2016年05月30日

黒猫受難

気がつくと、もう月末。月日の経つのはなんと早いことでしょう。棺桶がどんどん近くなる。この慨嘆も老化の証。

だけど一日の中では、案外ゆっくりなんです。
腹減ったー、そろそろ昼ごはんの支度を・・・。時計を見ると、まだ10時。こんな時間に昼食をとれば、夕方までもたないから、せめて11時まで我慢。するとその1時間の長いこと、長いこと。
こんなに空腹なのは、ひょっとして朝ごはんを食べ忘れたせいじゃないかしら。と、認知機能さえ怪しくなってしまうのでありました。

時間感覚のみならず、日常生活のいろんなシーンで、老いが身にしみることが増えました。老化については昔からいろいろ書いていますが、当時はまだ余裕があって、半分冗談。現在ほど切実ではなかったみたいです。

とりわけ身体面。見かけはすでにあきらめの境地。もはや機能を守るしかないのに、体力の衰えが行動に支障をきたすこともあるのです。
スーパーでは、極力カートを使うようになったし、1度の買い物は自力で背負える量に制限。いちおう行き帰り徒歩なのはエライけど。

ラジオ体操第二の終わりころ、指導員が「はずんだ呼吸を整えて」とか言うでしょ。たかがラジオ体操くらいで、呼吸が乱れるもんか、なぁんてバカにしていたのです。でも最近は、真面目に第一、第二と続けると、最後は息が切れてしまって・・・。

ロコモ防止のため、立って靴下をはきましょう。と聞き、それではと、起き抜けに片足立ちでソックスをはこうとしたら、半分寝ぼけていたせいか、よろけて、手の指の背を、なんと足の爪でひっかいてしまいました。それで血が出るというのもすごいけど、その血が流れず、玉になって盛り上がってきたのです。つついたら揺れるけど、壊れない。
早朝は血液ドロドロという恐怖を目の当たりにした気分です。
だから起きたら水を飲みなさいということなのでしょうが、胃に入った水が血液を薄めるなんて、どうも理解できません。

抜け毛が多く、部屋中拾って回ると書いたこともありますが、髪の毛だけでなく、まつ毛らしきものも見つけます。目のまわりが寂しくなって、目ヂカラ衰退。マスカラやアイラインなんて、怖くて使えません。
そういえば、ハナをかんだら、しばしばハナ毛が混じってるし・・・って、またまた下品な話を。

この老化のデパートたるワタクシに、唯一未入荷なのは、老眼くらいかな。落ちているまつ毛が見えるほどだもの。針の穴に一発で糸が通るのは、業務上ありがたいことです。

いえいえ。近視を長年放ってきたので、老視を感じにくいだけであって、視力はめちゃくちゃ衰えているのです。

夜には黒い布が縫えないとため息をついたのは数年前です。蛍光灯の下では、黒い布の上の黒い糸を判別するのにひと苦労。
そして今では、夜だけでなく、曇りや雨の昼間もだめ。黒のほか、色の濃い布は苦手になりました。

黒猫のぬいぐるみなど、もっとたくさん作りたかったけど、今後は黒一色というのは、避けるようになるかもしれません。

だいぶ前のことですけど、黒猫が捨てられる「事件」が、英国で頻発していると聞きました。
その理由というのが、写真写りが悪いから、だとか。せっかくスマホを買ったからには、ペットを抱いて自撮りしてフェイスブックに載せたいのが人情。すると黒猫って、どうしても細部がつぶれて、ちゃんと写ってくれないんですね。

だからポイ捨て、なんて、あまりに短絡的じゃない。

それに、なぜ英国? 黒の写りが悪いのは、地球上どこでも同じはずなのに。

国民性なんだろうか。
動物愛護を誇る英国だけど、その情熱はほとんどが馬と犬に費やされるらしいし。
欧米では黒猫って不吉なイメージを与えるようですが、イギリスにおいては、黒猫は伝統的にほかの色よりも縁起がいいと言われてきたのです。それなのに、このミニクさはなによっと、かえって怒りの矛先が向いてしまう、とか。

確かに黒いものって、デジカメで撮りにくいんですよね。明るくても暗くてもダメ、フラッシュは不自然。
これまで黒いぬいぐるみを写すとき、どんだけ失敗したことか。まあまあ見られる写真は10枚に1枚もありません。

黒猫ぬいぐるみ
黒猫ぬいぐるみ2

でも、せっかく作ったのを捨てたりはしませんよ。
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投稿者:ルノ 19:23 | コメント(0) | トラバ(0) | 人形・ぬいぐるみ
2007年11月30日

Not For Sale

私のサイトは「人形」のキーワードで長らくトップだったのですよ。しかし先だって突如として、51位よりもっと下にガタガタ蹴飛ばされました。どうやらそれが罠の入り口。
昨日、晩ごはんを食べている最中、ヤフーショッピングモールに出店しませんかと、代理店かどっかから勧誘電話。ただでさえ粗食なのによけいまずうなったやんか。
ヤフつとこはえろうあこぎな商売してはりまんな(何弁じゃ?)

検索結果の下落はやむを得ないというか当然のような気もします。以前が高すぎたのでしょう。
もはや売るための人形作りをするつもりはなく、完全に放置サイトです。大勢来てもらっても致し方ありません。第一、売りたくても誰も買わないので、存在意義が失せたというか。

せっかく販売するのなら、買いたい気分にさせるものでなければなりません。
しかるにうちの商品は・・・私が客だったら、絶対に買いたくない。そもそも人形やぬいぐるみが欲しいなどと思ったことなどないのです。

欲しくないものをなぜ作るのか。作りたいから。
私の欲望は作ることそれ自体で完結するのです。
作る行為はおもしろいし、まあ楽しいし、充実感がある。思い通りに出来上がったら目的は達せられたとしましょう。

完成品は邪魔だし、売れれば次の資金の足しになろうけど、売れるように作りたいとは(結果的に)望まないので、無用の長物と化します。ま、いっか。
ってアナタ、「いっか」じゃ暮らしがおぼつかないでしょ。作るだけで売らずしてたつきを得ようとの模索にえんえん時を費やしているのでありました。

嫌なこと、望まないことはさんざんやって(やらされて)きたから、余生は極力好きなことだけに絞りたい。
私の理想は半鐘程度の高さだからね、ちっとも贅沢な願いではありません。

販売を意識せずに作ることは、完成度を無視することです。しばしばずさんでいいかげんなものができあがります。時間もあまりかからないし、途中で投げ出すのも平気だし、解放された気分です。
その反面、思う存分試行錯誤ができるから、ひょっとしたら何かが生まれるかもしれないと期待したり。

話変わって、ハムスターに挫折のあげく、うさぎのぬいぐるみを作ろうと思ったのです。

私の認識では、ウサギってものは長い耳と丸い尻尾がスタンダードでした。
しかし昨今のウサギは違うんですねえ。耳は横よりも縦にやや長い程度、尻尾はあるかなきかのはかなさ。顔だって、因幡の白兎タイプの小顔はすたれて、お多福みたいな下膨れが主流ではないか。

世の動向に無知なのはちょっとしたホコリだけど、うかうかしていると自分の守備範囲だと信じていた事柄でも取り残されていくおそれがあります。

それやこれやで試作した垂れ耳ウサギ。顔やボディのバランスはまだまだ危ういなあ。カメラの角度によっても見た目がずいぶん変わるんだけど。
・・・そのうち改良版を。

素材はタオルの切れ端です。ファーは手がかかるので、練習台にはフリースやふつうの布を使います。赤ちゃんのおもちゃにはタオルでもいいですね。

人参を抱くロップイヤー
このウサギの作り方は『はじめてのぬいぐるみ―うさぎ・ねこ・いぬ・くま』を参考にしました。


付記:
なお、検索順位ですが、更新はしてないけど、その後少し回復しました。
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投稿者:ルノ 23:30 | コメント(8) | トラバ(0) | 人形・ぬいぐるみ
2007年10月24日

二次元半

とある町で、スティッチという怪獣の子供みたいなキャラクターを描いた、何やらイベントの看板が道端にいくつも立っていました。車の中からちらと見かけただけなので詳細は知らねど(なにせ動体視力がアレレ)、うげ、昨今はああいうのが人気なのか。

たまたま借りた手芸本「ディズニーのフェルトマスコット&小物」に、そのスティッチの作り方が載っていました。ああ、ディズニーだったのね。確かにあの「かわいくなさ」は洋モノっぽい。
日本製キャラクターはポケモンみたいに、完全に毒を抜いた純粋なかわいらしさが特徴です。
それゆえ世界を席巻しつつあるのかもしれません。

とかなんとかいいつつ、せっかく借りたので作ってみました。
スティッチ
なかなか躍動的でしょ。(耳の切れ込みが逆みたいだが。)

この本で紹介されているマスコットの作り方は、私が想定したことがないものでした。アニメのワンシーンからひとつのポーズを正確に切り取っているのです。

一見立体的だけど、その実、平面がわずかにふくらんだに過ぎません。この斜め向きのポーズが真正面であって、向かって左側に視線をずらしても、正面を向いた顔に見えるわけではありません。
横から見たらペタンコだし、後ろ姿もなんかヘン。これなんか、右腕は頭からはえています。いくらモンスターだからって。
バックスタイル
右肩の位置から右腕が出ているとすれば、地面に届くくらいの長い腕でなければならないはず。でも表から見てそのようなアンバランス感はありませんよね。

これも一種のリアリティです。

これまで私はなるべく立体的になるよう人形をデザインしてきました。
10センチ程度の簡単なドールはかなり平面的ですが、それでも髪のつけ方や服の縫い方など、可能な限り三次元を意識しています。その結果、手間ひまかかるわりに手足が棒のようで見映えのしないものができてしまったような気がします。
もっと柔軟な考え方を取り入れて、このディズニーシリーズのように、平たくてもドラマのあるミニドールも面白そう。
平たいほうがブローチや髪飾りなど、用途も広がります。

人の視覚は実に厄介なものです。リアリティを狙って人間と同じ比率に仕上げると、かえって不自然な場合があります。
固定ポーズの人形を作る場合、膝を曲げて座っている人形は立ち人形よりも脚を長く作るのが一般的です。
左右の腕が同じ長さでも、片腕のみ曲げると、伸ばした腕よりも短いように見えます。

ウェディングドレスなどでふんわりとして丈の長いスカートを着せると、股下が身長の半分以上あっても、胴長短足に見えてしまうのは困ったことです。添わせる花婿は花嫁よりも長身であるべしが不文律だから、ズボンをはかせると脚の長さがいっそう目立ってしまう。

これは人間にも当てはまりますよ。一生に一度(でもないか)の結婚式に美しく見せたいなら、スカートのボリュームは極力抑えましょう。膝から上はスリムフィット、その下をぱーっと広げてトレーンを引くとまあまあ脚長に見えます。

私たちは自分で信じているよりも立体的な感覚が鈍くて、視界を1枚の絵として捉えているのではないでしょうか。
パースペクティブなる技法を編み出したのもその現れです。遠くにあるものを小さく描けば奥行きを感じるなんて、視力のずさんさを示しています。
化粧や着こなししだいで小顔脚長ほっそりプロポーションを演出できるというメリットもありますが。

イエスの死体を抱く母マリアの姿を表わしたミケランジェロの『ピエタ』。マリアの顔がやけに若いと突っ込まれているようですが、年の差は15くらいなんだから、そんな些事にこだわらなくても。
ほかには特段おかしな点は感じられません。
しかし同じ構図を生身の人間で再現するとなると、小柄な男と雲衝く大女を起用しないと無理だとか。
配置されたのが小さなマリアなら、作品そのものの迫力や情趣は減ぜられたことでしょう。聖母の存在感を出すには大きく作ることがミケさんの演出であったのか。

見せるものを作る立場としては、そうした視覚の傾向を計算に入れる必要があるのだと、このごろやっとわかりかけてきたところです。
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投稿者:ルノ 22:50 | コメント(2) | トラバ(0) | 人形・ぬいぐるみ