2007年09月06日

穿く 履く ハクション

パンティだのスカートだのと、当ブログには「はく」話がいくつかありまして、コメントはそのあたりに集中しちゃっています。
変換機能もかかわっているのか、「履く」と打つ人、「穿く」を使う人、さまざまですね。

服飾分野ではほかに「佩く」という語があります。腰に下げたりはさんだりすることです。わが国では佩剣、佩刀などもっぱら武器を帯びることを指しますが、もともとは数珠みたいな飾りを腰に吊るすことだったようです。

で、「穿く」と「履く」はどう違うの?

「雨だれ石を穿つ」といいます。「穿」の字源は牙で穴をあける。穿孔とか穿鑿とかの熟語もそういった方面。「衣弊履穿」とはボロ服にボロ靴ということ?
なぜに「穿く」がズボンやパンツを身に着けることになったんでしょう。手持ちの小さな漢和辞典には、そういう語義は明確には記載されておらず、熟語例も穴ぼこ関連のみ。もしかして日本で意味づけされたのか。

「穿く」を国語辞典で引くと、「はかまやズボンなどに足を入れて腰から下に着ける」とあります。なるほど、穴のあいた衣装に足を通すから「穿く」なのですね。

一方の「履」は、履物(くつ)を意味します。字形の成り立ちは人が舟形の木靴をはいているようす、とな。
履物を指す漢字はいくつかあり、材料や形によって分けられます。履は主に革製の短靴で、いっとう一般的なものです。革が化ける「靴」は、どちらかというと丈長のブーツ。

古代日本では中国風なくつを履いていたようですが、次第に鼻緒のついた草履や下駄が主流となりました。夏の多湿と甲高幅広の足型に被甲型の履はつらかったのでしょうか。
明治維新以降、合わない欧米型の靴に無理やり足を押し込めてきた弊害は甚大なものがあります。いや、脱線。

履行、履修、履歴などの熟語に見られるように、「履」には「踏む」から派生したらしい「行う」「経験する」といった意味もあります。なべて人の行為はしっかり足を踏みしめることが基本となるわけです。

ともあれ「履く」は足先の靴に限定されます。穴もあいてないし。サンダルはどうなんだーと突っ込まれそうだけど、それはデザインのバリエーションに過ぎません。

靴の亜型と見える靴下はどうなのかというと、これが「穿く」なのです。新品だろうと、はき古しの穴あきだろうと。
レギンスやパンストは「穿く」が合いそうだけど、ソックスにはなんとなく納得がいきませんね。
足袋や靴下は履物ではなく衣類として扱われたということでしょうか。足袋や靴下を意味する「襪」は衣へんです(韈という異体もありますが)。
足先にかぶせるものだから、「履く」としても違和感はなく、間違いとまではいえないようです。

そんなわけで、パンツやスカートを「履く」としている表記も多数見受けますが、常用漢字外だから代用しているケースも考えられます。あまり厳密に当てはめようとすると疑問点も出てくるし、無難なのはひらがなでしょうね。

私はひらがなを含め、不統一の姿勢です。同一エリアに表記ゆれが多在することは、昔だったら許しがたいと思ったのに、ウェブ上では意識して揺らす習慣がついてしまいました。我ながらバカバカしいと思いつつも。
スポンサーリンク
投稿者:ルノ 19:47 | コメント(6) | トラバ(0) | 辞書と戯れる
2007年07月29日

髪は長〜い友だち

というようなコマーシャルがありましたね。
なぜ髪の下部分は「友」なのでしょう。中国人はほんとうに髪を友だと見なしていたのでしょうか。

そういうくだらないことを考え始めると気になって夜も眠れない。というタイプでは決してありませんが、漠然とした興味から辞書をめくってみました。
漢字の成り立ちには、なるほどーと感嘆するような面白いものや、深い意味なくできたらしいものなどさまざまです。

髪を分解してみます。左上部分は「長」の古字だとか。
彡(サン)の意味は「毛」。毛が3本でオバQ。ちょと向きが違う?
髟(ヒョウ)が「長い毛」というのは必然です。辞書には「長い髪が垂れ下がったさま」とあります。これだけでじゅうぶん髪になっているわけですね。
では、友の役割は?

実はこれ、友ではなかったのです。
髪の旧字は「髮」。よーく見ないとわかりにくいのですが、下は犮(ハツ)です。髪の音読みが「ハツ」なのはここから来ています。
意味は「犬が走るさま」「取り除く」・・・確かに、犬が足をパタパタさせてるようにも見えます。

それはいいとして、長い髪の下を犬が走ると髪になる理由がわからん。ということで、追究はあっという間に挫折したのでありました。お疲れさん。

あえて意味づけするなら、髟は自然のままのザンバラ髪で鬱陶しいから、カットして(取り除いて)結ったり飾ったりした総合的「ヘアスタイル」を髪と呼ぶ、というのはいかがでしょう。

この犮が含まれる漢字はけっこうあります。比較的なじみ深いのは、お祓いの祓や、跳梁跋扈の跋など。発音もハツ、バツ、フツなど親戚っぽい。
「示」は「神を祭る台」の形から来た象形文字。宗教的な意味合いの漢字によく使われます。だから祓は「神が災いを取り除く」と納得がいきます。
「跋」の意味は「越える」「踏みつける」「かかと」等です。ふーむ、それで? ・・・壁。

髪と同じく、犮が友に変わった事例に「抜」があります。旧字は「拔」です。「手で引き抜いて取る」という意味から、なんとなくうなずけます。

漢字の形の変化は、間違いが習慣的に定着したり、書きやすさを求めた結果と思われます。一部の文字だけが変化したのは、それらが頻繁に使われていたからでしょう。

漢字は日本人にとっても長〜い友だちです。
時には好きな漢字を選び、字義や字源を調べて温故知新の楽しみにひたってみませんか。お金のかからない知的ヒマつぶしですぞ。
スポンサーリンク
投稿者:ルノ 22:20 | コメント(5) | トラバ(0) | 辞書と戯れる
2007年04月16日

塞翁が馬

「人間万事塞翁が馬」といいます。

辞書には『人間の運命のはかり知れないことのたとえ』『人生における幸・不幸の予測しがたいことのたとえ』とあります。
吉事に見えたことが凶事を招き、不運だと嘆いていたらそれが幸運を運んでくるといったことの回り合わせが人生というものです。

「塞翁が馬」とは塞翁さんの馬という意味です。塞翁は固有名詞ではなく、北の砦(要塞)の近くに住む、とある翁(おきな=老人)。
「北」という言葉はどこにも使われていないけど、北方から蛮族が攻めてくるのを防ぐため、北部の国境には特に頑丈な砦があったのでしょうね。
その老人の馬が逃げてがっかりしていたら、駿馬を連れて戻ってきて、喜んだ老人の息子が駿馬を乗り回して落馬で怪我をして、そのために兵役に取られず戦死を免れたのでありました。

この話からは「逆境にもめげるな、必ずいいことがある」「得意の絶頂でも慢心するな、気を引き締めないとどん底に落ちるかもしれない」との励ましや戒めが読み取れましょう。
いや、むしろ「努力してもうまくいくとは限らない」「棚からぼた餅を待つほうが得策だ」「ジタバタしても人生はなるようにしかならない」という諦観が漂ってはいませんか? 私はそっち派です。

以前から感じているんですけど、精魂込めて打ち込んでもいっこうに認められず、そこから派生したどうでもいいような事柄が意外な成果をもたらすといった皮肉な出来事がけっこうあるのです。で、方針を転換してそちらに邁進すると、横槍が入ってぺしょん、てなあんばい。
人生って思うに任せませんな。
あんまし肩肘張らず、寝太郎を決め込んだほうがうまくいくかも・・・。

人生は予測しがたいとはいえ、この逸話をハッピーエンドで終わらせた中国人は、わりと楽天的なのではないでしょうか。

塞翁さんは最後に「しめしめ」とにんまりしたわけですよね。
「ほくそえむ」は「北叟笑む」と書きます。漠然とヘンな言葉だなと思っていたら、今回なぞが解けました。
「叟(そう)」は「翁」と同じです。北叟とは息子を奪われずに済んだ塞翁のことでした。
北の老人が人知れず笑うということで、「塞翁が馬」の締めくくりは「ほくそ笑む」だったのです。
スポンサーリンク
投稿者:ルノ 22:01 | コメント(0) | トラバ(0) | 辞書と戯れる