2007年07月15日

死んでも治らない

男色という言葉があります。男子の同性愛のことです。
全く気に食わない言葉です。
なぜって・・・じゃあ女色はレズビアン? 違います。「女性の色香」「いろごと」などと記されています。要するに女性との情事です。

つまり男性から見て、対象が男性であれば「男色」、女性であれば「女色」となるわけです。
女性に選ぶ権利はありません。

このような差別語は決して使わないようにしましょう。ほら、そこの腐女子、きみに言ってんだよ。

歴史的に日本は、男色(もう使ってる)に寛容な社会でした。レオナルドやワイルドが知ってたら「日本人に生まれたかったよー」と、さぞうらやんだことでしょう。
案外そのおおらかさが、欧米に比べてゲイ人口が少ないという結果をもたらしたのかもしれません。

そんな中でレズビアニズムはどのような位置づけだったのでしょうか。
不思議なのはそれを表わす日本語が見当たらないことです。私はごく一般的な知識を持ったごく普通の人です。男色の言い換え語は片手で足りないくらい挙げられても、女性バージョンは横文字しか思いつかない。
そりゃ探せば出てくるでしょう、隠語や俗語として。
が、探さないと見つからないのなら、それはないも同然なのです。物でも事でも、名前がついた時点で存在が始まるという説があります。
畢竟、我が国にレズビアンは存在しなかった。
レスボス島でサッフォーが少女たちに取り巻かれて奔放に暮らした(らしい)西欧とはダンチですわ。

もちろん「存在しなかった」は極論ですよね。
男日照りの大奥で何が行われていたかは知りませんが、農民や町人の娘にも、無理やり嫁がされたけど男に触れられるとぞっとすると悩む若妻や、隣の嫁さんと林の片隅でこっそり逢引する寡婦もいたに違いありません。
そういう行為は抑圧されたというより、社会的影響の少なさから放置されていて、言葉としても残らなかったのかもしれません。女性は不本意な状況でも子どもを産めるので、カモフラージュも簡単?

我が家の古い百科事典で「同性愛」の項目を見ると、最後に『治療法としては精神分析その他が考えられるが、予後はよくない』とあります。治療・・・そっか、高々20年前には病気扱いされていたのか。
予後不良とはおおむね不治ってことです。致死性の病ではないにせよ、死ぬまで治らない。死んだあともアレコレささやかれそうだし、なかなかしんどいもんです。

私は結局結婚しなかったのですが・・・どうして過去形で断定するのだ・・・ま、一生するつもりはありません。
それでも、もし同性結婚が解禁され普及したなら、まじで相手捜しを始める、かも。

けっこう多くの奥さんたちが、内心似たり寄ったりのことを考えているんじゃないでしょうか。長く家庭を顧みなかった濡れ落ち葉など掃き捨てて、老後は気の合った女友達と楽しく暮らしたい、と。

それならあえて「結婚」という形態を選ぶには及ばぬだろうに。
結婚には法律のバックアップがあります。扶養義務や財産分与など権利関係の強制力が強みなんです。
大なり小なり打算が伴うのが結婚です。愛情のみで突入した結婚生活はたいてい破綻します。

息子の嫁に虐待雑じりの介護をされるよりは、自分で選んだ相手に全財産を渡すと約束して面倒みてもらったほうがましでしょう。経済力のある人に限ります。人間的魅力だけでそこまで持っていける人はまれですよ。

つまるところ、女性の同性愛がほとんど表に出なかったのは、女性に経済力がなかったからともいえます。

現代社会はわずかながら楽になりました。
カミングアウトしてはりきっている尾辻かな子さんのご健闘に期待します。
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投稿者:ルノ 12:09 | コメント(8) | トラバ(0) | ジェンダー
この記事へのコメント
なるほど、すぐに思い浮かぶ言葉では百合族ぐらい、これも往年のピンク映画で知りましたが、元は男性同性愛雑誌だそうで、わりと新しい言葉だったのですね。
検索すると、江戸時代には「ト一ハ一(といちはいち)」といったそうで、文献は少ないようです。モラルとして書き残さなかったのでしょうか?
経済力の件は疑問があります。歌舞伎役者や陰間の男娼で少年期を過ぎた者などを女性達が買っていたり、坊主と遊んでいたりします。同性愛ではありませんが、現代の女性より活発に男娼を買っていたのではないでしょうか。
土俵や神山など聖域への女性の立ち入りを制限する穢れの思想でレズは反モラルとされ、記録に残らなかったのではと想像するのですが。
traviataさん  2007年07月16日 00:53
私は、だれでも性別関係なく好きな時に好きな人と生きれば良いと思っています。ちょっと昔の有名人,吉屋信子さんには一生連れ添った女性がいたそうですが、才能と経済力が大きな助けになったのでしょう。法的に認められないと、どちらももっていない凡人が長く連れ添うのは、難しいだろうと想像します。社会的な足かせが少ないだけに自我の衝突即離別になってしまいそうだからです。お互いに我慢、辛抱しているとまた再生できるものもあるのですが。子供をもたない夫婦も法律上で認められているのだから同性どうしのもみとめないのは自由と平等の原則から間違いだと思っています。婚姻解消の手続きの面倒さに助けられてあやうくつながる事もあるものですから。あながち紙切れだけの事とは言えないとおもいます。と、ここまで書いて,我ながらいつの間にこんなぬるい人間になったのだろうと。事実婚のほうがえらい、立派なのに。
夏草さん  2007年07月16日 20:21
事実婚に賛成です。人生のパートナーという意味では、異性であれ同性であれ好きな人と暮らすのが一番ですね。ただ、婚姻の意味の取り方は色々で、パートナーとのカップルを単に社会の最小グループとするか繁殖の単位と考えるかによると思います。性的関係は生物の基本としては繁殖では。もちろん自然界にもホモセクシャルはあるので、これも自然の内ではありますが、何らかの原因による例外的エラーと捉えるのは差別的でしょうか?
婚姻即繁殖単位とする社会では繁殖以外の性的関係は快楽のみの為で後ろめたさが多少あります。もちろん動物のツガイと人間の婚姻は特に現代においては大きく異なるので、同性婚を認める社会はより文化的ともいえるでしょう。
婚姻の問題に比べれば、ヘテロの異性装なぞ軽いもんだいですね。
traviataさん  2007年07月17日 02:23
杉浦日向子氏の漫画に、江戸時代のホストクラブみたいなものが出てきたような気がします。いつの世も一部のお金持ちは好きなことができたし、庶民のほとんどは貧乏にあえいでいました。
私個人は、絶対件数が少なくて、『反モラル』と取りざたされるほどのことでもなかったのではないかと想像します。

西欧などに比べて家族関係に関する法律が厳しい日本において、事実婚は強者のものだと思っています。『事実婚のほうがえらい、立派』ということですよね。精神力、経済力ともに人並み以上でないと、なかなか踏み切れないし、続かない(続けなくて済むから楽と思う当事者もいるけど)。
マイノリティの多くは弱者で、世間の目を気にしてひっそりと暮らしているのかもしれません。法的に裏づけがあれば心の支えにもなります。
そしてまた、法の変更を求めて行動を起こす人々は強者なのです。


それはそうと、やっぱし・・・。内容が問題か、適合する広告がないと自分でも確信しておりましたが。
ルノさん  2007年07月18日 16:21
浮世絵か何かで、女2人が張形を使うというのを見た記憶があります。適当に検索すると、こういう事に言及している本も出ているようですね。
n100さん  2011年04月01日 04:26
こんにちは。
ご教示ありがとうございます。私はこういうことを検索したいとはあまり思わないのですが、わざわざ記事にまでしたからには、人よりは強い興味を持っていたに違いないと認めないといけませんね・・・。
ルノさん  2011年04月01日 16:12
もともと活字中毒で、文字が書いてあれば何でも読む人ですので、こちらのブログは宝の山です。
n100さん  2011年04月03日 06:30
ありがとうございます。世に文章の多いブログやサイトは星の数あるのに、目を留めていただけたのは光栄です。
ごくたまに、当サイトの文と気分が合う(相性がいい)らしいかたがお見えになることがありますが、なにぶん管理人が無愛想なので、すでに全員から見放されてしまいました。えっへっへ。
ルノさん  2011年04月06日 08:14
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