2007年09月30日

したい時には親はなし

先日の記事で、幼いころ感じた死の恐怖に触れ、おとなになっても「死は最大級の恐怖」と述べました。
人は、生物は、ほぼ例外なく死を恐れます。死をもたらしそうなものを本能的に回避しようと努めます。
生物は生きているから生物であり、死んだら「生物」ではなくなって、存在意義を失うのです。

それにしても、死はほんとうに怖いことなのでしょうか。

幼少時の思い出をきっかけに、改めて「死」に思いを馳せてみても、「恐怖」が実感として湧いてこないのです。歳月は流れ、死はすぐそばまで来ているのに・・・。
もはや「ジタバタしたってしょうがないじゃん」て感じ。それは誰にでも平等に訪れるのだから。
死が避けられないからこそ今を大切に生きよう。などと人生訓の書は説くのでしょうが、別に気負うのでもヤケになるのでもなく、淡々と余生を過ごしましょう・・・ワハハ、これが悟りか。

そんなことよりも、もっと現実的で差し迫った問題があります。

親の死。

親が死ぬのは順当であるし、これまた致し方ないとは思うが、葬式などといった形式ばったものが大嫌いなんです。
墓は本人が用意してくれているし、式だの香典返しだのは一過性のものだからなんとか耐えるとして、もし死ぬまでに延々介護の問題が生じたら・・・悲惨です。介護はするほうもされるほうも地獄。想像だけで気が遠くなりそう。
先手を打って死にたくなっちゃうかも。親に葬式を出させるのは最大の親不孝らしいけど。

とまあ、埒もないことを夢想しておりましたら、昔ウェブで知り合った人からメッセージが届きました。
だいぶ前にサイトを畳んで消息不明だったので、ちょっと心配していました。ご本人はいちおう元気らしいけど、親御さんが亡くなったとの由。それだけがウェブから消えた理由ではないようですが、『HP作成に費やした膨大な時間があればもっと親孝行できたのではと、後悔の念で自虐的な日々を送っている』とか・・・。

他人事ではない気持ちになりました。極めつけの不孝人生を歩む立場として。

あえて他人事として言わせてもらえば、身近な人の死に直面すれば、まともな人間なら誰しも悔やむものです。
「ああすべきだった」「こうしてあげることもできたはず」「あんなことを言わなければよかった」云々。材料は無限に湧き出でます。
とりわけ相手が親だと、さんざん親不孝を重ねてきた記憶がずっしりのしかかってきます。
精一杯親孝行してきたように見える人々さえ、悔やまずにはいられないのが人情です。
人間はそうできているのであって、解決してくれるのは時の経過です。

手痛い経験から教訓を得て次の行動に反映させることは、人間だけでなく、狼にもプラナリアにもできます。
しかし教訓を伴わない、非生産的で後ろ向きな「後悔の念」はおそらく人間だけが持つのではないでしょうか。

その後悔はいったい誰のためのもの?
死んだ人は何の感情もないのだから、責めたりはしません。責め立てるのは自分です。自責が自己憐憫になり自己満足(こんなに悔やんでいる自分は善良な人間だと慰める)と入り混じって、自分の内部で堂々巡りをしている状況・・・辛辣に言えば、後悔は人のためでなく、自分の「気を済ませる」儀式なのでしょう。

そしてふと思う。
介護の苦労というものは、最後に親孝行をした気分にさせてくれる方便かもしれないな。

個人的にはそんな方便に振り回されるなんざまっぴらだ。
だから親には、元気で生きてポックリ逝くための健康情報をあれこれ説いているのだけど、ちっとも実行してくれません。

親不孝を(気分的に)正当化する手段ならほかにもあります。
自分が親不孝なのは親孝行する能力を授けなかった親のせいだ、とか。

あるいは子供のころ受けたひどい仕打ちを数え上げてみる。
親ってのは子供のココロなんか全然わかっちゃくれなくて、弱者である幼子を不条理な権力で押さえつけるんですよね(でも親不孝を後悔する年齢になると、わかっちゃくれなかった事情がわかっちゃう場合もある・・・それを我が子への理解に応用する人は少ないが)。

積極的に何かしたというのでなくとも、自分を産んだことそのものが悪だ、愚行だと思ったことってありませんか? 青春時代にはそんな怒りに駆られて、親を恨み、憎む人が少なからずいると思います。自分にさしたる才能がないことを嘆くゆえの一時的な感情かもしれません。中にはそれが高じて、こんなに恨まれちゃかなわん、自分は絶対にコドモなんか作らないぞと心に誓ったり・・・。

・・・こんなことをあらかじめうじうじと考え続けている私は、きっと後悔するでしょう。
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投稿者:ルノ 23:45 | コメント(2) | トラバ(0) | 生老病死
この記事へのコメント
こんにちは、ルノさん!書き込みはご無沙汰ですが、毎日お邪魔していますよぉ!!

生きているもの全て、避けられない事ですね。身近で特に若い人が亡くなると、考えてしまいます…。

子供の頃、何で生きているんだろう?何でここにいるんだろう?と単に思う時期もありました…今思えば簡単なことですがね(爆)。
死んだらどうなるだろう?これはわからない〜からこそ怖いんでしょうね。

私の場合は父は既に他界し、母のみとなっていますが…元気で生きている事こそ最大の親孝行と勝手に解釈している…のは、実のところ親不孝者だったりして?

うー介護は大変ですよ、誰に聞いても〜介護してる側が病気になっちゃう事も。私のところですが今のところ大丈夫ですが、こればっかりは…本当に困った問題です。もし仮に「子孝行」という言葉が存在するならば「すんなり」が…あぁ何と不謹慎な(汗、汗…)。本人もそれを望んでいるようですしぃ〜と付け加えておきます。

最近では物騒な事件が頻発してて、聞くに堪えません。

命とはかけがいのないもの…と思う人が少なくなってきてるのかなぁ?

難しい記事の内容でしたので、上手くコメント出来たか自信ありません…が、お許しください。
shibaさん  2007年10月04日 22:55
> 物騒な事件が頻発してて、聞くに堪えません。

親子間の殺人や高齢者虐待など、確かに恐ろしい世になりつつあるような気がします。
思うのですが、親が子供を虐待したり殺したりするのは全面的に親が悪くて、親が子に殺されたり虐待されるのは、自業自得の一面があります。安易な気持ちで子作りしちゃいかんのです。
ルノさん  2007年10月05日 21:31
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