2016年04月29日

行こうぜシェーンよ

ジャーマン・シェパード・ドッグが人気犬種トップ10に入らない先進国は日本だけ。
という記述を、とある犬の写真集で読みました。

巻末に付随する各国ケネルクラブの犬種別登録数ランキングによれば、ジャーマン・シェパードは、ドイツではもちろん、イタリアとスウェーデンで1位、イギリスで2位、アメリカ3位となっています。登録数がそのまま一般家庭で飼育されている数とは限らなくとも、重要な指標ではあるでしょう。
けっこう古い本で、2000年前後のデータです。
他国ではともかく、わが国の人気種はめまぐるしく変遷する傾向にあります。昨今はプードルがダックスやチワワを蹴落とし、トップに鎮座していますが、この時点では11位と低迷しています。

とはいえ、日本人がいかに移り気でも、ジャーマン・シェパード・ドッグが上位に食い込むことは、将来にわたってもあり得ないでしょう。
容貌や気質が日本人好みではないようでもあり、初心者には難しそうな印象。経済力だけでなく、訓練士をつけるような熱意と時間的精神的余裕も求められます。万能の使役犬というセールスポイントもかえって敬遠理由に加わりそう。

実は、知る人ぞ知る、ジャーマン・シェパードが人気を博した時代が、わが国にもあったのです。

なんと第二次大戦後の混乱期。当時は犬の種類も絶対数も極端に少なかったようです(食糧にされて減ったという説も)。
シェパードは同盟国で作出された優秀な軍用犬として繁殖が奨励され、敗戦で不要となり多数が民間に放出された・・・のかどうかはともかく、巷の犬は和犬系雑種のほかはシェパードくらいでした。

私がシェパードブームを身近に感じるのは、うちにもいたからです。ジョンという名のオスでした。私自身は幼かったからほとんど覚えていません。
戦後・・・幼かった? いや、その、ど田舎ゆえ、流行りものなんてのは中央より数十年遅れでやってくるんですよ。

それにしても、わが家はひどく貧乏でした。狭い敷地いっぱいに建てられた、庭もない、一間きりの借家。テレビも冷蔵庫もなく、こたつさえあったかどうか。ひとり娘は病弱で医療費がかさむ中、いくら大人気だからって、大飯喰らいの大型犬を養うとは無謀の極み。

帰省の折、両親にジョンのことを尋ねたら、魚屋でサバの頭をもらい、煮て食べさせていたなどと話してくれました。
罠にかかって、足を引きずりながら帰ってきたことがあったとか。山あいの小さな町だけど、猟師なんていたのかしら。誰が何を捕るために罠を仕掛けたのか、ジョンは放し飼いにされていたのか、そのへんはどうもあいまいでした。

余談ですが、病院通いばかりしていた娘は、小学校に上がってからは病欠もなく、クラス一ののっぽになりました。給食の脱脂粉乳のおかげ? 親がロクなもの食べさせなかったから病気がちだったのかも。ジョンのサバを分けてやってたら、丈夫で頭のいい子に育っただろうに。

試作品。7cm。ずさん。
シェパードぬいぐるみ

引っ越して、少しは山から遠い田舎町に住んでいたころ、いきさつは知らないが、親戚のシェパードを預かることになりました。私は10歳になっていなかったと思います。
名前はエル。すでに成犬でした。

初対面は強烈でした。
かよわい小さな女の子が、いきなり飛びかかってきた巨犬に押し倒され、地面を転がされて顔をべろべろなめられたのですよ。噛み殺されるという恐怖に、泣く余裕もなく・・・。

どうやらそれがエル流のあいさつで、いたく気に入られた私は、以後食事の世話などを引き受け、お手やお預けなども教えました。
押し倒してべろべろは、その後も油断しているとすぐやられてしまい、服も顔も汚れるし、閉口しました。

エルは血統は悪くなかったようだけど、しつけが全然なってなくて、だらしない犬でした。

おまけにシェパードらしからぬ臆病さ。私が「エル、だめっ」と怒鳴ると、身を縮めてピーピーと鳴くのです。大きな犬が小鳥みたいな声を出すのに最初はびっくりしました。

あるときいっしょに散歩に出かけました。今だったら、大型犬に綱もつけず散歩させるなんてとんでもないことですが。
踏切のそばまで行くと、轟音とともに汽車が近づいてきました。エルはギャンと飛び上がり、一目散に走り去ったのです。追って家に帰ると、犬小屋の隅で震えていました。

ブームというものは個体の質を落とすし、ときとして不幸にします。飼い主には資質と責任が必要なのです。シェパードブームなんて2度と来ないほうがシェパードのためです。
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投稿者:ルノ 08:36 | コメント(0) | トラバ(0) | るれろライフ
2016年04月28日

セーラー服連想

遊びに来た友人に、ブリジット・セントジョンという女性シンガーを聴かせてあげたら、「じゃあ、こういうのも好きなんじゃない」と言って、アストラッド・ジルベルトのベストアルバムを貸してくれました。
音楽メディアは塩化ビニールのレコードか磁気のカセットテープという時代のことで、記憶にあいまいな部分もありますが。

私は別にブリジット・セントジョンが大好きというわけではありませんでした。
ケヴィン・エアーズのファンだったのです。ブリジットはケヴィンのアルバムにしばしば参加し、デュエットもしていたので、なんとなく聴いてみた程度。

アストラッド・ジルベルトは有名だから名前は知っていました。興味のないジャンルだけど、せっかくの厚意を無にできないと儀礼的にかけてみたら、とってもいい感じで気に入りました。

そして思い出しました。『イパネマの娘』がはやったころアストラッド・ジルベルトに夢中だったと、ケヴィンが述懐していたことを。
ははーん、なるほどね。世間ではこういうとき「腑に落ちた」というようです。

つまり彼はブリジットの声がジルベルトに似ているから重用したのではないかと。

声のみならず、けだるい雰囲気も共通点。
決定的な違いとして、アストラッド・ジルベルトには乾いた明るさがあるけど、ブリジットはずっしり暗いのです。やっぱりイギリス人は暗くなきゃ。しかしケヴィンは地中海っぽくて、明るい側だったかなあ。

心の片隅に小さくメモしておいたつもりもない、こんな些細な事柄がよみがえったのは、スーパーで買い物をしていたら、BGMに『セーラー服と機関銃』が流れてきたのがきっかけです。
それでひさびさにケヴィンの顔が浮かび、なつかしさに浸りつつ店を出たら、向かいのコンビニで風にそよぐ『イパネマ農園豆』ののぼりが目に入り、連想が膨らんだのでありました。

『セーラー服と機関銃』とケヴィンに、どういうかかわりが? かかわりはありません。
そりゃあ『Odd Ditties』でのケヴィンのセーラー服姿はなかなかカワイイけど、それはさっき思い出したこと。
↓このコラムのどこかにヒントがあります。
http://abc-abc.net/column3.html
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投稿者:ルノ 14:41 | コメント(0) | トラバ(0) | 70年代ロック