2013年09月28日

スマホの威力

先日電車に乗ったとき。
空いた時間帯で、窓に沿った長いシートには、見渡すと私のほか13人の乗客が座っていました。うち12人が携帯端末を持っていたのです(優先席の二人も)。

ひたすら画面をなでている人、両手で握って居眠りしている人、ちらっと見てはポケットに入れ、すぐにまた取り出して見る人、2台の端末をとっかえひきかえ触っている人。

いったい何がそんなに面白いんでしょう。
パソコン扱うのも面倒な私にはさっぱり理解できぬ。

この夏のある日。私は広い通りを歩いていました。歩道の幅はトラックでも通れるほどですが、猛暑の昼下がりで、車がびゃんびゃん走るわりに、歩行者はわずかです。
つば広の帽子を目深にかぶり、日傘を目深にさしているから、行きかう人の顔など全く見えないのですが。

小さなビルの前に、スーツを着た男の人が立って、スマホ(らしきもの)を見ていました。
その前を通り過ぎたとき、風もないのに、その人の服が動いたのです。
思わず両目が横に飛び出したわたくし。

しばらく歩いてさりげなく振り向くと、その人はまだそこにいました。ちょっと斜めに建物のほうを向いて。

ところで、服が動いたって、どんなふうに? ひらひら、とか、ぱたぱた、とか。
いやあ、しいて言えば、むくむく、でしょうか。
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投稿者:ルノ 15:06 | コメント(0) | トラバ(0) | 世相=世間相場?
2013年08月07日

ボタンの誘惑

星新一のとあるショートショートに、なにもしない装置というものが登場します。
正確には全く何もしないわけではなく、その中央にあるボタンを誰かが押すとボタンは引っ込み、横についている腕のようなものがボタンを引っぱり出すというしくみです。なんの役にも立たないから、じき人々から見放されましたが、通りかかった人がついボタンを押すことはありました。
歳月が流れ、めっぽう丈夫にできているこの機械は、大災害にも核戦争にも耐えて生き残りました。

実はこのボタン、一種のタイマーでした。
ボタンのようなものを見ると押してみたくなるのが、人の性分です。最後にボタンが押されて千年後、装置は人類が絶滅したと判断し、そこで初めてボタンをもとに戻す以外の動作をおこなったのです。それは・・・。
(この話は『妖精配給会社』に収録。)

この作品が書かれたころ、押しボタンというものは出っぱっているのが当たり前でした。本能的に押したくなるのは、その形状のせいでしょう。
今では軒並み平らになりつつあります。見た目もスマートだし、故障しにくいらしいし。安物家電には出っぱりボタンがまだ健在ですが、押しても引っ込まないものは、なんとなく物足りません。

パソコンを使っていると、ボタンを押す行為は日常茶飯です。
典型的ボタンはシンプルながらも立体的にデザインされ、クリックすると陰影が変化して引っ込んだように見えるという小細工が、ボタンを押すのに似た感触を与えてくれました。
最近はそういう立体的なボタンが減ったようです。現実のボタンに近づいたのですね。
そしてタッチパネルの普及は、マウスを駆逐し、「クリック」という言葉を死語となしてしまいそうな勢いです。ボタンを押した手ごたえには、あのクリック音も一役買っていたと思うのだけど。

それでも「ボタンを押す」とは「選択する」ことだから、消えてなくなりはしません。

このごろ、ヤフーのお天気情報を見るのが日課になってしまいました。

ページ内に『みんなで実況、今の天気』というコーナーがありまして、同じ地域にいる人々から、今の実際の空模様についてアンケートをとり、1時間分を集計しています。

これに参加する人が意外に多いのです。どうして朝の4時から200人超もの人々が天気情報なんて地味なページを見てるんだぁ(と首をかしげる私だって朝4時に見てるわけだ)。
むろん毎日毎時、数百人が実況に加わっているわけではなく、数名というときだってありますが。
私はスルーしてます。ログインなど面倒な手続きが必要だろうと思い込んでいたのです。

その天気実況、アンケートボタンは「晴れ」「曇り」「雨」「雪」の4種です。5月中旬以降、「雪」は消えました。

私が住む地域で雪が降るのは、年に数回です。
真冬でも「雪」ボタンはしばしば受付中止となっています。予想気温から自動的に設定されるようですが、絶対に雪が降るはずがないと断言できる日であっても、雪ボタンを押せる状況にあれば、押すヤツが必ずいるんですよね。それもひとりやふたりにとどまらない。

ほかのボタンが受付中止になることはなく、県内全域土砂降りというような状況下に「晴れ」を選ぶ人も、当然ながらいます。

そういうのって、ちょっとかっこ悪いと思いませんか? 本人はささやかなあまのじゃく性を発揮してご満悦でも、単にアンケートの精度を乱しただけ。見ている人々も正確な結果なんか期待していないでしょう。

ともあれ人間ってのは、ボタンを見れば押したがる。ボタンが複数あるなら、変わったもの、珍しいものに手が延びる(こともある)というわけです。

昨年だったか、文部科学大臣が大学新設の申請を却下して物議をかもしました。
少子化かつ不景気の中、大学というおカネのかかる施設が年に3つも4つもポコポコできてしまうなんて、庶民としては大いに疑問ですが、大臣がたまには違うボタンを押しちゃえと気まぐれを起こしただけ・・・みたいな印象もぬぐえません。こういう人に核ボタンを委ねたら、きっと楽しいぞう。
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投稿者:ルノ 18:38 | コメント(0) | トラバ(0) | 世相=世間相場?
2012年07月30日

おたくの食卓

よそんちの食事になど興味はないのですが、『家族の勝手でしょ!』(岩村暢子/新潮社/2010年)には、ちょっとびっくりしました。

これは、現代日本の普通の家庭(おおむね30〜40代の夫婦+子ども)の食卓風景を、当該主婦が撮影した現場の写真とともに紹介した本で、いわゆる「食の乱れ」というものが赤裸々に表れています。

お菓子とジュースで朝食、冷凍ピザ+カップ麺+クリームパンなど炭水化物重ねの昼食、インスタント食品・出来合いの惣菜・加工品尽くしの夕食。野菜はほとんど見当たらず(高価だし、調理が面倒だし、すぐにしなびて無駄になるし)、魚料理は敬遠される。
食器洗いの手間を省くために、テーブルにパンなどをじかに置いたり、食卓に出した鍋から各人が直接ご飯茶碗におかずを取って食べたり。
家族そろって食事を始めることはまれで、てんでんバラバラに好きなものをつまんだり、好きなものが食卓になければコンビニやファストフード店に買いに行く夫や子どもも珍しくない。
親は子どもの偏食には異様なほどおおらかです。「子どもにピーマンを無理やり食べさせる」ステロタイプの母親像は、もはや幕内秀夫の妄想の中にしか存在しないのか。親がピーマン嫌いなら致し方ないでしょうね。野菜嫌いの子どもは当然便秘になるけど、自分も便秘だから遺伝でしょうと無頓着。

いくらなんでも普通の家はここまでひどくはないでしょ、受けを狙って特にヘンな事例ばかり選んだんじゃないの・・・と、一般の人と同じ感想を当初は私も持ったのですが、文章を読む限り、どうもそういうわけではないようです。

我が身をかえりみれば、他人の食卓をあざわらう資格などありません。とうてい人様には見せられない食事内容なのです。

私もお菓子やアイスをご飯代わりにした時期もありましたが、今では「健康オタク」への道をへろへろと歩みつつあるから、彼らよりははるかにヘルシーな食生活だと断言できます。
発芽玄米ご飯と野菜が主体の粗食だし、最近では四足獣の肉は極力避け、惣菜や加工食品はまず買いません(別のサイトではしばしばインスタント食品を紹介しますが、すべていただき物です。ビンボー症ゆえいちおうありがたく食べるけど、自費で買うにはフトコロ貧しすぎ)。

野菜料理はめったに作り置きをせず、毎度一から調理するほどこまめです。
ヘンかもしれないのは、その食べ方。そもそも「料理・調理」と呼べる代物ではないのです。仮に「あなたのある日の食卓を撮影してください」と言われても、絶対に1枚の写真にはおさまらない。「食卓」が必要ないこともしばしば。

たとえばある日の朝食。
起きて、マグカップに水を1杯入れて飲み、しばしの後そのカップにトマトジュースを注いで飲みます。
カップを洗わず、ヨーグルトとオリゴ糖とコラーゲンをぶち込んで、スプーンで食べます。
ラッキョウの容器を開け、3粒ほど指でつまんでカリカリ。
バナナを1本食べます(バナナは果物ではなく、主食扱い)。
カップに水を注ぎ、総合ビタミン剤を1錠飲みます。
さすがにカップを水洗いして水を注ぎ、電子レンジで沸騰させ、紅茶のティーバッグを入れて蒸らします。そこへ豆乳を注いでミルクティー。

別な日の昼食。
まずはトマト。絹のハンカチでこすって流水で洗い、流しの前で丸かじり。壁などに汁が飛んでもすぐに拭き取れるようにとの配慮です。
次にキュウリを洗い、端っこをポキッと折って、スライサーでシャッシャッと千切りにして皿に落とし、少量の酢とマヨネーズと胡椒をかけ、ソファーに座って食べる。ここまではまあ、まとも。
その皿を洗いもせず、ゴボウをスライサーで千切りにして、レンジでチンし、ゴマ和えにして食べる。
たんぱく質が足りないかなと、納豆をパックから直接食べる。お皿や小鉢に移すと、ヌルヌルしちゃうんだもん。
ゴマ粒の残るゴボウの皿に、レンジで温めたご飯をのっけ、カツオ節をかけて猫マンマ。
納豆のたれは1/4を納豆に、1/4をゴボウに、1/4をご飯にかけて、残りは捨てます。

これだからたまにしか皿洗いをしなくて済むのよね。

スライサーと電子レンジは必需品。これなしでは生きてゆけません。

お味噌汁も茶碗に具(豆腐とシメジなどせいぜい2種類)と味噌と水を入れてレンジで作ることが増えました。化学調味料などは使いません。シンプル味噌味に慣れれば、だしの素なんかこの世になくていいものだと思うようになります。
ときたま実家からじゃがいもをもらったりしたら、鍋で『具沢山味噌汁(じゃがいもだけがたくさん入った味噌汁)』や具沢山スープなどを作り、しばらくはそれがご飯代わり。こういうときにしか鍋の出番がないのです。アルミの鍋はアルツハイマーの原因という情報もあるし。

が、健康オタクとは因果なものです。健康情報を漁っていると、「電子レンジは危険だ」という記述に遭遇しました。そういえば我が家では、レンジとラジオは壁を隔てて6メートル以上離れているのに、レンジ使用中はラジオに雑音が入るんです。
玄米菜食中心だと、残留農薬、カドミウム、硝酸塩などの危険も増大。イソフラボンの過剰摂取も心配・・・と、ネタは尽きません。あまり神経質になると、ストレスがたまって免疫力が低下するしねー。

さて、岩村暢子は食卓風景をテーマに数冊の本を著していて、私は3冊ほど読みました。
個人的におもしろかったのは『<現代家族>の誕生 幻想系家族論の死』(2005年)。なんとも物々しいタイトルですが、読めば内容をそのまま表しているのだとわかります。現代日本の食の乱れがなぜ、どのようにして起きたのかを検証するひとつの試みで、なかなかドラマティックです。
昔、『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン)を読み、これは上質のミステリー小説だと驚嘆したのですが、それにも似た感慨を味わいました。謎解きの妙味はフィクションだけの特権ではないのです。
もっともこのタイトルでは、興味を持つ人はごく少数でしょう。文庫化に際しては『親の顔が見てみたい調査』と、かなりくだけた表現に落ちたようです。
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投稿者:ルノ 08:48 | コメント(0) | トラバ(0) | 世相=世間相場?