わりと古い(初出1997/文庫本改訂2001)んですが、著者によれば『サエない女のトレンドはあまり変わっていない』とのこと。
『サエない』とは「冴えた」の否定形で、なんとも半端な表現であります。が、気持ちは伝わる。
「ダサい」など容赦のない罵詈は使った側に跳ね返るし、ま、誰しもサエない部分を包含しているものであって、サエない女ウォッチングが自分を磨く一助となれば・・・といささかトーンダウンの言い訳も垣間見えます。
この本で繰り返し攻撃の対象となっているのが「ピンクハウスを着た女」。
別にピンクハウスに恨みがあるわけではなく、ピンクハウスの似合うほっそりした美少女が問題なのでもなく、自己認識を無視してピンクハウスを着る、暑苦しくも見苦しいデブが犯罪なのだとか。デブにも着用可能なサイズを作るピンクハウスの媚びズムや儲け主義は不問に付すのかえ?
なぜ太めの彼女らが似合ってもいないピンクハウスを好むかというと、服の個性が強すぎて、鏡に映った自分の姿が目に入らない(服しか見えない)からだとか。
恥ずかしながら我がワードローブにもちょこっとピンクハウスがありまして、自分では似合うつもりで着ておりました。も、もちろん、昔の話です。人が手持ちの衣服を捨てるのは、たいてい収納に支障を来したときです。うちではそういう心配は不要(だって新しい服を買うなんて夢のまた夢)なので、もはや袖を通すこともない古い服が多数残っています。
勤めていた会社の近くにピンクハウスショップがありました。ビルの1階で目立つから、昼休みなどついのぞいちゃうんですよね。バーゲンのときなど人だかりで(デブが多かったかどうか覚えていません)、「あ、これステキ。あとで買いに来よう」と昼食済ませて戻ると、もう売れてたりして。
私は全身ピンクハウスで固めるなんて真似はしませんで、選ぶものも比較的地味なデザインばかりでした。売っ払ったものも含め、黒を基調としたものが多かったような。
懐古趣味で引っ張り出してみました。
この木綿のセーターなんか、手編みっぽくて、ちょっとピンクハウスには見えないでしょ。今着てもおかしくないですよね? ね?

還暦まで着るぞう。
そういえば、ジェニーのピンクハウス服の本などもありますし、人形に自作のピンクハウスを着せるのも楽しいかもしれません。
ピンクハウスで検索をかけましたら こちらに来ました。
私も 40近くの主婦ですが 20代の頃
やっぱり 少し買っていました。
ルノさんは もっとお若いですよね。SOUENやANANで ピンクハウスの服が持てはやされていた時代です。なんだか懐かしいです。好きならずっと着られていてもおかしくないと思います。バーゲンに行ったとき 5.60のおばあちゃん達に会った事もあって 可愛かったです。
ピンクハウスは乙女の原点ですね。今ではゴスロリにも愛用されたり、広範囲をカバーしてます。「いつまでも心は少女」のおばあちゃん達にも似合うことでしょう。
SOUENって、ひょっとして「装苑」のなれのはて? てなこと言うわたくしは、ももちゃんさんが生まれたころには、すでにピンクハウスを着ていたかもしれません(って、発祥はいつだぁ?)。
最近何かと「体系が…」「年齢が…」と聞くようになりました。ですが、ではふくよかな方がピンクハウス等々を着たらいけないのか?と思っても、そうではない気がします。誰にでも好きな服を着る権利があるのではないでしょうか。
『人は見た目が9割』なんて本が売れる時代ですから、美しくないとかほっそりしてない人をからかうと、自分はその範疇ではないような気分になって、何がしかの快感を得られるのかもしれませんね。
たまたま「ピンクハウス」で検索しこのページをみかけ読ませていただきましたが、ちょっと悲しい気持ちになりました。これから先ピンクハウスを着る度に「暑苦しくも見苦しいデブ‥」という言葉を思い出し、袖をとうすことが少なくなりそうです…
ピンクハウスのように世代や体型を超えて愛されるブランドは、その人気ゆえとやかく言われることが多いのかもしれません。