2008年01月31日

名前がブランドになるとき

良い意味でも有名になってくると、知らん人から姓名を呼び捨てにされても致し方ないようです。
その時点で名前はひとり歩きをしているというか、個人を指すよりも、名前が喚起するバリューやら副産物のほうが先にイメージされるからです。
業績もなく名前だけが知れ渡るのは、本人や家族にとって不名誉な事態であることが多いようです。

綾辻行人が好き」とか書いたが、別に恋愛感情ではないし、綾辻個人についての知識はさっぱり持ちません。

一般の人が作家や芸能人を「さん付け」で論評するのを見ると、なんだかムズムズすることがあります。名前はブランドだからモノとして扱うべきじゃないですか。
などと言う当人が別の場所では杉浦日向子さんなどと書いておる。杉浦日向子に対して失礼千万であります。まして名字を取っ払って「日向子さん」呼ばわりとは、馴れ馴れしさきわまれり。

私が「ますむらひろし」を呼び捨てにするのは、ゴッホに画伯をつけないのと同様です。ますむらとゴッホは同格か。別にゴッホの絵に感銘を受けたことはないけど。

「猫十字社」というペンネームの漫画家がいます。社名っぽいから呼び捨てられてもあまり気にならない、という理由で名づけたと、昔どこかで聞きました。「一条ゆかり」みたくキラキラなネーミングが流行っていたころの人と思えば、いいセンスですだ。

個人名がブランド化するのはいつなのか。
決まったルールはないので、その場その場で判断するしかありません。名前を聞けば大多数が「ああ、あの人」と思い浮かべるころが呼び捨てどきかな。
むろんジャンル・地域・歴史や習慣によって事情が異なるので、ルールの制定など無理な話。

数年前、某小国の独裁者が某大国(英語使用)の独裁者にミスター付けで呼ばれて気をよくしたという話がありました。それ以前は呼び捨てだったようです。
某小国が存在するアジアの人は英語のミスターやミセスが敬意を含むと単純に信じていますが、実態は違うとは、某ページで述べたとおりです。

日に1回くらいGoogle Newsの英語版を見ます。「読む」のではなく「見る」だけなので、1分で済みます。
プリンス・ウィリアムは称号つきで、そのガールフレンドは呼び捨てでした。有名だ(誰でもMissだと知っている)からでしょう。
欧米では名前につける称号の類は「識別」の意味合いが強いのです。

我が国では政治家を呼び捨てにせず肩書きをつける風習があります。
彼らは名前で仕事をしているわけではない。個人個人のパフォなどどうでもいい、個性だの独創性だの発揮せずともかまわぬ、そのポストが執り行うべき最低限の仕事だけでもしてくれー。国民の切実な願いをよそに、その最低限のことさえできないのが政治家という人種のようですな。

それら無能(無脳?)な連中が牛耳る国だから、国民の程度もリンクしてます。ほんの短期間椅子を温めただけの輩にいつまでも元○○大臣の呼称を奉ってしまうのです。
「元」がつくことは、「今」がそれよりも低いと知らしめているわけで、これはまるきり蔑称ではないですか。よって、元○○大臣の「元」の字には「おちぶれ」とルビを振るのが正しいマナーでありましょう。
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投稿者:ルノ 23:44 | コメント(0) | トラバ(0) | 世相=世間相場?
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