2016年11月29日

ノーフォロー・ミー

当ブログにはA社の広告(ほとんどが書籍)をわりとたくさん載せています。たまにクリックされることはあっても、販売に結びつくことはまれです。

「多数のリンクを設置してあげて、A社の繁栄に貢献しているだけ」とぼやいたことがありますが、実際の話、業績悪いアフィリエイターってのは、タダ働きさせられているようなものです。

広告依頼主としては、お抱えの広告設置者が商品を売ってくれなくても、いっこうに困りません。
貴重なのは、彼らが設置した多数のリンクです。
いわゆるSEO的には、あちこちからたくさんリンクされたページは価値が高く、検索結果の上位に表示されやすくなります。すると、検索から商品ページに来てくれる一般購買者が増えます。このルートによる売上なら、報酬を支払う必要がなくて、丸儲け。

なんだかしゃくにさわるけど、アフィリエイトとはそんなものです。
嫌ならかかわらないこと。でも、わずかな報酬を期待して、ついついリンクしてしまいます。

リンクなんかいくらしたって、痛くも痒くもないないんだし・・・。

いやいや、その考えは甘い。

リンクをもらうことが得ならば、与えることは損なのです。というのが、私がSEOをかじっていたころの常識でした。
とりわけアフィリエイトリンクをやたらと置いたページは、価値が低いと蔑視されていました。

アフィリエイトが好ましいリンクでないのは理解できるとして、良いサイトへの普通のリンクは訪問者の利益になるから、自サイトの価値をも高めて当然なのに、全く奇妙な論理です。
某有力検索エンジンがリンクされることを過大評価したものだから、SEOなる概念にとらわれた人々が、サイトの充実を図りもせず「いかにたくさんリンクを得るか」の方策に血道を上げた結果、いろんなひずみが出たということでしょうか。

事態は改善されつつあるとは思いますが、SEOに興味を失った現在、どのような説が飛び交っているのか、もはや知りたいとも思いません。どうあがいても、上位に食い込むのは難しいとわかってるし。
リンクしたければする、したくなければしない・・・本来あるべき運営姿勢に戻ったという感じです。

小細工よりも、地道な充実が大切なのですよ。何を今さら。

まあ、小細工といえば、リンク先の価値を上げるのをちょこっと阻止し、自ページの低評価を多少は緩和するかもしれない「呪文」ってのが、存在しないわけでもありません。

ノーフォロー属性ってやつです。

具体的には、リンクタグに rel="nofollow" という文字をくっつけます。
<a rel="nofollow" href="リンク先&Code=abc">おもろい本</a>

すると、人間ならリンク先へ飛べますが、検索エンジンのロボットは誘導されません。リンクされていない状態に近いと見なされるってことかな。

ちなみに、ブログのコメントやトラックバックに書きこまれたリンクは、基本的にノーフォローがつくようになっています。スパムに価値を与えないためです。

広告主はノーフォローを嫌がるでしょうね。この属性を禁止しているところもあるようです。

どのアフィリエイト会社でも、ログインして商品を選べば、長々しいリンクタグを生成してくれます。広告設置者はそれを持ち帰って自分のページにペーストするだけです。タグの改変は通常認められていません。

あるときA社で、そのタグに rel="nofollow" がつき始めました。

えっ、つけてもいいんだ。ちょっとびっくり。さっそく過去に取ってきたほかのリンクにもくっつけたりしましたが、面倒だからそのうち忘れ去り・・・。
私はA社のリンクをしょっちゅう更新しているわけではなく、何か月か経って気づいたときには、その属性はつかなくなっていました。

どういう経緯だったのか、憶測してみました。

リンク作成のシステム担当者が、深遠な考慮に基づいて、もしくは何やら勘違いをして、ノーフォローにすべしと判断して付与したのではないか。
しかし「君、何をトチ狂ったんだ、これではわが社の商品ページの評価が下がるじゃないか」と上司に厳しく叱責され、慌てて取っ払った、と。

「深遠な考慮」というのはですね、確かに多くのリンクは価値を高めるかもしれないが、多すぎると逆効果になることもあるのです。また、リンク元ページの価値が低いと、もらったリンクも効果が薄いから、ノーフォローが無難、とか。

もっともそこまで頭が働く担当者には見えません。勘違い説が正しいに決まってる。

というのも、慌てて取っ払った証拠が歴然なのです。
その文字だけ外した結果、現在生成されるリンクは、aとhrefの間にスペースが2個、はまったまま。
<a  href="リンク先&Code=abc">おもろい本</a>

表示も機能もトラブってはいないけど、文法的にはいかがなものか。個人的に、半角スペースの連続というものを、ワープロ黎明期から忌み嫌っている私としては、見るたびに落ち着かない気分になります。

ともあれ、アソシエイトメンバーの皆様、A社に関しては、リンクにnofollowをつけても問題はないと思われます。
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投稿者:ルノ 12:50 | コメント(0) | トラバ(0) | ちょっとSEO
2016年10月31日

ミミズ茎の跡

劣等感を英語で、inferiority complexといいますが、日本では上を取っ払って、コンプレックスだけで劣等感を意味します。

○○コンプレックスという複合語はけっこうありますが、それらを劣等感と結びつけることは通常ありませんね。
現代人は省略好きだから、マザコンのコンがコンプレックスの略だと知っている人は案外少ないかも。ちなみに、マザー・コンプレックスは和製語ですよー。

自分の劣等感について述べるにあたっては、「劣等」という字はよけい気を滅入らせるから、コンプレックスを使いたくなります。
カタカナ語はそういう点便利です。

劣等素材には事欠かないわたくし、字がヘタってのも長年の悩みです。

ミミズがぬたくったような字しか書けない人は、知性も教養もないように見え、人格下劣の烙印を押されたりして、ものすごーくソンなのです。
キレイな字をすらすら書けると、美人で頭が良く性格も優しいような印象を与えて、とってもお得。

これって不公平じゃありませんか。
字の上手下手も、絵の上手下手も、おおむね生まれつきで決まります。
絵が拙くても人生において困る事態はめったに発生しないのに、字がミミズだとどん底だなんて。

ま、世の中そんなもんです。

私は真面目なコドモだったから、お習字も硬筆も真面目に練習いたしました。でもいっこうに成果が上がらない。

あるとき真面目に考えたのです。12歳ころ、だったかな。
こんなに努力しているのに、どうしていつまでもヘタなんだろ。
きっと字を覚えたてのころ、手や指に変な癖がついて、それが固定されてしまって、修正のしようがないのだ。私は右利きだから、字を書いた経験がない左手を鍛えれば、一からやり直せるはず。

今振り返ると笑止ではありますが、さっそく新しいノートを用意して、ヴァージン・レフトハンドに鉛筆を握らせ、大真面目にあいうえおから取り組み始めたのです。

一週間後、辛苦の甲斐あってか、左手特有のがくがくゆらゆらも薄れ、漢字もまずまず形を成してきました。
が、線がなめらかになって、やっと気づきました。それらは右手のヘタ字を再現してきたに過ぎない、と。やだやだ、もうやめ。すぱっと放棄。

字を書くのは手ではなく、脳です。

なんらかの事情で両手の機能を失った人が、筆記具を足指にはさんだり口にくわえたりして字の練習をすると、代償作用も手伝ってめきめき上達します。それはかつて手で書いていたのと同じ筆跡になるんだとか。

オトナになってからも、ペン字の練習帳を買ったり、簡単に字がうまくなる本なんてのを読んだり、何度かトライはしましたが、結局ものにはならず。

読むだけで「うまい」と言われる字が書ける

手先の練習でも、ある程度まではいけるでしょうが、限界があるのです。私が人並みの字を書けるようになるには、並大抵の研鑽では足りません。こんなコスパの悪いことの優先順位を上げるのはバカバカしい。余生は短く、ほかにいろいろ抱えているんだし。

ありがたいことに世はペーパーレスで、汚字をさらす機会が減りました。せいぜい問診票とか複写式の申込書や発送伝票程度。
ますます書かない→ますますヘタになるの悪循環だけどね。
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投稿者:ルノ 09:36 | コメント(0) | トラバ(0) | おつむてんてん
2016年10月29日

グーチョキぱあ

使わなくなった型紙を処分すべく整理していたら、なぜか古いノートが紛れ込んでいて、なつかしくめくりました。

余白が多い中、目に留まったのが「おべんきょう会」と題されたメモ。

おぼろな記憶をたどるに、ランチェスター経営戦略とかいうものの講習会だったような。
当時は人形作りなんて考えたこともなく、無謀にも起業をもくろんでいたようです。どうせあっさり挫折したのでしょう。

その経営戦略の概要は・・・。

『誰でもできることはもうからない』
『人のしないことに頭を使え』
『世の中に必要で、人がやりたがらないことがもうかる』
つまり「何をするか」を選べば、その後が決まるってわけ。

しかし「どのようするか」には、慎重さが求められます。
その極意が『グーチョキパーの法則』・・・まずは『ひとつに集中』(グー)、軌道に乗ったら『ふたつに広げる』(チョキ)。ふたつというのは、地盤拡大なら「支店を出す」、多角化なら「関連する別のことにも手を出す」など。
『実力もないのに最初からパーを出すと負ける』から、慌てちゃダメなのよ。

経営方針にとどまりません。人生だって同じこと。
二兎を追う者は一兎をも得ずというでしょ。二兎さえ困難なのに、ぱあが欲張って五兎を狙えば、すべてパーになるに決まってっじゃん。

自腹で参加した貴重な勉強会であったろうに、全く身についていない。嘆く私は、実力もないのにパーを出し、総崩れになりかけの情けない状態。

りす

この貧盗恋歌は、私の最初のブログです。

それ以前、ウェブがいわゆるホームページ時代だったころには、サイトごとにテーマを絞るのが上策でした。そのほうが検索されやすく、訪問者も増えるとかで。
片やブログというものは、日記から発展し、雑多な内容が詰め込まれているのが普通でした。私自身、なんとなく始めたエッセイであるからには、「なんでもアリ」でないと、とうてい長続きしないだろうと慮り、ゴチャゴチャ好き勝手に書き始めました。

運営に慣れてくると、書きたいことは案外たくさんある、どころか、収拾がつかないほどにあり過ぎるような気がしてきました。

ホームページが、基本的に人に見せたいものであったのに対し、ブログはたとえ誰も読んでくれなくても、「書きたい気持ち」をとりあえず満足させてくれるものでありました。

だからって、自己満足で終わっちゃいけない。
たくさん書くならなるべくテーマをまとめようと、新たなブログを立ち上げることに。

具体的には、貧盗恋歌から「美容と健康」カテゴリを『ずっこけ美人道』に、「DIY・ソーイング」と「人形・ぬいぐるみ」を『ミシンと日傘』に。その他どーでもいーよーな些末事を『コチョコチョ』に。といった具合。
それだけでは飽き足らず、書評ブログと思い出ブログも作ったのですが、記事数が少ないまま飽きて、ほぼ非公開状態。ほかに、ドメインを設定し、文章や画像をある程度準備したものの、結局挫折したらしい、某まんがのファンブログも。

そういうふうに小分けしたい背景には、いろんなサイトからのリンクを増やすことが訪問者増加に寄与するという説が、当時は優勢だったからです。ひとさまがリンクしてくれないなら、自分で作ってリンクしちゃえ、みたいな。
あにはからんや、アクセスはどれもジリ貧。不確かな小細工に頼るより、地道なサイト充実のほうが重要なのですよ。

それでも最初は意欲満々でした。
その意欲がいつまでも持続するという思い込みが間違っていた。自分が老いて気力も体力も衰えるなんて、精神だけはじゅうぶん若かった私には、想定外だったのです。
つい長期休載したり、復帰してもすぐに投げ出したり。あげくの果て、辛抱強く見守ってくださっていたかもしれないわずかな読者サマにも見放され・・・。

こんなことなら、おおもとの貧盗恋歌をもっと大切に育てるんだった。悔やみつつも、充実には程遠く、記事いっこ仕上げるのも億劫。

それでも美容と健康関連は、まだ書きたいこといろいろだから、当ブログに投稿していくつもりです。

『美人道』は、時期は未定だけど、閉鎖を考えています。せっかく作ったブログだから、コンテンツがあるなら再開すればいいのでしょうが、どうもその気にならないんです。
個人的事情で、美人道とやらを論ずるにはお恥ずかしい立場になっちゃったし、『seesaaブログ』に嫌気が差したってのもあります。かつては使いやすいブログだと気に入っていたけど、スマホ大繁栄の現在、かなり時代遅れのシステムを温存しているようだし、広告掲載など、あこぎさを感じるし。

時代遅れといえば、ここ『さくらのブログ』もご同様ですけどね。
そして、どれが先進的ブログなのか、スマホを持たない私には、さっぱりわからないのでした。
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投稿者:ルノ 16:00 | コメント(2) | トラバ(0) | ブログ論