2008年05月08日

上げ膳据え膳

竜粕磯による自殺が続発して社会問題となっています。作り方を載せたページはプロバイダ権限で削除するとか。
そんな一時しのぎの策では解決にならんでしょうが。
ほんとうに死にたい人はどんな手段を使ってもやり遂げるものです。人を自殺に追い込む社会構造をどうにかせい。

とはいえ、ちょっと落ち込んでいるだけの人でも、無責任に煽るページを目にすれば、そっか、こんなに簡単なんだと、むらむらと意欲が高まるおそれがあります。そういった衝動を防ぐのに多少なりとも役立つでしょう。

大多数の人間は即物的というか現金というか、目先のものに行動を左右されるのではありませんか?
デパ地下で試食品に手を伸ばすのは気恥ずかしくても、どうぞと差し出されたらぱくっとやっちゃいますでしょ。据え膳食わぬはなんとやら、だしー。ちょと違う?

我が母は包丁を出しっ放しにすることを嫌い、使ったらすぐにしまいなさいと口やかましく言います。コソ泥のつもりで侵入した奴が包丁を目にしたとたん居直り強盗に変身する危険があるのだと。

蛇足ながら母の別の口癖は「親の意見となすびの花は千にひとつの無駄もない」であります。ははっ、母上様、拳拳服膺いたしまする。平伏しつつ、いつも包丁を壁にかけている私。早く乾いて衛生的だもん。

脱線ついでに、「なすび」とは茄子(ナス)のことです。
暑さにはわりと強い茄子ですが、低温や日照不足で花落ちしやすいので、梅雨期にはトマトトーンを散布して落花を防ぎましょう。でないと、ことわざがウソになります。
ワンポイント園芸アドバイスでした。

とある時事メルマガを購読しています。
その中身がなくなってしまいました。以前はブログ記事からひとつを選んでメルマガで配信していたのですが、今ではブログ記事へのリンクをいくつか列記しているだけです。

それで私はその人の記事を全く読まなくなってしまいました。クリックして購読解除ページに行くのも億劫だから放置。
メルマガの構成を変えた裏には、手間を省き、より多くの読者をブログへ誘導して、より多くの記事を読ませたい(+より多くの広告を表示)との魂胆が・・・。結果として、貴重な(?)一読者を失いました。

そんなに読みたいと思わなくても、目の前にあったらつい読んじゃうことってありますよね。
反対に、面白げなタイトルであっても、クリックというアクションを起こしてまで読みたい気分になることはまれです。とりわけメルマガでは、クリックから表示まで時間がかかります。

クリックとは面倒なことなのです、私にとって。いや、多くの人にとって。

ひとつのブログ記事にコメントが集中したので、別に掲示板を立ててすべてのコメントを移した人がいます。より活発な議論を交わしてもらおうとしたのなら、的外れ、どころか逆効果だろうに。同じページにすでにあるコメントを斜め読みして意見を述べたくなることはあっても、わざわざクリックして掲示板に行くのにはエネルギーを要するのですよ。え、よけいなお世話? 失礼しました。

ブログには『続きを読む』という機能があります。
トップページやカテゴリなどの集合ページが重くなるのを防ぎ、スクロールを少なくする効果があります。読者は面白そうな記事のみ選んで読めばいいということで、利便性は大きいと思います。

その『続きを読む』、私は使っておりません。
クリックしてまで読み通したいと思わせる内容には遠いから、やぶへびですもんね。

巷でも『続きを読む』は減ったと感じています。昔は多くのブログが普通に取り入れていたようですが、最近ではかなりの長文でも一挙掲載が主流ではないでしょうか。

ブログによっては、長い記事を強制的にカットして『続きを読む』に回してしまうところもあるそうですが、たぶん損してますよ。
そのページに全文があればなんとなく読んでしまうけど、なければ興味が途切れてしまうものです。

現実には記事に直接来訪する人も多くて、問題視するほどではありませんが。

『続きを読む』が嫌われ始めたのは、なんたら商材のアフィログなどが読者を欺く手法として多用したのが一因とも思われます。
いかにも重要で有意義なことが書かれていそうな煽り文句を並べて興味をそそり、「詳細はこちらでどうぞ」と各ページに飛ばすわけですね。
『続きを読む』に罪はないのに、共犯者みたいな印象を与えてしまい、真面目なブログが敬遠するようになったのです(独断か憶測)。

私のクリック嫌いは、ダイヤルアップ生活が長かったことと関係がありそうです。ここでクリックしたら何円余分にかかると、クリック前にためらう習慣がいまだに抜けないのです。
クリック先にどんなトラップが待ち受けるかしれないから、慎重なのも悪くはないんですけど。
投稿者:ルノ 22:21 | コメント(6) | トラバ(1) | サイト運営
2008年03月25日

身から出たさび

「このページはしょこたんとはなんの関係もありません」
そう書いた瞬間から、しょこたんに関連した内容だと見なされるのがウェブのパラドックスです。
「見なす」のは誰か? むろん、検索エンジン。

常識的に考えて、無関係なワードは何百万と存在します。ことさらに「無関係」だと取り上げた時点で、なんらかの選択が働いているのであって、すでに無関係ではないということは、人間だって判断がつきます。

だからして、私がいくら「脱パンティ、脱スカート、脱女装だ、今後は深遠な哲学ブログに衣替えだいっ」と叫んでも、こうやって打ったパンティというコトバが、ぐわしと頸を絞め、ますますパンティと関係が深いブログになってしまうのでした。

そもそもパンティのどこが悪いのか。
単に私が俗物だから、哲学はパンティよりもカッコイイという思い込みに固執しているだけです。
しかしパンティだのなんだのと書いてそういうブログにしたのは本人の意図で、これはもう自業自得、身から出た錆と言うほかないでしょう。

そういうわけで、哲学への衣替えはあきらめ。
せめて開設以来お初の模様替えで気分を改めるとするか。うーむ、拒絶的な色合い。

で、しょこたん。
メジャーなキーワードなら、いくら連呼してもそれで検索される心配はないという目算でした。
が、無意味にぽろんと持ってくると、ワードサラダの危険が忍び寄る。真面目にしょこたんを語ります。

去年だったか、この「しょこたん」って、よく見かけるけどいったいなんだろと疑問を抱いたのです。

ならば検索すれば済むのに、気が乗らないというか、そうまでして知りたいわけでもない。
ひとたび検索すれば、履歴として残るのですよ。履歴は時間が経てば消滅するし、急ぐなら手動で消すことも可能です。
だけど記憶に刷り込まれた履歴は、自分ではコントロールできません。あの時しょこたんを検索したんだったなという思い出は、背後霊のようにとりついて不眠の原因となりかねぬ。

いや、その、しょこたんがハレンチなワードとまでは思ってなくて、人気CMに出演するワンコか何かかなー、と。いずれにせよ、はやりものを検索するのは、やはり私にとって決まり悪いことでした。

ヘンな言葉の組み合わせでわがサイトを訪れる人々は、もしパソコンが盗まれたりしたら恥ずかしい、なんてこと考えたことないんでしょうねえ。そういう人々はきっと、無防備に入れたファイル交換ソフトからいろんなものを流しているんでしょうねえ。

あるとき知人との話のついでに尋ねてみました。「しょこたんって知ってる?」
相手も私とどっこいどっこいの世間知らずですが、テレビくらい見ているから、その程度の知識はありそうな気がしたのです。

すると彼女は、それはああでこうでと詳しく説明してくれました。
想像とはかけ離れていて、なんか違うみたいだったけど、反論する材料もなく、その場は丸め込まれ半分で納得。

後日判明したのですが、彼女が力説してくれたのは「ショタコン」でした。
全然関係ねーじゃんか。

この話はメールなどではなく口頭でなされたもので、見間違いとかそういう要素が入り込まないわけですよね。
ひょっとしてわれわれは漫才コンビが組める? んな、ボケふたりで漫才ができるか。

付記:
文中で「拒絶的な色合いの模様替え」について触れていますが、この日、ブログデザインを淡いグレー系から、真っ赤と黒の背景に白文字という、かなりゴシックな雰囲気に変えたのです。
しかし短期間で挫折し、淡いピンク系に再変更しました。
投稿者:ルノ 18:51 | コメント(9) | トラバ(0) | サイト運営
2007年11月04日

有為転変

いくつかブロークンリンク(デッドリンク)にぶち当たったのを機にリンクチェックをしました。去年の引っ越し以来だから1年ちょっとの間(なかなかまめです)。
今回もつながらないケースがだいぶありました。
ああ、とうとう・・・と納得したり、えーっ、あのすごいサイトがなぜ・・・と驚いたり。
たまたまサーバーダウンだったのかどうかは、キャッシュや被リンク検索などで判断することもありますが、おおむねスパッと削除します。

閉鎖のお知らせを掲げてトップページのみ残しているのは律儀なオーナー。
かつてお世話になったサイトが行方知れず。わずかな痕跡を頼りにたどり着いたら・・・「探さないでください」と巨大フォント。What happened to her?

更新が止まって4、5年放置中のサイトも多数見受けます。更新しなくても価値ある内容ならそれでもいいのですが、管理人さんが削除し忘れたように見えるものについては来年あたり再考の要があるでしょう。
ホームページは何年もほったらかしてブログは毎日更新てな人もいます。と、ときにはリンクチェックしてくれー。

思えばインターネットに足を踏み入れて8年、あっちうろうろこっちちょろちょろ、移転、改題、改名等、試行錯誤を繰り返してきました。憤慨し、ぼやき、ため息をつき、それでも途切れることなく運営を続けている私は恵まれているのだと、感謝をあらたにしています。
長く続けるコツは「自分第一」「他人に期待しない」「しばしば義理を欠く」等々でしょうか(何が感謝だ)。

かつて『常連さんお断り』という記事を書きました。
訪問者が少ないと、好きなことを書けて気楽に運営できるというメリットもあるのです。ただしそういう境地になるまでには年月を要しました。

幸いにして私のような人ばかりでないので、ウェブは繁栄を続けています。その陰には人知れず去っていった数多くの人々が・・・。

ウェブから消えた人々にはそれぞれ個別の事情があったことでしょう。
本業が忙しくてウェブどころではないのなら、ある意味うらやましい。
でも完全撤退に至るケースでは、人間関係の軋轢が少なからず影を落としているようです。

ウェブ上に自分のスペースを持ち、そこにデータを置いているからには、他者に来てもらわなければ意義が失われます。
訪問者との交流が運営の原動力となるのです。友達作りを最大の目的としてブログを開設する人々は大勢います。

mixiなどのソーシャルネットワークサービスが隆盛を誇っているのは、交流をサポートするシステムを作り上げたからでしょう。
知り合いたい、かかわりあいたい、友人を増やしたい、賞賛されたい・・・欲求はエスカレートしてきます。自分がされたいことは人にもしてあげなければなりません(黄金律)。

内気で人付き合いが苦手な人が無理やりそのレールに乗っていると、重荷となって疲労がたまってきます。
社交的な性格でいつも座の中心人物として活躍していた人でも、ちょっと言動が過ぎたり、行き違いから交友関係をこじらせて敗退することもあるようです。ブログや日記などはその構造上、いとも簡単に交流から攻撃への手段と転じます。チヤホヤされることに慣れてしまうと、無視されただけでも痛手となりますし。

他人と極力かかわらずにいれば、トラブルも少ないかわりに面白みも減ります。
ケーキを食べてしまってまだ手元に残すことは不可能です。どちらを取るかは本人の気質によりますが、大過なく続けていくためには、交流を犠牲にする勇断も必要です。
不和よりも孤独のほうがましじゃありませんか?

交流のお返しが少なくて、「不義理な人」とか「ずうずうしい人」などと思われたとしても、積極的に非礼を働くのでない限り、あからさまな非難を浴びることはないものです。せいぜい見捨てられる程度。
引っ越したのに気づいてもらえず、リンクがいつまでもそのままという憂き目もありますが、それがなんだってんだ。

『だれもあなたのことなんか考えていない』(ロジャー・ローゼンブラット)という本にありました・・・『みな自分のことしか頭にないのです──ちょうど、あなたのようにね』
投稿者:ルノ 23:55 | コメント(0) | トラバ(0) | サイト運営