2009年10月31日

あきらめる技法

人生、あきらめちゃなんねえよ。と、先般申しました。トランプゲームでの話ですから、ちっとも説得力ないんですけど。
実際の話、どんな苦境にあってもあきらめずに方策を探れば必ず道は開ける・・・わけでもないことは、ゲームでも人生でも同じ。

あきらめて方向転換したほうが有利なことだって多いのです。

それを見極める方法があるのでしょうか。

あきらめる方法について書かれた書物はあると思いますが、読んだことはありません。

座右の書『道は開ける』(デール・カーネギー)には、いとも簡単な説明があります。
事態を好転させるチャンスがある限り戦うべきだ! けれども常識で判断してもはや万事休すとなれば、「悪あがきをしたり逆転を望んだりしない」ことが正気の沙汰というものだ。
『事態を好転させるチャンスがある』かどうかわからないときにはどうすべきでしょう。
もう万事休すと思ってあきらめたあと、実はまだチャンスがあったと知ったら悔しいものです。だからあきらめたあとにはそれに関することにはいっさい目を向けないという人もいます。
それでは次の機会への情報を逃すかもしれません。

たとえば家族が末期癌など難病を宣告されたとして、どの時点であきらめれば納得がいくのでしょう。
「家族が」とわざわざ書いたのは、自分自身のことであれば、仮に完治したなら「あの時あきらめなくて良かったなあ」と笑って回想できるけど、あきらめて死んでしまえば後悔もできず、検証のしようがないからです。

現代は情報格差の時代とも言われます。
「知らない」ことが死につながることさえあるのです。
インターネットに入り浸って最新の治療法や最先端医療を行う病院などを探し出し、その恩恵にあずかることができる人と、無能かもしれない主治医と保険診療にすべてお任せって人では結果に差が出る可能性は大いにあります。

さりとて、情報を得られれば万事OKとも限りません。
人生にはいろんな制約があります。せっかく素晴らしい治療法があると知りながら、経済・時間・空間などの事情で受けられないとしたら、これはもう知らないほうが良かったと思いたくなるのでは。その治療を受けさせられなかったことが、後々まで心のしこりとなるならば、かえって不幸です。

一般的に、できる範囲内で最善を尽くせばあきらめていいのです。
しかし『できる範囲』というのも、『常識で判断して』と同じくあいまいな言葉で、突き詰めようとしたらきりがありません。

世の中には、絶対にあきらめず、とことん突っ走る人がいます。
気がつけば、仕事も財産も家族も失い、にっちもさっちもいかなくてボー然・・・てなことになったり。しかし世界を変える大発見をするような人々はこのようなタイプかもしれません。
もしあきらめるタイミングがわからなければ、いつまでもあきらめないのもひとつの方法です。そのうち誰か(もしくは何か)が無理やりあきらめさせてくれます。

片や、常に冷静に引き際を見極めようとしていて、損失を最小限に抑えることに意を砕く人もいます。
こんな人は家族が癌になれば、医療費・保険金・葬式代・有給休暇の残り日数などを計算してバランスを取り、最良の看護をすることでしょう。別に皮肉ではありません。これも「あきらめる技法」のひとつです。

昨今は「がんばらない」「しがみつかない」など、一見努力放棄、上昇志向無視の生き方が奨励される傾向にあるようです。それはあっさりあきらめることにつながるようにも思えます。

あきらめるのは簡単です。あきらめてばかりいたら、忍耐のあとの果実を味わう経験ができません。
いつあきらめるかを決めるのは困難ですが、現在の自分の能力では最大ここまでやれそうと思ったところの、さらにほんの少し先を設定してはいかがでしょうか。
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投稿者:ルノ 23:54 | コメント(0) | トラバ(0) | 人生燻