2016年06月30日

習慣の力

私は皿洗いが嫌いです。ついためこんでしまいます。
と、何年か前に書いたことがあります。

が、何年か経てば、人は変わるものです。いや、人って容易に変わるもんじゃありません。考え方や行動が変わっただけ。

今では毎日最低1回は洗っています。
日に3度以上洗う人には、何をその程度で胸張って、と笑われそうですが。

世の中には、毎食後ちゃんと洗い物をしても、食器や鍋を洗うだけで満足する人がけっこういます。
調理台のあちこちに水がはね、食器かごの受け皿にはぬめった水がたまり、スポンジは洗剤と食品のかけらを含んでずっしり重く、台布巾は湿って異臭を放っているという状態でも平気。

ある調査によれば、キッチンスポンジには15億個、台布巾には14億個の細菌が潜んでいるそうです。スポンジよりも台布巾で洗うほうがきれいなのか。んな、五十歩五十三歩でしょ。

手前味噌ですが、わが家は一般家庭よりはかなり清潔にしているという自信はあります。
夕食後の食器洗いが終了したら、排水口のごみ受けや中蓋なども磨き上げ、壁やシンクは一滴の水も残さないよう乾いた布で拭きます。ていねいにすすいだスポンジと台布巾は扇風機の風に当てて乾かします。以後翌朝までキッチンの水道は使用禁止。
ここまで徹底しなかったころは、水栓のレバーやシンク横のパッキンなどに赤カビ黒カビが発生したり、シンクの壁に菌のコロニーらしきものが点在したり。現在そういう兆候は見えません。カビ取り剤の出番もめっきり減りました。

そのように行動が変わったのは、なぜなのでしょう。
実際の話、昔から私は食器洗いをバカにしていました。今もそうです。
しかしながら、それをせずに済む身分にはなれそうもない(主に経済的な事情で)。だったら嫌いだの面倒だの苦痛だのとぼやくよりも、さっさと片づけて忘れたほうが得策ではありませんか。
食器洗いや歯磨きなどの日常茶飯事に、「好き嫌い」のような高度な感情を持ち込むのは、もったいないことなのです。以前はそれに気づかず、汚れものを目にしてはイライラ。感情を無駄遣いしていたんだなぁ、愚かにも。

感情を交えずに淡々と片づけることが習慣になれば、決心して取り組まなくともいつの間にか済んでいます。

そういう法則がわかってしまえば、かつて億劫がって先延ばししていたことごとを、習慣づけてすいすいやっつけてしまえる・・・はずなのに、人生なかなか思うようにいきませんねえ。


私がなにかと引き合いに出す『ほんとうは治る防げる目の病気』は、少食で白内障や緑内障が治るという内容の本です。
この中に、酒やタバコやお菓子がやめられないのは、意志が弱いからではなく、単なる習慣だからである、といった記述があります。身体に及ぼす影響を理解すれば、その習慣は断ち切れるのだと。

そう簡単にものごとが運ぶなら、何千万人もの依存症者とその予備軍がひしめいているはずはないっ。と、甘いものをやめられなくて困っている私は叫びたい。
でもまあ、真実でしょう。依存症の始まりは、ほとんどが習慣なのです。

ネックは「理解する」こと。頭でわかっていても、実行できなければ、わかったことにはならない。

糖質を摂ると、血糖値が上がり、中性脂肪が増え、糖化最終生成物とやらが身体のあちこちを焦げつかせ、老化を促進させる。てなこと、理屈としては知っていても、現実にお菓子を目の前に置くと、すべて忘れてしまう。それどころか、糖分を欲するのは人類の本能だ、食べて30分後に運動すれば血糖値も抑えられるなどと、都合のよいように自分を納得させてしまいます。
で、パクパク食べて落ち込むのです。結局運動はしないし。

私はギャンブルの類はやらないけど、パチンコ依存者がボロ負けして後悔し、もう絶対にパチンコ屋には足を向けないぞと決心して眠りについても、翌朝「本日10時開店」のチラシを見ると、「今度は必ず勝てる」「これで借金帳消しだ」と気分高揚し、またボロ負けという循環、理解できます。

どうしたら脱却できるんでしょう。

甘いもの大好きとはいえ、私は四六時中甘いものを食べているわけではありません。
間食も夜食もしません。これって、間食や夜食がどうしてもやめられない人から見たら、スゴイことかも。

だけどそれは、意志の強さでも努力の結果でもなく、ここ10数年ほどの習慣です。単なる習慣なのです。
ある日突然そうすることに決めた、とかではなく、じわじわとそうなったようです。すたれずに続いているのは、そのほうが楽だからにほかなりません。歯磨きもいちいちしなくて済むでしょ。

皿洗いの習慣だって、徐々に身につきました。清潔に乾いたキッチンを見ると気持ちがいいから、明日もやろうと思うのです。

鍵はメリットの有無、でしょうか。

甘いものをやめても、たちどころに美人になるわけでも、痩せるわけでもないから、すぐに挫折しちゃうんですよね。
でもお菓子を買わない分、お金はたまるんじゃないかしら。そっち方面からアプローチしてみれば、もしかしたら・・・。

付記:
文中で「赤カビ」とあるのは、私が便宜上そう呼んでいるのであって、正しくは赤色酵母というものだそうです。浴室でよく見かけるピンクぬめりの正体です。ま、酵母もカビもお仲間ですからね。
タイルの目地やシリコンのパッキンなどに生えるのはクロカビですが、フォーマというものも混じっているとか。
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投稿者:ルノ 19:17 | コメント(0) | トラバ(0) | 生活の浅知恵
2016年06月29日

箱入り猫

「猫は不器用」なんて書いておりますが、実家にいたセイコは、わりと器用でした。

太刀魚の煮つけを作り、残った一切れを入れた鍋をコンロの上に置いて買い物に出かけたら、こっそり鍋のふたを押しのけ、骨まで平らげてしまいました。ふたを元に戻していれば、完全犯罪だったのにね。

セイコの特技はドア開け。引き戸はもちろん、蝶番のドアがきっちり閉まっていなければ、頭で押したり、すきまに爪をひっかけて引いたり。
むろん猫のことゆえ「あとぜき」はしません。教えればできるようになったのでしょうか。

猫が戸を開けるのは、人がそれを黙認したり、「まー、セイコちゃん、上手ねえ」などとおだてたりするからです。
だからセイコは勝手に出ていって、子種を仕入れてしまった・・・。

母子猫
発泡スチロールの箱でくつろぐセイコと仔猫たち。

知り合いの女性が猫を育てたときの話です。
彼女は古い田舎家に住んでいました。屋内の建具はほとんどが引き戸です。

彼女の猫はオス(ニューター)で、うっかり外に出しても、子種をもらったりばらまいたりするおそれはなかったのですが、なにぶん高価な純血猫なので、さらわれたり、野良猫に襲われて美貌を損ねたり、病気をもらったりしたらたいへん。

とりあえず彼女の方針は、猫に戸を開けさせないことでした。
それには最初が肝心。自分で戸を開けることができるという観念を植え付けてはならないのです。部屋に一匹で残すときは、外側からつっかい棒をかけ、部屋から出すときは、必ず人間が戸を開けてやるか、抱いて出るというふうに。

甘やかされて箱入り息子よろしく育てられたその猫は、ほとんど部屋から出ず、歩くときはお腹が床につくほどのデブ猫になってしまいました。おっとりとした性格のよい猫で、生まれて一度も自力で戸を開けることなく成長しました。もはやつっかい棒は不要。

とはいえ、やっぱり外へのあこがれは積もっていたのでしょう。
ある日のこと。忽然と彼は部屋を飛び出したのです。扉は閉ざされたまま。

その戸は障子でした。少しばかりモダンなタイプで、下のほうは板、その上にガラスがはまっていて、障子部分のマス目はかなり大きいのです。
その障子紙を突き破ったのでした。

障子猫
こんなイメージ。

それにしても・・・板やガラスなら無理だけど、あの紙なら破くことができそうだという判断力をいつの間に身につけたのか、はたまた、歩くのにも難儀する肥満ボディで、よくまああの高さまでジャンプできたもんだ。と、飼い主には二重の誤算でした。
猫の知力と体力を侮ってはなりませんぞ。

もっとも、障子の外のガラス戸を突破することはできず、廊下をうろうろするだけに終わったのですが。
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投稿者:ルノ 12:58 | コメント(0) | トラバ(0) | るれろライフ