男色という言葉があります。男子の同性愛のことです。
全く気に食わない言葉です。
なぜって・・・じゃあ女色はレズビアン? 違います。「女性の色香」「いろごと」などと記されています。要するに女性との情事です。
つまり男性から見て、対象が男性であれば「男色」、女性であれば「女色」となるわけです。
女性に選ぶ権利はありません。
このような差別語は決して使わないようにしましょう。ほら、そこの腐女子、きみに言ってんだよ。
歴史的に日本は、男色(もう使ってる)に寛容な社会でした。レオナルドやワイルドが知ってたら「日本人に生まれたかったよー」と、さぞうらやんだことでしょう。
案外そのおおらかさが、欧米に比べてゲイ人口が少ないという結果をもたらしたのかもしれません。
そんな中でレズビアニズムはどのような位置づけだったのでしょうか。
不思議なのはそれを表わす日本語が見当たらないことです。私はごく一般的な知識を持ったごく普通の人です。男色の言い換え語は片手で足りないくらい挙げられても、女性バージョンは横文字しか思いつかない。
そりゃ探せば出てくるでしょう、隠語や俗語として。
が、探さないと見つからないのなら、それはないも同然なのです。物でも事でも、名前がついた時点で存在が始まるという説があります。
畢竟、我が国にレズビアンは存在しなかった。
レスボス島でサッフォーが少女たちに取り巻かれて奔放に暮らした(らしい)西欧とはダンチですわ。
もちろん「存在しなかった」は極論ですよね。
男日照りの大奥で何が行われていたかは知りませんが、農民や町人の娘にも、無理やり嫁がされたけど男に触れられるとぞっとすると悩む若妻や、隣の嫁さんと林の片隅でこっそり逢引する寡婦もいたに違いありません。
そういう行為は抑圧されたというより、社会的影響の少なさから放置されていて、言葉としても残らなかったのかもしれません。女性は不本意な状況でも子どもを産めるので、カモフラージュも簡単?
我が家の古い百科事典で「同性愛」の項目を見ると、最後に『治療法としては精神分析その他が考えられるが、予後はよくない』とあります。治療・・・そっか、高々20年前には病気扱いされていたのか。
予後不良とはおおむね不治ってことです。致死性の病ではないにせよ、死ぬまで治らない。死んだあともアレコレささやかれそうだし、なかなかしんどいもんです。
私は結局結婚しなかったのですが・・・どうして過去形で断定するのだ・・・ま、一生するつもりはありません。
それでも、もし同性結婚が解禁され普及したなら、まじで相手捜しを始める、かも。
けっこう多くの奥さんたちが、内心似たり寄ったりのことを考えているんじゃないでしょうか。長く家庭を顧みなかった濡れ落ち葉など掃き捨てて、老後は気の合った女友達と楽しく暮らしたい、と。
それならあえて「結婚」という形態を選ぶには及ばぬだろうに。
結婚には法律のバックアップがあります。扶養義務や財産分与など権利関係の強制力が強みなんです。
大なり小なり打算が伴うのが結婚です。愛情のみで突入した結婚生活はたいてい破綻します。
息子の嫁に虐待雑じりの介護をされるよりは、自分で選んだ相手に全財産を渡すと約束して面倒みてもらったほうがましでしょう。経済力のある人に限ります。人間的魅力だけでそこまで持っていける人はまれですよ。
つまるところ、女性の同性愛がほとんど表に出なかったのは、女性に経済力がなかったからともいえます。
現代社会はわずかながら楽になりました。
カミングアウトしてはりきっている尾辻かな子さんのご健闘に期待します。
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検索すると、江戸時代には「ト一ハ一(といちはいち)」といったそうで、文献は少ないようです。モラルとして書き残さなかったのでしょうか?
経済力の件は疑問があります。歌舞伎役者や陰間の男娼で少年期を過ぎた者などを女性達が買っていたり、坊主と遊んでいたりします。同性愛ではありませんが、現代の女性より活発に男娼を買っていたのではないでしょうか。
土俵や神山など聖域への女性の立ち入りを制限する穢れの思想でレズは反モラルとされ、記録に残らなかったのではと想像するのですが。
婚姻即繁殖単位とする社会では繁殖以外の性的関係は快楽のみの為で後ろめたさが多少あります。もちろん動物のツガイと人間の婚姻は特に現代においては大きく異なるので、同性婚を認める社会はより文化的ともいえるでしょう。
婚姻の問題に比べれば、ヘテロの異性装なぞ軽いもんだいですね。
私個人は、絶対件数が少なくて、『反モラル』と取りざたされるほどのことでもなかったのではないかと想像します。
西欧などに比べて家族関係に関する法律が厳しい日本において、事実婚は強者のものだと思っています。『事実婚のほうがえらい、立派』ということですよね。精神力、経済力ともに人並み以上でないと、なかなか踏み切れないし、続かない(続けなくて済むから楽と思う当事者もいるけど)。
マイノリティの多くは弱者で、世間の目を気にしてひっそりと暮らしているのかもしれません。法的に裏づけがあれば心の支えにもなります。
そしてまた、法の変更を求めて行動を起こす人々は強者なのです。
それはそうと、やっぱし・・・。内容が問題か、適合する広告がないと自分でも確信しておりましたが。