2016年03月29日

古いセル

ずっと前、フリーセルについて書いたことがあります。

シンプルながらも奥深く、ちょこちょことやっていました。連勝を伸ばそうと、つい時間を忘れて熱中したり・・・。

しかし、2013年夏にパソコンを買い替えてから、中止を余儀なくされました。

なにしろXPからWin8への激変で、慣れるまでがたいへん。というより、あまり慣れたくなくて、電源を入れるのさえ1日数分程度。最低限のことしかしていなかったのです。年を取ると、新しい物事に、脳がついていけないのです。って、同じようなこと、XPを導入した当時もぼやいてなかった?

少し落ち着いたころ、8にもフリーセルが入っていることに気づき、ちらっとトライしたのです。

これがもう、やりにくいったらありゃしない。
グラフィックが無意味に凝っていて、クリックのたびに音が出るし、一度でうんざり。こんりんざい手を出すもんかと、お蔵入りとなりました。

以来、長らくご無沙汰。そのままだったら平穏無事だったんですけどね。

このごろ、魔が差したというか、あの旧式フリーセルを新しいパソコンでもできないかしらと思ったのです。
調べたら、非常に簡単に移行できることがわかりまして・・・。

このページに載っていました。
http://omoituitaoboegaki.blog79.fc2.com/blog-entry-12.html

さっそく実行。私の場合、XPからfreecell.exe とcards.dllを取ってきてペーストしました。
それだけでなつかしの古いフリーセルが再現できました。

それでまた、ちょこちょこやるようになってしまいました。

XP時代から通算すると、かなりの回数遊んだようです。

ニブい私はなかなか奥義を窮めるに至りませんが、心がけるべきは、フリーセルを2つ以上空ける、空白列をひとつ以上設ける、など。カードをフリーセルに置くときは、戻ってくる位置をあらかじめ確認しておくこと。

とはいえ、そうそう思い通りに運ばないのが世の常。私はなにかとみっしり埋めちゃいます。
フリーセル

標準的なゲームの進め方としては、4種のカードのうち赤黒を含む2〜3種を、ホームセルにAから3くらいまでそろえ、下のカードは上げずに整えていき、最後にだーっとなだれのように終了させる、という感じです。

たまーに妙なものに出くわします。こういう上げ方ができる例って、めったにないでしょうね。
フリーセル
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投稿者:ルノ 13:25 | コメント(0) | トラバ(0) | レトロ
2012年03月26日

雪に変わりはないじゃなし

『シャボン玉飛んだ、(つられて)屋根も飛んじゃった』という解釈について書かれた文(たぶん『日本人の発想、日本語の表現(森田良行)』という本だった)を読み、ふとあの有名な詩を思いました。

『私が両手をひろげても/お空はちつとも飛べないが』

これに対して、「じゃあ、誰が両手を広げたら、お空は飛べるようになるんだ」とツッコミを入れる人は、まずいませんよね。
「お空」とは基本的に「そこを飛ぶ」ものであって、「それ自体が飛ぶ」という発想には至りにくいからです。

その点、屋根は・・・目にする機会はめったにないとしても、台風や竜巻や爆撃で屋根が飛ばされることはありえます。だから「屋根までもが飛んだ」と受け止めても非常識とまではいえません。屋根も飛ぶ大風の中でシャボン玉遊びをする子どもがいるかどうかはさておき。

空は飛ばないとはいえ、あえて想像すると、ちょっとシュールです。空が飛んでいったあとには何が残るのでしょう。宇宙空間? それって空のことじゃないですか。何もない状態? それこそが空です。結局空はどこへも行けないのです。
鉄腕アトムは「空を越えてラララ星のかなた」まで行くらしいが、空はどこまで行っても空でしょ、越えることなど可能なのかな。

シュールといえば、『月の砂漠』・・・これを私は月世界の話だと信じていました。
だって助詞「の」は、まず所有を意味します。「月の砂漠」を「月にある砂漠」と解釈するのは子どもだけではないはずです。
月の駱駝は地球産に比べて色淡く、なぜか脚も細長く、妙に存在感が薄いような気がしていました。月人(Lunarian)のお姫様も透き通るような肌をしてふにょんと細長いようなイメージ。

童謡の詞は、ほとんど意味不明しばしば文法無視の歌謡曲などに比べれば、いったいに格調高いといえましょう。それだけに子どもたちは正しい意味もわからずに歌っていたものです。
うさぎってそんなにおいしいもんだろうかとか、赤とんぼに追っかけられるとは軟弱な子だなとか。
イアン・アーシーさんの本には「赤い靴履いてた女の子を連れていったのは、いい爺さん」と思い込んでいたというマンガが載っていました。連れていったのが異人でなく「ガイジン」なら、誘拐の匂いがするぞ。

ところで、ある日の買い物帰り、唐突に『おお、ブレネリ』が思い浮かびました。「おブレーネリ、あなーたのおうちはどこ?」というあのデュエット曲。
昔からずいぶんとヘンな歌詞だとは感じていました。私が「おうちどこ?」と尋ねられて「ニッポンよ」と答えたら、相手はおちょくられたと怒るでしょうよ。「狼怖い」といったそばから「ヤッホー」ですか。いささか躁鬱的。

巷には同じことを思った人々がいるに違いないと検索したら、実際いろんな説が飛び交っているのですねえ。延々と論文のように書き並べたページもあって、笑い転げてしまいました。

「ブレネリ」が呼び水になって、似たような翻訳民謡の出だしがいくつか出てきました。タイトルや詳細は知らないけど、「泉に水くみにきて娘らが話していた」や「森へ行きましょう娘さん(アハハ)鳥が鳴く(アハハ)あの森へ(ラララララ)」など。

「森へ行きましょう」は、なんだかナンパっぽい始まりだけど、聞いていると、娘さんも僕らも複数だし、たいそう真面目で健全な「勤労の歌」だとわかってきます。昔の子どもは純真だったから、妙な疑いは抱きません。それよりも「アハハ」ってなんなのさと、首を傾げたりしました。

「アハハ」や「ラララ」などの合いの手(?)は、原曲にあるから外せないのでしょうが、それが違和感をもたらすことはままありますね。

「つらく悲しいときにもラララ泣くんじゃないと」・・・ラララ気分じゃねえだろって突っ込みたくなりませんか。この一点のせいで、『グリーン・グリーン』という歌は、歳月を経ても私の記憶から消えないのでした。
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投稿者:ルノ 13:49 | コメント(0) | トラバ(0) | レトロ
2012年01月14日

雪だるま追想

最近はめったに雪が降らず、降っても積もることは珍しくなりました。私が住むのは九州の某都市です。積もりにくいのは、温暖化のせいだけでなく、雪の降り方が変わったからだとも思えます。

このごろは昼間に降ることが多いようです。昼間だと融けやすいのです。
「本日の最高気温は真夜中に出ました」などと聞くこともあり、ナンカヘンダナって気がします。ヒートアイランドで、街が地熱を蓄えて、日没後もあまり温度が下がらないのでしょうか。

かつて雪は夜中にしんしんと降り積もりました。雪の降る夜は車も通らず、不気味なくらい静まり返ります。朝起きて窓を開けたら、一面の白世界に「わあ」と声をあげたものです。そして子どもたちは雪だるまを作りに表へ駆け出すのでした。

雪だるまといえば、目鼻には炭を埋め込んだものです。
炭が一般家庭の常備品でなくなった現在、何を使っているのかよく知りません。アボカドや人参?

で、思い出しました。この私、学芸会で主役を演じたことがあるのですよ。
小学校2年まで過ごした田舎町でのこと。どっちの学年だったか、記憶はあやふや。

私が選ばれたのは、たぶん一番のっぽで「お姉さん」てイメージだから、でしょう。弟役には同姓の小柄な男の子がなりました。その地域でありふれた名字というわけではないのに、その子は親戚でもなんでもありません。担任教師としては、ちょっとしたしゃれのつもりだったかも。

ストーリーは、たいそう貧しい姉弟がいて、家では病気の母が寝込んでいるのに、炭を買うお金もなく、部屋は寒々しい。ふたりはとてもいい子だったので、雪だるまたちは何か役に立ちたいと話し合って、目鼻の炭をプレゼントする、と。

「貧乏な家の子だからね、いつものボロ服を着ておいで」と、先生からわりと傷つくようなことを言われました。
確かにうちは貧乏だったけど、まわりに「分限者」は珍しいくらいだったので、さほどひけ目を感じたことはなかったような・・・。
学校だって貧しくて(?)、真冬でもストーブがあるのは職員室だけ。ずるーい。
このお話は、衣装や大道具などが安上がりで済む点も、魅力だったのでしょう。

雪だるまの目がひとりでにぽとりと落ちるシーンはちょっとした山場なのですが、そこをどう演出しようと悩んだ結果、雪だるま形に切った厚紙に本物の炭を糸でくくりつけ、後ろで支える雪だるま役の子がはさみで切ることにしました。先生のアイデアです。子どもたちにはなかなか思いつきません。

落ちた炭を拾ったふたりは「雪だるまさん、ありがとう」と手を振って退場。残るはのっぺらぼうの雪だるまたち・・・と、感動のラストシーン?
ま、地味でつまんない話だから、観客には受けなかったことでしょう。そのへんはよく覚えていません。
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投稿者:ルノ 17:21 | コメント(0) | レトロ