「楽あれば苦あり」とセットになっていることも多いですね。また「楽は苦の種、苦は楽の種」とも。
英語・英文を検索したい人のために先回りしますと、No cross, no crown(苦難なくして栄光なし)・・・否定方向だけど、頭韻ですな。No pain, no gain も似たようなものです。学校では No pains, no gains と習ったような気がするが。
嫌なことでもどうせしなきゃいけないのなら、さっさと済ませて肩の荷を下ろしたい。
実にごもっともですが、なぜか人間というものは、今やらずに済むことを可能な限り先延ばししてしまう性分を持っているようです。
むろん私もその典型。夏休みの末日には毎年ヒーヒー言ってました。今でもグズゆえに抱え込みっぱなしのさまざまな懸案事項に押しつぶされかけています。
屁理屈をこねて心理分析いたしますと・・・。
手を着けないでいるうちに状況が変化してやらずに済むかもしれないという期待。
今よりもあとになってからのほうがより手際よくできるであろう(人間は成長するものだから、あるいは時を経たほうが情報が集まったり準備が整ったりするから)。
早々とやり遂げてしまうと、もっと難しい仕事を押しつけられかねないと懸念したり。
現実には「やらずに済む状況」になる可能性が低いからこそ「さっさと済ますべき事柄」なのであり、経験的には思い切って早めに取りかかれば案外楽に終えることだって多いのです。その後は真にやりたかったことに思う存分打ち込めます。
いわゆる成功者はその切り分けと見極めを確実に判断し実行した人々なのでしょう。
さあ諸君、何事も明日に伸ばすことをやめて今日、たった今、片づけてしまおう。
・・・とお説教めいた話をするつもりはありません。
おとなになった人は多かれ少なかれ後悔すると思うんです。子どものころもっと真面目に勉強していれば、もう少しましな日々を送っていたろうに、と。
「別にぃ。おいらはいっしょけんめー勉強したから、現状に満足だよ」
そうですか。そういうご立派なかたはお引取りください。私とはレベルが違う。
どうして子どもってあんなに勉強嫌いなんだろ。同じことを今勉強しようとしても、日に10万個だか100万個だか死につつある脳細胞が受けつけない。あのころが一番多くのことを吸収できたはずなのに。
これはもう、親の責任です。子供の将来を慮るなら、机に縛りつけてでも勉強させるべきだった。
おーおー、自己の怠惰を親に転嫁しますか。
だって、子どもにはわからない、実感できないんですよ。今サボると将来後悔するということが。
理屈では納得してるんです。というか、さんざっぱらお小言くらったものでしょ。ちゃんと勉強しないとお父さんのようにうだつが上がらず苦労するよ。違った。しっかり勉強しないとお父さんみたいな立派な人になれないぞ。我が家がどっちに当てはまるかは、子どもの目にも一目瞭然。
実例を目の当たりにしても、やっぱり勉強しない。絶対しない。机に縛られたらなおのこと反発して収拾がつかなくなったでしょう。
もはやそう決まっていたとしか言いようがないような気がします。運命だ、と。
ま、そんなバカは私だけであり、たいていの人はバラ色の将来を思い描いて地道に勉強したに違いありません。
子ども時代の愚かな自分を反省させるには、今の悔恨を保持したまま過去に戻って殴りつけるしか方法がないのか。
てなことを夢想する人々がけっこういるらしく、タイムマシンやタイムスリップもののフィクションを見ると、恐竜狩りやキリストとの面会なんて壮大なものよりも、ちまちまと2、30年前に戻って結婚前の両親に会う、なんてのが好まれるようです。
『パンドラの火花(黒武洋)』が試みたのは、死刑囚を過去に送って自分自身を説得させ、起きたはずの犯罪を未然に防ぐことでした。凶悪犯罪をなかったことにして、歴史的な影響はだいじょうぶなの? そんな疑問をお持ちのかたは読んでみるよろし。
わずかの天才たちはおいといて、世の秀才と凡人の差はなんでしょう。基本的な能力に差はないと思うのです。ただし大きな違い・・・秀才には「努力する才能」があり、凡人にはそれがない。
確かに私には努力の才が不足しているようです。
うんざりするほど悔やんできた経験を活かし、遅まきながらも今悔い改めれば多少は取り返しがつくはずです。今の努力が明日、来月、来年あたりに小さな実を結ぶ可能性はあるのだから。
どうしてそれを実行しないのか・・・自分ながら理解できぬ。わかっていてやらないのはわかっていないことなのです。とわかっていても、結局無為と焦燥の毎日。
スンマセン。愚痴ばっか。
ところで、誰でも一生に一度は必ずしなければならない、極めつきイヤーなことがあります。ほとんどの人はそれを最大限先延ばしすべくあがきます。
遅かれ早かれ死ななきゃいけないんだから、今のうちに死んどこう。そんな理由で死ぬ人はあまりいないようです。
死のあとに楽がある保証はないからね。
死はどんな人生経験を経た人にも謎です。生きている限りは生きているほうが無難だ(当たり前)。
同じ生きるならよりよく生きるのが自分のためであろうに・・・。
どうもこのごろ愚にもつかない抽象的な考えをもてあそぶことが増えました。死期が近づいたせいでしょうか。
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