2007年02月08日

やぼな十手は見せたくないが

綾辻行人・・・1、2番目ではないけど、好きです。
ほとんどの作品を読んでいます(エッセイ以外は)。お館ものの推理小説で名を上げましたが、ホラーも味わいがあります。
トリックは奇想をつく本格派、仰々しいまでに凝った設定、フェアプレイ精神・・・ますます脂が乗ってきたって感じです。

数字の十が詰まるとき、「じっ」ではなく「じゅっ」が正しい発音だと思っていました、子どものころ。五十歩百歩を「ごじゅっぽひゃっぽ」のように。
詰まるというのは促音便化って認識かな。基本が「じゅう」なんだから「じっ」より「じゅっ」のほうが自然じゃありませんか。それを「じっ」にしちゃうのは「じゅ」の発音ができない東京人の陰謀じゃないかと。

むろんそれは勘違いでして、十には「じゅう」のほか「じつ」という読み方があるだけの話です。

促音便というのは「ち」や「り」などイ音を詰めるのが普通で、「う」は対象外でしょう。「つ」や「く」は中間で「っ」になるケースがままありますが、「じゅう」と同列の「しゅう」や「にゅう」が詰まる例は思い当たらないし。

ただし、私の周りでは「じゅっぷん」とか「じゅっかいだて」みたいな発音もちゃんと通用していたような気がします。方言みたいなものかもしれません。

あ、それでね、綾辻行人の館シリーズに『十角館の殺人』というのがありまして、奥付には確か『じゅっかくかんのさつじん』とルビが振られていたのです。で、トッテモ親近感を持っちゃいました。

悲しいのは、当の『十角館の殺人』がどんなお話だったのか、さっぱり思い出せないこと。ひょっとして私、白髪痴呆?
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投稿者:ルノ 21:50 | コメント(2) | トラバ(0) | イチャモン日本語
2007年01月20日

始めは処女の如く

この続きは『終わりは脱兎の如し』・・・じゃなかったんです。

始めは処女の如く後は脱兎の如し(始如処女後如脱兎)であります。後(のち)が正しいんですねえ。
初めは生娘のように弱々しく振舞って敵を欺き、その後は逃げるウサギのように素早く行動して功を立てる計略、だそうな。処女が弱いものかどうかはこの際おいとくとしまして。

私も『終わり』だと思っていました。普通そう言いますでしょ。日本語で始めと終わりは対の言葉だし。『終わり』としている辞書もあるし。
そもそも『後』でも『終わり』でもたいした違いはなさそうですよね。

そうでしょうか。

原典は孫子。つまりこれは兵法の心得です。
うぶな小娘のふりをしてスケベおじさんにいっぱいご馳走してもらい、そろそろホテルにでもというムードになった途端、ばっくれて逃げ出すギャルの手管を説いたものではなかったんですよ。

いくら敵を欺いて油断させても、最後に脱兎のごとく逃げたのでは敗者の遁走に終わります。うさぎはか弱い動物だから、脱兎とはたとえがふさわしくないようにも思えます。弱い者が強い者に勝つ方法のつもりだった?
そりゃ追い詰められた兎が狼を噛むことだってありましょうが、『脱兎の如く』とは戦闘スピードのみを指しているのでしょう。力はまあ普通以上でなければ、やっぱり負けちゃいます。

とはいえ、首尾よく油断させれば最後に集中攻撃するだけで勝てるのでしょうか。
戦争はそんなにちょろくない。

『後』とはそういうことです。途中から脱兎になる必要があるのです。中盤以降はずっと脱兎の戦いが要求されます。慌てふためいた敵を蹴散らし追撃し、徹底的に攻め滅ぼさねばならぬ。

かくして『終わりは脱兎の如し』ではおぼつかないと納得したのですが・・・。

蛇足ながら、『始め』と『初め』の違いは、一般に前者が『事』、後者が『時』に関して使うと辞書にはあります。
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投稿者:ルノ 21:46 | コメント(4) | トラバ(0) | イチャモン日本語
2006年12月26日

犬から豚へ

突然ですが、『鼻を鳴らす』って、どんな行為でしょう?
鼻を使って音を出すのなら、ま、お世辞にもおひんがよろしいとは言えませんわね。

辞書には『甘えた声を出す』『ねだる』との解説があります。

「ねえん、あなたぁン、新しいコート買ってよン」と、鼻にかかった甘ったるい声ですりすりすることなのでしょうねえ。

しかるに・・・
小説などで『鼻を鳴らす』がその意味で使われているのを見かけた記憶が、全くないのです。

たいていは『不服げな態度』『馬鹿にしたようす』を表しています。
それらは比較的新しい用法と思われます。

「辞書が絶対」とは言いませんけど、ひとつの慣用句がこれほどかけ離れた意味に変わってしまったのはどうしたことなんでしょう。
多数の用例を時系列に並べて説得力を持たせる・・・なんてのは国語学者さんにお任せします。私の得意は直観と感性による独断的推理であります。

当初のモデルはたぶん犬でした。犬がくんくん鼻を動かしたり、くいーんと鳴いて餌をねだることから、人が甘える形容となったのでしょう。
でも人間が甘えるときには犬みたいな声はあんまり出しません。

感覚的に『鼻を鳴らす=甘える』がぴったりこない気がするのは、上述したように、人が鼻を鳴らすときに出るのは、ぶ〜とかズーとか、はしたない音だからです。

すると、おお、そういう音を出す動物がいましたね。
ブタです。

ブタの鳴き声こそ、『鼻を鳴らす』にふさわしい音ではないか。
当の豚さんたちはブーブーと甘えているつもりでも、人間がブーブー言うのは不満があるとき。それで『鼻を鳴らす=不平不満』となったのでしょう。もともとある『不平を鳴らす』という表現との混同も考慮できます。
『馬鹿にしたようす』に使うのは『鼻であしらう』『鼻先で笑う』を強めたのかもしれません。

豚が食用として飼われ始めたのは明治時代以降です。
昔の日本人に豚はなじみのない動物でした。『鼻を鳴らす=ブーブー』という連想が働く余地もなく・・・。

『鼻を鳴らす』の意味が変化したのは、わが国の食糧事情のせいだったのです。
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投稿者:ルノ 22:21 | コメント(0) | トラバ(0) | イチャモン日本語