「情けは人の為ならず」を正反対の意味に捉える人が増えたと報道されてからずいぶん年月が流れました。当時日本語もろくに知らないと嘲笑された若者たちも中高年となり、「情けは人のためならずって言うからね」と偉ぶって、部下をビシバシ鍛えているのでしょうか。
「人のためならず」という文自体は否定形なので、「人のためにならない」と素直に解釈した人々の気持ちは理解できます。
改めて辞書を見ましたら『情けをかけるとその人のためになるだけでなく、巡り巡って自分にもいいことがある』とか『人に情けをかけておけば、必ずそのよい報いが自分に返ってくるものだ』などとあります。
つまり「情けをかけることは人のためにするのではなく、むしろ自分のためにするのだ」であり、「自分のため」云々は省略されているのです。
ここからいろんなことが読み取れると思いませんか?
まず、情けをかける行為は、人があまりやりたがらないこと、やった人の損になると思われることである。
ちなみに「情け」とは、「あわれみ」「思いやり」「同情」「恵み」「慈愛」などと説明されています。
しかし将来的には情けをかけた本人に果報が回ってくると説いて奨励しているわけだから、個人個人にはちょっとした負担でも、世間全体としては情けが充満していたほうがいろんな局面でメリットが大きいのでしょう。
苦労が報われる点で「苦あれば楽あり」の別バージョンとも言えます。
「苦あれば楽あり」はストレートでわかりやすいのに、なぜ「情けは人の為ならず」では「楽あり」に相当する部分が隠されているのでしょう。以心伝心を旨とする日本人は、しばしばいろんなことを省略するものですが。
わかりますよ。「苦」はひとりでもできるけど、「情け」は他人とのかかわりです。「人のためじゃなくて自分のためにやる」では、打算が見え見えですもんね。
きっと現代の若者たちは、このフレーズに潜む偽善の匂いを、青春の潔癖さでもって察知したのでしょう。だから敢えて潔く「ヘタに甘やかすとかえって相手を堕落させる」てな新解釈を取り入れた、と。
ま、これはうがちすぎだと自分でも思います。だいたい、世相が裏付けてくれません。
昨今の日本人はやたらとせっかちです。何事も直ちに結果が出るよう要求します。
いつになるかわからないけど、そのうちいいことがあるだろ・・・そんな悠長なことには耐えられません。当てにならない「情け」なんてものにかかずらってるヒマはないのでしょう。
とはいえ、せっかちであることは思いやりがないことを意味しません。両者は別問題です。
昔の人は情味があった、今の若者は損得勘定ばかりさとくて自分勝手だ、見返りも求めず他人に親切にするようなことが少ない。などと言う大人がいますが、ほんとうにそうでしょうか。老若男女を問わず、自分に優しく他者に冷たいのが普通の人であり、それは昔からちっとも変わっていないのです。
だからこんな成句が生まれたんじゃありませんか。
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