2007年05月20日

ベンハムのコマ

子どものころ、少年雑誌に「白黒なのに色が見える不思議なこま」が載っていました。
さっそく切り抜いて作ってみると、確かに色が見える! これはすごいと興奮したものです。

先日ゆくりなくも『脳のはたらき 知覚と錯覚』(宮本敏夫/ナツメ社)という本を手に取ったところ、それはベンハムのこまというものだと知りました。
さっそくプリントして作ってみる。
軸の長さの調節に自信がなかったけど、ちゃんと回って、おお、やっぱり色が出ました。十数年ぶりの(ん?)感慨にひたったのであります。

回り始めはグレーの同心円が12本見え、回転が鈍くなってぶれだすと、紫、赤、緑か黄色か茶色みたいな感じに数本ずつ分かれてきます。ほんとうにそんな色なのかと目を凝らすと、どうもはっきりしない、というか、色があるのはわかるけど、灰色っぽくて非常にあいまいな色なのです。
右回りと左回りでは色の順序が異なります。人によって見え方はさまざまだとか。

色が見える原理についていまだに決定的な説明はなく、この色を主観色と呼ぶそうです。
虹は光の粒に太陽光線が当たって見えるのでしょう。虹を錯視と呼ぶ人はいないけど、原理としては似たようなものじゃないのかしら。

その本には、ほかにシェリントン円板とフェヒナー円板が併載されていて、全部作って回しましたが、シェリントンとフェヒナーのほうは、何度やっても色が見えず、あきらめました。
色よりもむしろコマ回しのほうに熱中しまして、テーブルやてのひらでクルクル。棒の長さやバランスを変えるとけっこう長く回ることがあるので面白いのです。

主観色だから写真には撮れないそうです。動画にしたらどうだろと、デジカメでトライしたけど、あまりにデータが粗くて全然ダメ。そもそも液晶画面では肉眼とは違う見え方なのですね。しかも液晶では色のないところに色が見えたりするものです。
ではアニメGIFで動かしてみようか・・・これもスピードが足りず失敗。
このような古典的玩具にIT技術は似合わないんだー。

静止状態。上がベンハム。手前左がシェリントン、右はフェヒナー。
独楽

回転状態。左がベンハム、右がシェリントンです。
ベンハムのこまシェリントンのコマ
シェリントンのコマは回ると全体が白っぽい中に2本の黒い線が見え、止まるころにはその2本線の間が銀色に輝くのです。

さて夕食後、またコマ回しを始めたら・・・なんと、昼間は色が出なかったシェリントンとフェヒナーもうっすらと発色してきたではありませんか。
どちらも赤と水色っぽい扇形の組み合わせで、金属的なパステルカラー。なかなかファンタスティックであります。フェヒナーはルーレット盤のような感じ。
どうやら蛍光灯の下でだけ見えるらしいのです。

ベンハムも蛍光灯の下だと、全体に赤と水色がかっていて、自然光とはまた違った趣を味わえます。

どのコマもダウンロードできるページがあるようなので、童心に返りたいかたは試してみませんか。
投稿者:ルノ 15:48 | コメント(2) | トラバ(0) | レトロ
2007年05月09日

カーマニア

ジョン・ディクスン・カー(1906−1977)の熱狂的ファンは、推理小説家の中にもたくさんいます。カーはほかの巨匠たちよりもより強い思い入れや偏愛を抱かせるようです。首尾一貫して不可能犯罪に取り組んだ姿勢が驚嘆と憧憬を呼ぶのです。

現在に至るまで、カーほど不可能犯罪に取り組んだ人はいないでしょう。
エドワード・D・ホックはたいそう意欲的で知性にあふれているけど、短編作家だから小粒で地味な印象なんですよね。
国内では倉知淳が法月綸太郎に『天然カー』と称されました。不可能一辺倒ではなくロジック一辺倒の人。なのに味があります。

不可能犯罪とは「密室殺人」に代表されるように、論理的に起こり得ない状況で発生した事件の謎を解くものです。
いわゆる「トリック」が重視され、その派手な演出や非現実味が「堅実に人間を描く」タイプの作家や社会派小説愛好家などから蔑視される傾向にあります。
とりわけカーの作品では降霊術や魔術などオカルティズムが多用されています。毒をもって毒を制す、より不自然なもので不自然さを覆い隠すという絶妙の手法が冴えています。それだけにB級のイメージもぬぐえないようです。

そしてまた、カーには駄作も多いのです。最近になって翻訳されたものなんか、なるほど今まで埋もれていたわけだ〜と納得するようなものばかり。それでもファンならいちおう手に取る。なんたってカーですからね、その味わいは不滅です。
名作とされるものでも、キャラクター造形なんかちょっとヘンだったりします。フェアプレイを旨とする本格推理では、誰が犯人であってもおかしくない状況が求められます。カーでは絶対に犯人でない人がたいていいるんですよね。それでも意外な犯人が出てくるんだからスゴイ。とマニアなら絶賛。

最近は読んでいないのでよく思い出せないけど、私の好みは『緑のカプセルの謎』『曲った蝶番』『髑髏城』など、だったか。
名高い『火刑法廷』はちょっと極端すぎて合わないかなー。

ところで『藤原義也さん』、お元気ですか。って、見ず知らずの市井の人の本名を取り上げていいんだろうか。まあ、ネットに名前が載っているんだから差し支えないでしょう。

ミステリマガジンという雑誌をむかし一度だけ購入したことがあります。たまたまカー特集をやっていたので。
最近調べものがあってめくっていたら、読者コーナーに大学一年生の藤原義也さんが載っているのが目に留まりました。
『火刑法廷』が好きと言うものの、ミステリへの熱意はまあまあって感じ。が、その語り口のセンスに、このヒトはその後この方面(文壇かマスコミあたり)に進んだのではなかろうかと思って、ちょこっと検索してみたら(ヒマジン)、やはりそのようでした。
現在どうなのかは不明ですが。

付記:
後日手に取った『ジョン・ディクスン・カー<奇蹟を解く男>』というぶ厚い本の訳者あとがきに、「国書刊行会編集部の藤原義也氏」への謝辞が記されておりました。
国書刊行会といえば、私にとってはラヴクラフト関連を買い漁った記憶があります。
投稿者:ルノ 10:39 | コメント(0) | トラバ(0) | レトロ
2007年02月24日

だんご母に捧ぐ

何年か前、『だんご三兄弟』という歌が大ヒットしました。
わが国では童謡とかそれに類した歌が時々爆発的に売れることがありますね。『帰って来たヨッパライ』『黒猫のタンゴ』『およげ!たいやきくん』等々。子供が好んだからというより、それぞれの時代において大人の気分に合う何かを持っていたのでしょう。

当時『だんご三兄弟』は街を歩くとあちこちで流れていて(特にお菓子屋さん)、つい口ずさみながら、ダンゴウオという魚を思い出し、なつかしくなったのでした。

むかーし、学習雑誌にダンゴウオの話が載っていました。うろ覚えではありますが・・・。

ダンゴウオは小さな丸っこい魚で、親魚が浜辺で卵の世話をする習性を持ちます。あるとき鳥が空中から卵を見つけ、エサだーとばかりに急降下。ダンゴウオの母親は卵を取られまいと必死で抗戦し、卵を守り抜きましたが、鳥につつかれた傷のため命を失いました。
ほんとうにあった話だとか。

幼くて純真だったわたくしはダンゴウオの母性愛にいたく感動しました。
で、エプロンを着けたダンゴウオのお母さんと乳母車に乗った卵の絵などを描いて、勇敢な母ダンゴの死を悼んだのでした。

もちょっと長じていたなら、親が死んだら卵は食べられ放題じゃないか、ここは退散して新たな卵を産んだほうがよほど種の保存に役立つだろうに・・・と冷笑したでありましょうが。

検索したら、ダンゴウオを飼っている人はけっこういるようです(実物を見たことはありませんが)。以前はそんなにポピュラーな魚ではなかったはず。やはりあの歌がきっかけで広まったのでしょうか。

ペイントでお絵かきしてみました。うぷぷ、石ころみたいなのが卵のつもりか。
左マウスで描いたから童画っぽさが出たでしょう? いやー、右手でもたいして違わないのだけど。
だんご
投稿者:ルノ 22:00 | コメント(0) | トラバ(0) | レトロ
2007年02月14日

貧乏時代の思い出

だなんて、まるで今はリッチみたいじゃないか。

初代ファミコンが売れているという話を聞きました。そうです、あのファミコン。コントローラーが「えんじ色」で長方形の。

私もスーパーマリオでファミコンに入り、ドラゴンクエストとファイナルファンタジーで育ち(?)ました。
現代の複雑なゲームにはとてもついてゆけません。

ドラクエでいっとう印象に残っているのが2です。主人公と王子様とお姫様が3人並んで旅をするっての。
まだRPGに慣れていなかったし、ドラクエ2はけっこう難易度が高く、苦労しました。

主人公みんみんとランドおうじはアイリンひめを捜してあちこちうろつくのだけど、鏡の謎が解けなくて出会えず、ストーリーが進展しません。
捜しながらフィールドではモンスターと戦い、HPをつけお金を貯めないといけないのに、このランド王子ってのが軟弱で、一発殴られただけで死んじゃう足手まといなんです。

当時のゲームはキャラクターが戦闘に負けたら死ぬのが普通でした。いちおう復活するけど、手持ちのお金は半減。仲間が死んだときは教会でお金を払えば生き返ります。
そのせいで子供たちが、人は死んでも生き返るとか命は金で買えるなどと思い込むなどと批判を浴び、後には『戦闘不能状態』とかに変わりましたよね。

リセットする手もあるけど、初期のカセットにはセーブ機能がなくて、前回の続きをするには長ったらしい呪文とやらを打ち込まないといけないから面倒なのでした。ああ、あの素朴さがなつかしい〜。

で、みんみんは王子の遺体を引きずって町へ向かうのですが、その途中でもモンスターは容赦なく襲いかかってきます。ひとりでは太刀打ちできないのでひたすら逃げて町へ。
逃げてばかりだから体力も低いままでお金も足りない。しかたなく道具屋で防具を売り、かき集めたお金を握り締めて教会へ行き、やっと蘇生にこぎつけたときは一文無しで無防備状態。外へ出てちょっと稼いだら、またやられて死ぬという悪循環。

そんなふうにどじでヘタっぴな展開でも、徐々に成長してどうにかクリアしました。

だから私はタケノコ生活がどんなものか身にしみておりますのよ。
投稿者:ルノ 22:46 | コメント(0) | トラバ(0) | レトロ
2006年09月09日

自家製パンはおいしいか

何十年か前、自動パン焼き機なるものが流行りましたよね。材料を入れてほっとけば、こねて発酵させて焼き上げてくれるという手間要らずのスグレモノ。お宅の押入にも1台入っているんじゃないですか。

それまで素人がパンを作るなんて大変なわざでした。
まず発酵の温度管理が難しい。古い料理本には『ドライイーストはちゃんとふくらまないことがあるので生イーストを使いましょう』とか書いてあって、現実には生イーストなんてどこにも売っていなかったもんな。
こねるのがまた苦労。力は要るし、なかなか均一にならないし、じゅうぶんな広さの台もないし。
どうにかこうにか形を整え、無事焼き上げたとしても、味はあまり期待できないでしょう。
一番の問題は、時間と手間がかかりすぎること。予備発酵、こねこね、一次発酵、ガス抜き、形成、二次発酵、焼き上げ・・・数時間つきっきり。パン生地を乱暴にちぎるとイーストが機嫌を損ねてしぼんだりします。

当時だってそこそこおいしいパンが安く売られていたのだし、自分でパンを作るなんて、どの角度から見ても割に合わないものでした。

それら諸問題をクリアしたかに見えた「パン焼き機」の華々しいデビュー。
人々が飛びついたのもむべなるかな。
最初は物珍しさもあったのでしょうが、子供でも安全に簡単に作れるし、案外美味だし、自分で作ったという充実感も得られ、お得な印象さえありました。いろんなパンミックスも販売されてブームを支えました。

・・・が、飽きられるのも早かったようです。

パンなんて自分で作ってまで食べたいもんじゃなし・・・日本人はやはりお米民族。
あのパン焼き機、1台何万円だったか知りませんが、元が取れたと胸を張る人は皆無でしょうね。所詮は高いオモチャだったと気づき、押入の場所ふさぎになってしまったようです。

とはいえ、近所のスーパーでは時々カメリア(日清の強力粉)の安売りをしているし、買う人がたくさんいます。パン焼き機はまだ健在なのでしょうか。

かくいうわたくしもたまに衝動的にパンを焼きます。カメリア1袋で4回作れます。うちのはパン焼き専用機ではなく、オーブンレンジにたまたまパン焼き機能がついていたんです。パン焼きなんて・・・とバカにしていまして、初めてパンを焼いたのは購入から数年後でした。食パンなら、材料をセットしてスタートボタンを押せば約4時間で焼き上がります。ゴマやくるみを混ぜたり、チーズを練り込んだり、バリエーションも楽しめます。

味は・・・まあまあ。こね足りないのか、生地のきめが粗くて穴だらけ。冷めるとパサパサざらざらになって、スーパーに並んでいる148円の食パンにも負けます。それでも焼きたてならば、町の自家製パン屋さんの260円の食パンよりおいしいくらいです。特に外側(耳)は絶品。ついつい耳をむしって食べちゃって、はっと気づくと中身だけが無惨に柔肌をさらしていたり・・・。
じゃあ「耳だけパン」を作ったら最高ではないかと。途中で取り出して天板に平たく伸ばし、数枚に分けて焼けばいいんです。ま、そんな面倒なことをする気力はありません。

本日焼いた素朴な手作りパン。

手作りパン
投稿者:ルノ 21:33 | コメント(0) | トラバ(0) | レトロ