り立てて、国庫を豊かにする。アルコール飲料の売上は全体として減少するとしても、補って余りあるだけの税率アップで国はお金持ちー。
そんな無茶な、って?
そもそも国家の義務は、庶民の楽しみにつけこんで、取れるところ、取り易いところから税を搾り取ることです。明治時代にはウサギ税があったそうだし、トランプ税は平成まで続いたし。
酒とタバコは天井知らずに上げてよし。
と、酒に恨みがあるかのような攻撃を仕掛ける私は、別に下戸ではありません。
それどころか無類の酒好きと思われていた時代があったことは知る人のみ知る。
今だってチャンスがあればいくらでも飲めると思うんだけど、気乗りしません。どうせ代謝と時間を無駄遣いするのなら、チョコ食ってヒルネしたほうがなんぼかまし。
かつての飲兵衛がすっぱり酒を断ち切ったのは、いかなるテクニックによるのか。それはもう血のにじむような苦難の道のりでした。って、まさかね。意志が強いだけですよ。って、それもウソ。ほんとに意思強固ならお菓子をすっぱりやめてみろってんだ。
私が酒に溺れず己をコントロールできたのは、酒に対する姿勢が終始一貫していたからです。
酒飲みのころからふたつのルールを定めていました。参考にならないとは思うけど、禁酒を考えている人は真似していいですよー。
その1:ひとりで飲まない。その2:自分の金で飲まない。
両者は密接に関連しています。1はほぼ完璧に守れたようです。2のほうはやや難しいものの、我が体内を通過したアルコールの9割以上が他人酒、タダ酒、たかり酒であるのは事実です。
依存症になりやすい最悪の飲み方は、自分の家でひとりきりで飲むことです。自分の金で買った酒なら、誰も文句をつけることができません。
主婦が昼間っから酒に手を出せば、歯止めがかからなくなります。むしろ不倫でもしてボーイフレンドにおごらせるのがキッチンドリンカーへの転落を避ける道です。
飲むときは必ず誰かといっしょ。そう決めておけば、度を過ごすことも減ります。
酒好きとの評判ゆえかお歳暮に一升瓶の清酒をもらったことがありまして、ちょっと困惑。家に酒があってもしかたないのよね。で、お風呂にドボドボ。1回に一升じゃ物足りないかな。
タダ酒は難しいって?
人におごらせるだけがタダ酒ではありません。立場にもよりますが、打ち上げや懇親会、交際費で落とせる会合など、勤め人ならたいていチャンスがあるものでしょう。そういうときに飲み溜めしちゃうんです。自腹は切らぬをモットーにアンテナをめぐらせれば、なんだかんだと舞い込みます。
私など酔うと楽しい人なので、玉山崩るの期待もあいまって、飲ませたがる人は引きも切らず、整理券を配るほどでした(すでに酔っ払ってるみたいな書きぶりだな)。おごってもらうときに大切な心構えは「感謝」ではなく「傲慢」です。私がお酒をたしなむ姿は大金を投じてまで見る値打ちがあるんだ、と。そう信じなければ続きませんよ。
人の金で飲むには限界があります。結局のところ、私が完全に酒断ちしたのは、引きこもって実社会と縁を切り、飲ませてくれる人々がいなくなったからなのでした。
真に酒が好きな人には実践できないでしょうね。
でも、好きだと思い込んでいる人も、煎じ詰めればほんとうに好きなんでしょうか。酒に好かれているだけじゃないんでしょうか。
しらふのときにシビアに検討すると、お金を払って飲むほどのものではないとわかるはずなんですけどねえ。わからないとしたらすでに依存症です。
先ほど酒税上げろと書きましたが、実のところ、そんなのどうでもいいんです。
私が内心望んでいるのは「甘いもの税」です。なかんずくチョコレート、クッキー、ケーキ、アイスクリーム、大福餅には特別加算税を。これらの価格が今の20倍にもなれば、否が応でもほっそり体型が得られるはずなのに・・・。
2007年12月30日
物干しハンガー
ソックスや下着などの小物をつるして干す器具、どの家にもひとつやふたつありますよね。丸や四角の枠に洗濯ばさみがいっぱいぶら下がっている形の。
それが日光や風雨にさらされてプラスティック部分が劣化し、表面がボロボロとはがれ落ちて洗濯物を汚すようになりました。それでも10年以上もったのだからたいしたものです。日本製って丈夫なんです。ついている洗濯ばさみも少々もろくなったけど、バネはしっかりしています。
ともあれ粉が落ちるのは困るので捨てることにしました。
新しいのを買う前に、手近なもので代用できないだろうかと頭をひねったら、思い当たりました。
スカートハンガー。

これはですね、3段になった棒に固定式のピンチ(留め具)が2つずつついていて、スカートのウエスト部分をはさむのです。1本に3枚のスカートがセットできるから、狭いクロゼットを有効利用できるわけ。私はこのハンガーを3つ買い、それぞれに6枚以上はさんでいました。重量オーバーで、時折ずり落ちたり。
とはいえ、そんな衣装持ちだったのは過去の話。今ではスカートなんか全くはきません。このハンガーも無用の長物と化し、押入れで長いこといじけておりました。
吊り下げる部分をはさみで切り取りまして(パキンと簡単に切れます)、四角い枠にひもを渡して結びつけ、田の字にします。さっき切り取った提げ手を、田の中心に結びつけます。ありあわせの洗濯ばさみをぶら下げて出来上がり。もともとついていた留め具もそのまま利用できます。取り付け方がずさんで、斜めになっていますが、使用には差し支えないでしょう。

なお、見本としてつるされているパンてぃは、昔自作したものですが、私自身の愛用品ではありません。よけいな想像はなさいませぬよう。
不格好なものを手作りせずとも、100円ショップにはかわいくて使い勝手のよいものが並んでいます。雑貨店へ行けば、いくぶん高価だけど機能性と耐久性に優れたステンレス製品も選べます。
でも、そういう問題じゃないんですよね。
このスカートハンガー、きれいでしっかりしていて、捨てるには惜しい代物だったんです。またスカートをはく日が来るかどうかはともかく、スカートハンガーが必要になることはたぶんないような気がします。
その不用品が再利用できたという点を評価したいのです。将来ボロボロになったら、心置きなく捨てられるでしょうし。
この機にほかの使い道も探し、別のスカートハンガーを帽子掛けならぬ帽子はさみとして役立てることにしました。
大掃除で出てきたガラクタなど、捨てる前によっく考えれば何かに利用できるかもしれませんよ。
付記:
実際に使ってみたら、吊り手が固定されていると干すときに不便なので、回転するように作り変えました。
見映えもいくぶんスッキリしたと思うんだけど・・・。
それが日光や風雨にさらされてプラスティック部分が劣化し、表面がボロボロとはがれ落ちて洗濯物を汚すようになりました。それでも10年以上もったのだからたいしたものです。日本製って丈夫なんです。ついている洗濯ばさみも少々もろくなったけど、バネはしっかりしています。
ともあれ粉が落ちるのは困るので捨てることにしました。
新しいのを買う前に、手近なもので代用できないだろうかと頭をひねったら、思い当たりました。
スカートハンガー。

これはですね、3段になった棒に固定式のピンチ(留め具)が2つずつついていて、スカートのウエスト部分をはさむのです。1本に3枚のスカートがセットできるから、狭いクロゼットを有効利用できるわけ。私はこのハンガーを3つ買い、それぞれに6枚以上はさんでいました。重量オーバーで、時折ずり落ちたり。
とはいえ、そんな衣装持ちだったのは過去の話。今ではスカートなんか全くはきません。このハンガーも無用の長物と化し、押入れで長いこといじけておりました。
吊り下げる部分をはさみで切り取りまして(パキンと簡単に切れます)、四角い枠にひもを渡して結びつけ、田の字にします。さっき切り取った提げ手を、田の中心に結びつけます。ありあわせの洗濯ばさみをぶら下げて出来上がり。もともとついていた留め具もそのまま利用できます。取り付け方がずさんで、斜めになっていますが、使用には差し支えないでしょう。

なお、見本としてつるされているパンてぃは、昔自作したものですが、私自身の愛用品ではありません。よけいな想像はなさいませぬよう。
不格好なものを手作りせずとも、100円ショップにはかわいくて使い勝手のよいものが並んでいます。雑貨店へ行けば、いくぶん高価だけど機能性と耐久性に優れたステンレス製品も選べます。
でも、そういう問題じゃないんですよね。
このスカートハンガー、きれいでしっかりしていて、捨てるには惜しい代物だったんです。またスカートをはく日が来るかどうかはともかく、スカートハンガーが必要になることはたぶんないような気がします。
その不用品が再利用できたという点を評価したいのです。将来ボロボロになったら、心置きなく捨てられるでしょうし。
この機にほかの使い道も探し、別のスカートハンガーを帽子掛けならぬ帽子はさみとして役立てることにしました。
大掃除で出てきたガラクタなど、捨てる前によっく考えれば何かに利用できるかもしれませんよ。
付記:
実際に使ってみたら、吊り手が固定されていると干すときに不便なので、回転するように作り変えました。
見映えもいくぶんスッキリしたと思うんだけど・・・。
2007年12月20日
他山の品格
本にお金をかける余裕のない身に、図書館はありがたい存在です。
習慣として、調べたいことがあれば、インターネットよりも書物を優先します。情報の信頼性や新鮮さ等々はあまり問題ではなく、画面よりも紙のほうが目に優しいから。
本を買うことに及び腰なのは、経済的事情や収納場所の問題もさりながら、お金をかける値打ちのある本が少ないのも理由。
ほとんどの本は読後ゴミと化します。読んでる最中から腐臭を放つものだって少なくない。いやこれは、タダの本を漁ることで事前の吟味がおろそかになり、カスにぶち当たる確率が高いだけなのかもしれません。
もちろん身銭を切ることだってあります。
仕事(?)で必要なアニメ、コミック、ゲーム関連本は、公共図書館では品揃えが薄く、書店へ行くしかありません。こういう種類の本は使い終えたらほぼ無価値なので、古書店を中心に捜しますが、なかなか適当なものに巡り会いませんねえ。
まれですが、図書館で借りて読んだ本が気に入り、欲しくなることもあります。愛蔵目的で買うわけですから、古本ではダメです。
わが町の図書館では1年ほど前にICタグが導入されました。
さらにこのたび、借りたい本がインターネットで予約できるようになりました。
これまでも館まで出向いて予約票みたいな書類を提出すれば予約ができましたが、予約・借り入れ・返却と3度にわたって訪問しなければならず、面倒なものでした。少しは進歩した(便利になった)と受け止められていることでしょう。
私自身は予約してまで読みたい本などなく、図書館サイトを訪れたことはありません。
予約システムは人迷惑なものだと思っております。
1冊の本をひとりが占有する期間が大幅に延びてしまうのです。
しくみがこれまでと大差ないのなら、ある人が何かの本を予約すると、それを貸し出しできる状態になったら図書館から連絡が来ます。2週間以内に借りに行き、返却は2週間以内に行います。つまり確保から返却までに最大4週間、その本は書架から消えてしまうのです。
中には何か月も借りっ放しの不届き者も大勢います。
人気の本・話題の本・ベストセラーなどは予約がぎっしり詰まっていて、館内でお目にかかることはほとんどありません。
それではまずいと思うのか、図書館では貸し出し要望の多い本を何冊も購入します。結果、予算配分が偏り、もっと価値ある本に充てる費用が削られるのです。
本は現物を目にしたときのインスピレーションのようなものが重要だと感じます。なんの先入観も持たず、タイトルと著者名だけで未知の作家と出会い、豊作だったときの満足感は読書の醍醐味です。
たとえ結果的に豚の餌であっても、経験を積むことで本を見る目が徐々に養われると期待できます。
テレビや新聞やあまぞんでこれこれの本が売れてると聞きつけ、ならば乗り遅れないために目を通しとこう。そんな経緯で本を選んだところで、書物に対する感性が磨かれましょうか。
私はベストセラーなんてものには興味がありません。大勢の人が熱狂していること自体、わざわざ避けて通る理由になり得ます。
ただし「売れた=無価値」と決めつけるほどの偏屈でもない。数年後、顧みられなくなってボロッとしているものを借りて読んだらおもしろかった、てなことはけっこうあります。
新聞の書評も全然参考になりません。取り上げられる本が全般に高尚過ぎて、自分とは無関係な世界だなーって感じ。そんな低レベルでいながら「本への感性」を云々するんだからね、ヌケヌケと。
今年一番売れた本は『女性の品格』だそうです。
むろん読んだことはありません。手に取る気にもなれん。タイトルからして品格に欠ける。世の品格ブームに乗ってやろう=売ってやろう=儲けてやろう・・・と、さもしい根性が見え見え。思惑通りに飛びついた日本人(女性)の品格の程度も知れますわね。と、200万女性を敵に回すことを辞さないのであった。
せめてヨイショしてみますと、品格を得ようとして読んだ人々は、我が身の品格のなさを自覚しているわけですよね。それさえも気づかない人々よりはずっとエライ。その謙虚さをあらゆる局面で活かせば、きっと人生品格だらけになることでしょう。
ベストセラー本でなくとも、品格を身につける方法は転がっておりますぞ。
たとえばこの『貧盗恋歌』をじっくり読む。世の中には「他山の石」という言葉だってありますからね。
習慣として、調べたいことがあれば、インターネットよりも書物を優先します。情報の信頼性や新鮮さ等々はあまり問題ではなく、画面よりも紙のほうが目に優しいから。
本を買うことに及び腰なのは、経済的事情や収納場所の問題もさりながら、お金をかける値打ちのある本が少ないのも理由。
ほとんどの本は読後ゴミと化します。読んでる最中から腐臭を放つものだって少なくない。いやこれは、タダの本を漁ることで事前の吟味がおろそかになり、カスにぶち当たる確率が高いだけなのかもしれません。
もちろん身銭を切ることだってあります。
仕事(?)で必要なアニメ、コミック、ゲーム関連本は、公共図書館では品揃えが薄く、書店へ行くしかありません。こういう種類の本は使い終えたらほぼ無価値なので、古書店を中心に捜しますが、なかなか適当なものに巡り会いませんねえ。
まれですが、図書館で借りて読んだ本が気に入り、欲しくなることもあります。愛蔵目的で買うわけですから、古本ではダメです。
わが町の図書館では1年ほど前にICタグが導入されました。
さらにこのたび、借りたい本がインターネットで予約できるようになりました。
これまでも館まで出向いて予約票みたいな書類を提出すれば予約ができましたが、予約・借り入れ・返却と3度にわたって訪問しなければならず、面倒なものでした。少しは進歩した(便利になった)と受け止められていることでしょう。
私自身は予約してまで読みたい本などなく、図書館サイトを訪れたことはありません。
予約システムは人迷惑なものだと思っております。
1冊の本をひとりが占有する期間が大幅に延びてしまうのです。
しくみがこれまでと大差ないのなら、ある人が何かの本を予約すると、それを貸し出しできる状態になったら図書館から連絡が来ます。2週間以内に借りに行き、返却は2週間以内に行います。つまり確保から返却までに最大4週間、その本は書架から消えてしまうのです。
中には何か月も借りっ放しの不届き者も大勢います。
人気の本・話題の本・ベストセラーなどは予約がぎっしり詰まっていて、館内でお目にかかることはほとんどありません。
それではまずいと思うのか、図書館では貸し出し要望の多い本を何冊も購入します。結果、予算配分が偏り、もっと価値ある本に充てる費用が削られるのです。
本は現物を目にしたときのインスピレーションのようなものが重要だと感じます。なんの先入観も持たず、タイトルと著者名だけで未知の作家と出会い、豊作だったときの満足感は読書の醍醐味です。
たとえ結果的に豚の餌であっても、経験を積むことで本を見る目が徐々に養われると期待できます。
テレビや新聞やあまぞんでこれこれの本が売れてると聞きつけ、ならば乗り遅れないために目を通しとこう。そんな経緯で本を選んだところで、書物に対する感性が磨かれましょうか。
私はベストセラーなんてものには興味がありません。大勢の人が熱狂していること自体、わざわざ避けて通る理由になり得ます。
ただし「売れた=無価値」と決めつけるほどの偏屈でもない。数年後、顧みられなくなってボロッとしているものを借りて読んだらおもしろかった、てなことはけっこうあります。
新聞の書評も全然参考になりません。取り上げられる本が全般に高尚過ぎて、自分とは無関係な世界だなーって感じ。そんな低レベルでいながら「本への感性」を云々するんだからね、ヌケヌケと。
今年一番売れた本は『女性の品格』だそうです。
むろん読んだことはありません。手に取る気にもなれん。タイトルからして品格に欠ける。世の品格ブームに乗ってやろう=売ってやろう=儲けてやろう・・・と、さもしい根性が見え見え。思惑通りに飛びついた日本人(女性)の品格の程度も知れますわね。と、200万女性を敵に回すことを辞さないのであった。
せめてヨイショしてみますと、品格を得ようとして読んだ人々は、我が身の品格のなさを自覚しているわけですよね。それさえも気づかない人々よりはずっとエライ。その謙虚さをあらゆる局面で活かせば、きっと人生品格だらけになることでしょう。
ベストセラー本でなくとも、品格を身につける方法は転がっておりますぞ。
たとえばこの『貧盗恋歌』をじっくり読む。世の中には「他山の石」という言葉だってありますからね。
2007年12月03日
ぐぐりたまえ
「ググる」「ぐぐる」という動詞はすっかり定着した感があります。
対して「やふる」は聞きませんねえ。ヤフーのほうがシェアが上なのに、どうして?
はすに解説いたしますと、「ぐぐる」なんて用語ができてしまうこと自体、マイナーの証明です。「検索する」はヤフーで検索すること、「ぐぐる」はグーグルで検索すること。
そのぐぐる、英語圏でも通用するのでしょうか。
英語ページを読むことはめったにありませんが、メーリングリストで
"I googled, but could not find."
みたいな文章を見かけたことはあります。
認知はされているようですが、動詞として活躍中かどうかは不明です。向こうでは「検索する」イコール「Googleで検索する」だから、諧謔として強調する以外にわざわざ動詞化する必要がありましょうか。
日本語では
Google→グーグル→ググる
と、変形が加えられるのでわかりやすいのですが、英語ではそうもいきません。
英語ではひとつの単語が名詞にも動詞にもなり、形容詞や副詞まで兼ねることがしばしばです。どれに該当するか、活用語尾や文脈から判断する必要があります。
反面、日本でごくふつうに使われる「英語のスペル」のspellは、「つづる」という意味の動詞ではあっても、名詞としては別の意味を持つので、「つづり」の名詞形はspellingだ、とかなんとか、しち面倒なケースもあります。
質問掲示板で「それなに?」と、しょもねー問いを発したコがいました。
そんなの英語知らずのガイジンに尋ねる前に自分でぐぐれや。
だが、"Google."とひとこと書いてニュアンスが通じるだろうか、いや、無理だね。
せめて"Google it."としてみようか。略してGISだ。Sは何さ? KISSの2番目のSと同じにしとこう。
我が国の個人掲示板においては、「ぐぐれ」のみの無礼レスはてきめんヒンシュク買います。訪問者は管理人よりも偉い、が常識です。
こんにちは。ご訪問ありがとうございます。それはたいへんお困りでしょうね。実は私も詳しくは知りませんので、自信を持ってお答えできず申し訳ありません。Googleで検索なさってみてはいかがでしょうか。そしてgoogle.co.jpのURLを書き添える。以上が次善の回答。
慈善の回答は、代わりにぐぐってさしあげ、その結果をコピペではなく自ら書き連ねる。
面倒な長文はごめんこうむりたいとしても、礼儀正しさでは定評のある日本人の名誉を守るために、英語が苦手な人でも"How about googling?"程度にはスペルの手間をかけたほうがよろしいかと。
対して「やふる」は聞きませんねえ。ヤフーのほうがシェアが上なのに、どうして?
はすに解説いたしますと、「ぐぐる」なんて用語ができてしまうこと自体、マイナーの証明です。「検索する」はヤフーで検索すること、「ぐぐる」はグーグルで検索すること。
そのぐぐる、英語圏でも通用するのでしょうか。
英語ページを読むことはめったにありませんが、メーリングリストで
"I googled, but could not find."
みたいな文章を見かけたことはあります。
認知はされているようですが、動詞として活躍中かどうかは不明です。向こうでは「検索する」イコール「Googleで検索する」だから、諧謔として強調する以外にわざわざ動詞化する必要がありましょうか。
日本語では
Google→グーグル→ググる
と、変形が加えられるのでわかりやすいのですが、英語ではそうもいきません。
英語ではひとつの単語が名詞にも動詞にもなり、形容詞や副詞まで兼ねることがしばしばです。どれに該当するか、活用語尾や文脈から判断する必要があります。
反面、日本でごくふつうに使われる「英語のスペル」のspellは、「つづる」という意味の動詞ではあっても、名詞としては別の意味を持つので、「つづり」の名詞形はspellingだ、とかなんとか、しち面倒なケースもあります。
質問掲示板で「それなに?」と、しょもねー問いを発したコがいました。
そんなの英語知らずのガイジンに尋ねる前に自分でぐぐれや。
だが、"Google."とひとこと書いてニュアンスが通じるだろうか、いや、無理だね。
せめて"Google it."としてみようか。略してGISだ。Sは何さ? KISSの2番目のSと同じにしとこう。
我が国の個人掲示板においては、「ぐぐれ」のみの無礼レスはてきめんヒンシュク買います。訪問者は管理人よりも偉い、が常識です。
こんにちは。ご訪問ありがとうございます。それはたいへんお困りでしょうね。実は私も詳しくは知りませんので、自信を持ってお答えできず申し訳ありません。Googleで検索なさってみてはいかがでしょうか。そしてgoogle.co.jpのURLを書き添える。以上が次善の回答。
慈善の回答は、代わりにぐぐってさしあげ、その結果をコピペではなく自ら書き連ねる。
面倒な長文はごめんこうむりたいとしても、礼儀正しさでは定評のある日本人の名誉を守るために、英語が苦手な人でも"How about googling?"程度にはスペルの手間をかけたほうがよろしいかと。
2007年12月02日
蒲公英譚
紅葉の季節です。
が、街なかではなかなかちゃんと色づきませんね。
木の葉が色づくためにはじゅうぶんな気温の低下が必要ですが、温暖化のせいで遅れがちになっていると聞きます。
ただし同じ場所でも個体差が見受けられます。近所のイチョウも木によって緑、黄色、茶色っぽいの、ほとんど枯れ落ちてるのなど、さまざま。

条件は温度だけではないのですね。
同じ年齢で同じように暮らしていても、若々しい人とやけに老けてる人がいるのと似ています。
もみじやかえでの赤い色はアントシアニンという色素だとか。
アントシアニンといえば、人間界ではアンチエイジング成分として脚光を浴びています。
植物が色素を蓄積するのはひとつの防御反応です。
人間が日焼けしてメラニンを増やすのと同様に、アントシアニンで層を形成して紫外線など有害物質の刺激から身を守る(細胞の酸化を防ぐ)機能を持つのです。
しかし紅葉はもはや死にかけた葉。防御も手遅れではないのですか?
たぶん守ろうとしているのは葉ではなく本体なのでしょう。自然のしくみは奥深いのですよ。
この銀杏並木の近くで、落ち葉に埋もれかけながら咲くタンポポを見つけました。背丈も低く、かわいらしいじゃありませんか。

タンポポって今ごろ咲くもんだろうかと、家に帰ってから古い百科事典を開いてみました。秋咲きたんぽぽの記載などありません。やはり温暖化の影響?
なお、ここ九州あたりに生えているのは真のタンポポではなく、西洋タンポポだとか。
英語でタンポポはdandelionです。フランス語のdent de lion(ライオンの歯)から来ているそうな。ギザギザの葉っぱからのイメージです。そういえばdentからはデンタルなど歯に関した語が思い浮かびます。
花言葉はcoquetry(媚態)・・・おお、雑草らしからぬ。そのほか「恋の託宣」というのもあります。綿毛を吹いて占いをするところから来ました。恋だけでなく幸せを告げる花でもあります。
事典にはタンポポという名の由来も載っていました。
中国では婆婆丁(ポポチン)といいます(婆をふたつも重ねられてかわいそうに。媚態が泣きますわ)。
しかし古くは「丁婆婆」と呼ばれていたそうです。転じてタンポポ。わっかりやすいですねえ。
が、街なかではなかなかちゃんと色づきませんね。
木の葉が色づくためにはじゅうぶんな気温の低下が必要ですが、温暖化のせいで遅れがちになっていると聞きます。
ただし同じ場所でも個体差が見受けられます。近所のイチョウも木によって緑、黄色、茶色っぽいの、ほとんど枯れ落ちてるのなど、さまざま。

条件は温度だけではないのですね。
同じ年齢で同じように暮らしていても、若々しい人とやけに老けてる人がいるのと似ています。
もみじやかえでの赤い色はアントシアニンという色素だとか。
アントシアニンといえば、人間界ではアンチエイジング成分として脚光を浴びています。
植物が色素を蓄積するのはひとつの防御反応です。
人間が日焼けしてメラニンを増やすのと同様に、アントシアニンで層を形成して紫外線など有害物質の刺激から身を守る(細胞の酸化を防ぐ)機能を持つのです。
しかし紅葉はもはや死にかけた葉。防御も手遅れではないのですか?
たぶん守ろうとしているのは葉ではなく本体なのでしょう。自然のしくみは奥深いのですよ。
この銀杏並木の近くで、落ち葉に埋もれかけながら咲くタンポポを見つけました。背丈も低く、かわいらしいじゃありませんか。

タンポポって今ごろ咲くもんだろうかと、家に帰ってから古い百科事典を開いてみました。秋咲きたんぽぽの記載などありません。やはり温暖化の影響?
なお、ここ九州あたりに生えているのは真のタンポポではなく、西洋タンポポだとか。
英語でタンポポはdandelionです。フランス語のdent de lion(ライオンの歯)から来ているそうな。ギザギザの葉っぱからのイメージです。そういえばdentからはデンタルなど歯に関した語が思い浮かびます。
花言葉はcoquetry(媚態)・・・おお、雑草らしからぬ。そのほか「恋の託宣」というのもあります。綿毛を吹いて占いをするところから来ました。恋だけでなく幸せを告げる花でもあります。
事典にはタンポポという名の由来も載っていました。
中国では婆婆丁(ポポチン)といいます(婆をふたつも重ねられてかわいそうに。媚態が泣きますわ)。
しかし古くは「丁婆婆」と呼ばれていたそうです。転じてタンポポ。わっかりやすいですねえ。