「後悔先に立たず」とは誰でも知っている格言です。
ときたま「後の後悔先に立たず」てな言い回しを用いる人がいて、重複表現だなどと笑われます。たぶんこれは「後」と「先」とで語調をそろえたかっただけでしょう。
そもそも後悔とは定義上「後」にしかできないことであり、「後悔先に立たず」自体あまりに当たり前すぎて、わざわざ成句とするほどの事柄かよ、と突っ込みたくなります。
後悔なんていつしようが、何度しようが、たっぷりしようが、どうせムダなんだから、するもんじゃない。昔の人はそう戒めたかったのに違いありません。
だったら「後悔役に立たず」が正確じゃないの?
もっとも、後悔に限らず無益なことを好んで行うのが、万物の霊長たる人間の特性であり、その人間様が無駄とわかってわざわざするんだから、実は意義があるのだろう。とは『したい時には親はなし』で述べたので、ここでは繰り返しません。
今回は日ごろから後悔のタネには事欠かないワタクシが、日本語の見地からこの成句を分析してみます。
はたして後悔とは、立ったり座ったりするものか?
「昨日ヤバいことしでかして、チョー後悔立ってるとこなんだ」とか「彼女は後悔の立て方が上手だ」なんて表現は見たことないです。
「後悔」と「立つ」の組み合わせは、おそらくこの「後悔先に立たず」が唯一例ではないでしょうか。
「立つ」にはさまざまな意味がありますが、後悔が立つとしたら、「役に立つ」「弁が立つ」「腕が立つ」などの「立つ」と同種だと思われます。成り立つとか用を成すとかいったことです。
そこまでは納得しますが、なぜ相性がよいとも思われない「立つ」をことさら起用しなければならなかったのか、そのあたりが腑に落ちません。「後悔先にできず」でじゅうぶん成り立つじゃないですか。
案外始まりは上記の「後悔役に立たず」であって、それが歳月を経て「先に立たず」に変化したんだとうがちたくなったり。
が、待てよ。
「先」と「立つ」はくっつきやすい言葉です。「先に立って働く」「先立つ不孝」「先立つものはカネ」等々。
「後悔とは先立ってできないこと」との説明から「先に立たず」が生まれたのだと考えれば、無理がないような気もします。というより「先に立たず」がひとかたまりだっただけですね。
いずれにせよ、先にはできず後になってしてもどうしようもないのが後悔であります。極力せずに済ませたいものですが、なぜか年中後悔している、つまり後悔グセを持つ人って、私だけじゃありませんよね。
後悔を反省に変えることができれば一歩前進だとも聞きますが、なかなかそういう境地にはなれないのが凡人です。ふぅ。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/29895012
※宣伝色の強いトラックバックは歓迎されません。
※トラックバックには言及リンクが必要です。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/29895012
※宣伝色の強いトラックバックは歓迎されません。
※トラックバックには言及リンクが必要です。
この記事へのトラックバック
後悔先に立てず
だったら、分かり易いのにね。
後悔を反省に、ですか・・・
難しいですね!
すでに「後悔先に立たず」が浸透していますから、「後悔先に立てず」のほうが分かり易いとしても、変えるのは無理でしょうね。
私はしばしば反省もしますが、結果的にちっとも役に立っていないような・・・確かに難しいですね。