「ばいばい」を変換すると(@^^)/~~~だの(T_T)/~~~だのがずらずら出てきます。たくもう、そんなの集めるヒマがあれば「濃ーと」やら「蚊ならず」「田鹿に」などをなんとかせいっ。
個人的感情として臓器移植は好かんので、ドナーカードは持ちません。
献血さえ断られるくらいだから、どうせオンボロ臓器。役に立ちそうもない。
そういうわがままなヤツが多いから、我が国は臓器不足で悩んでるんだ。四の五の言わんと、ボロぞうきんでもなんでもとっとと供出せい。
とお叱りを受けるかもしれないな。
すでに述べたように、死んでしまえば「臓器移植は好かん」なんて感情も霧消するわけで、まわりの連中が勝手に取り出して活用することまで止めやしません。止めようにも止められぬ。
だから、本人の意思がどうのこうのではなく、家族や相続人だけで決めても不都合はないのです。
日本ではすったもんだのあげく、脳死を人の死と認めないまま、一定条件下で臓器を剔出できるというルールができました。言い換えれば、生体から臓器を取っている現状です。
私は脳死が人の死でOKとする立場なので、それをとやかく言ったりはしません。
脳が死ねば確実に体も死ぬというのが、これまで観察された事実のようです。
「生体から臓器を取っている」とは不穏な表現ですが、そのとき患者には痛みも苦しみも怒りもありません。それを感じる脳が機能していないのだから。ただ、見守る近親者にはどうしてもそうは見えないのでしょうね。
考えれば、輸血てのは臓器移植の初歩的パタンではありませんか。安易にどぼどぼ注ぎ込んでしまったことが、結果的にどれだけの悲劇を生んだことか(血液を原料にした薬を指してるようだ)。
宗教的理由で輸血を拒む人々を笑ったり憐れんだりした人々こそ反省すべきべきです。
もし輸血が厳しく制限されていたなら、ほかのもっと安全な方法が開発されていたでしょう。
同様に、臓器提供のハードルが高いことは、かえって医学の向上に貢献するのではないかと常々思っていました。
そして移植に頼らない画期的技術が進歩しつつあるじゃないですか。なんたら細胞だのなんたら膜だのって(詳細は覚えとらん)。
他人の臓器を当てにする時代は遠からず終焉を迎えるでしょう。
とはいえ移植医療自体が始まったばかりで、未成熟分野なのです。危険性も非常に高い。死期が迫っている人しか選択しえないものだし、いつまでも人体実験同然の状態が続いています。
不足商品の値段が高騰するのは、自由経済社会では当然です。
臓器移植のレシピエントを決めるのにはそれなりの法則があるようですが、金持ちから割り当てていくのも一方法ではないでしょうか。どうせ人体実験みたいなもんでしょ。金持ちと貧乏人ではさまざまな状況において命の取り扱いに差が生じています。こと臓器移植に関してだけ平等というのも変な話。
じっさい金持ちや成金はさっさと海外で移植を受けてるようだし(これって、その国の人の移植の機会を奪うんですよね)。
保有財産の多寡によって、あんたは130億、そっちは6億400万、などとじゃかじゃか徴収して難病治療研究や新薬開発に投入すれば、いずれ貧乏患者にも余禄が回ってきます。酒びたりのあげく肝臓を損ねて貧困に陥った放蕩者に無償提供するよりはよっぽど有意義です。
と、いくらぶったって、ヨッパライのたわごと程度にしか受け止めてもらえそうもないが。
そうそう。たわごとついでに、ひとつだけ、あげてもいい臓器があったよー。脳ミソだい(石つぶてが飛んできそう)。
脳を取り替えたら、その体は脳の元の持ち主に乗っ取られるような気がするんですか?
そんなに脳って偉いのかなあ。
確かに脳障害はしばしば人を変えます。記憶喪失程度でもアイデンティティが揺らぐのです。
それに比して、腕なら1本や2本なくしても、不便さに苛立つくらいで、その人のアイデンティティが失われることはないようです。
しかしもっと少量でも、たとえば右のホッペなんかなくしたら、人格変わっちゃいますよ、凡人は。
脳だけがその人をその人たらしめているものだとは、ちょっと信じられないのです。
私の脳は「チョコを食べちゃいけない」と思ってるんですけど、手が勝手にチョコをつまみ、口に入れ、口は意に反して咀嚼して胃に送るんですよ。せめて胃が消化を拒否すればいーのに、どいつもこいつも脳の命令に従わず、好きに行動してしまうのさ。
そのくせチョコを食べた「快感」は、脳が独り占めしてるんです。ずるいのう。
こんな脳、もう要らぬ。誰かもらってくれ。
脳死よりもずっと怖いのは、脳以外すべて働かなくなって、しかし脳機能は正常に保たれているケース。何も見えず、聞こえず、動けず、いくらもどかしくても意思表示ができず、闇の中でただ思うだけ。
こういうシチュエーションには、古今東西多くの人が興味を持ってきたようです。しかし純粋に想像するしかない。そして創造するのですね、フィクションとして。
記憶をたどればいくつか思い当たります。
『ジョニーは戦場へ行った』は読んだことも見たこともないけど、有名だからまず挙げておきましょう。
乙一『失はれる物語』は淡々としているところが背筋をなでます。
星新一の掌編には、そのような状態に陥った男が、思念の力だけで世界を征服するという、まこと恐ろしい話がありました。タイトルは失念。
柴田よしき『象牙色の眠り』・・・ホラーではなくミステリ系で、筋が通っておもしろい。
乱歩の『芋虫』もジョニーに似た設定でしたね。
少し毛色は違うが、ポーの短編『ヴァルドマール氏の死の真相』は不気味です。本人の意識は描かれず、死を強制停止された死者を外側から見たもの。発表当時は実話だと噂されたとか。
・・・とまあ、くだらんゴタクを打ちまくったのは指です。私の脳はそんなこと嫌がったんです。ホントです。