2016年07月30日

ウェブはやっぱりカネ次第

あるとき、「ライター募集中」という勧誘メールが来ました。
ライターというものがどういう仕事をするのかよくわからなかったけど、自分のブログさえ書けない現状では、よそ様の文までとても手が回らないと思って、さっさと削除。

その件が頭に残っていて、数か月後『副業ライターのはじめ方』という本が目に留まり、読んでみました。

人形は売れないし、広告収入は低迷しているし、もはやなりふり構わずたつきの道を模索するほかないありさまなので、『誰でもなれる』『リスクなし』『初期投資なし』といった煽り文句にはそそられます。
ライターは今や『インターネット上の代表的な副業』なのです。不安定なアフィリエイトと違って、書けば書いただけ収入が入るという確実性が魅力らしい。

その本には、ライティングにはどんな仕事があるのか、それぞれどの程度儲かるのか、難易度や向き不向き、仕事の選び方や注意点などが詳しく記載されています。

初心者におすすめなのは「リライト」という仕事だそうな。
それを読んで、私はショックを受けた、いや、ムカッときてしまったのでした。

リライトというのは、発注者から提供された「元記事」を書き直すことです。内容は同じまま、言葉や表現方法を変え、通常は文字数を増やして納品します。多少の文章力や語彙力は必要ですが、自分で一から書き始めるわけではないので、慣れれば機械的にすいすい仕上げることができるようになります。
一記事が500文字程度で、単価は100〜300円くらい。

企業はどういう意図から、そんな作業にカネを払うのか。
文章を変えるのは、記事が同じものであると検索エンジンにばれないようにするためです。ひとつの記事を、何十人ものリライターに書き換えさせ、それら記事からリンクをはってウェブにばらまけば、相当数の被リンクを得られます。検索率がアップするわけです。

ウェブ上には、そういった1個100円の増殖クズ記事が無数に浮遊していることになります。

そのせいで、すべて自分で考えたオリジナルの記事や文章を、ほんのひとつずつ地道にアップしている良心的なサイトやブログが埋没し、検索されず、人が来なくなるという、恐るべき事態が発生しているのです。
良心的な発信者のひとりであるわたくしも、あわれな被害者でありますが、良心的な私のサイトに出会う機会を逸失したウェブ利用者も、ある意味被害者ですってば。

もともとは、検索エンジンが良質なページをより多くの人に見つけてもらおうと、あれこれアルゴリズムを研究していたのです。
それを逆手にとって画策したのが、品質はさておき大勢の人に来てもらって儲けたい業者たち。そこへ、ちょっとしたおこづかい稼ぎを狙う素人ライターが群がるという構図。
グーグルとて、ペンギンやパンダを投入して対策を講じていると聞きますが、しょせんいたちごっこでしょう。

もちろん私は、飢え死にしたって、リライトなんかに手を出すつもりはありません。
渇しても盗泉の水を飲まず、といえばかっこいいが、実は人の作った文章を手直しするだけってのは、性に合わないというか、矜恃にもとるというか、ワハハ。

ラブクラフト(H.P. Lovecraft)は不遇の生涯を送った怪奇小説家です。
自分で書いた小説が売れないので、ほかの三流作家がものしたヘタな作品を手直しして、どうにか読ませるものにするといった仕事で生計を立てていました。そういう作業は、おそらく彼のプライドをじわじわと傷つけていき、命を縮める一因となったようです。

たとえ内容がヘンでも、文章がまずくても、わずかな人にしか読まれなくても、自分の手で独自のものを作り上げてこそ、ウェブにかかわる意義がある。ということにしておきます。はいはい、自己満足ですわよ。
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投稿者:ルノ 18:09 | コメント(0) | トラバ(0) | サイト運営
2016年07月29日

破滅願望

足の向くままウォーキング。
の途中、とある公園に入り込みました。あたりには人っ子ひとりなく、静まり返った平日の昼下がり。
小さな展望台があったので、上ってみました。きつい坂道を来たという感覚はなかったのですが、ずいぶん標高が高くなっていて、四方ともかなり遠くまで見渡すことができました。

さわやかな風に吹かれながら遠くを眺めたあと、展望台のそばの地面に目を移すと、低木の間の土が妙に黒々としていて、唐突に、そこから飛び降りたい衝動に駆られてしまいました。手すりは高くはなく、実際、身を乗り出して越えようとしたのです。

げ、いったい私は何をしてるんだ。我に返ったのは、手すりについていた鳥のフンで袖が汚れそうになったから、かも。
そもそも即死できればいいけど、三階建てくらいの高さだから、あちこちぐじゃぐじゃになって生き延びる可能性が大で、悲惨きわまりない。

これ以上妙な気分になったらヤバい。そそくさと階段を下りると、誰もいないと思っていた一階の外側のベンチに、郵便屋さんが腰かけて、スマホをいじっていました。近辺に配達対象とおぼしき建物はないから、きっとサボりだろ。
世はすべてこともなし、でんなあ。

それにしても、どうして急に飛び降りたい気分になったんでしょう。普段からうつ的傾向はないし、高所恐怖症でもないのに。
滝つぼをのぞいたら吸い込まれそうになるのと似たようなものか。でも展望台の地面なんて、滝つぼほど魅力的な情景じゃないぞ。


そして昔読んだ『不幸になりたがる人たち 自虐指向と破滅願望』(春日武彦/文芸春秋)という本が浮かんだのです。

人というものは、安全や快適、経済的利益、消極的に見積もっても無難さ、などを求めて行動するものですが、そういう法則とはかけ離れた、わざわざ不幸や悲惨を選ぼうとする人々の例を、精神科医の立場から書いたものです。彼らは一般の人々からは精神を病んでいると見なされるのが常です。

しかし普通に暮らす普通の人でも、深い理由なく、無意味で損なことをしたくなる瞬間があって、正常と異常の線引きは困難なのです。
羽が回っている扇風機に指を突っ込みたくなるとか、電車の非常停止ボタンを無性に押したくなるとか、すれ違った薄毛のおじさんに「ハゲ」と叫びたくなる、とか・・・。

触るな危険
このシール、回転中は見えないからあんまり役に立たないんじゃない。

治りが遅くなるとわかっていてかさぶたをはがしてしまうのも、ちょっとした自虐指向で、多くの人が納得するんじゃないでしょうか。

私なんか、しばしばデスペレートにお菓子を無茶食いすることがありまして、つくづく自虐的なのです。
とりわけ、食べ始めて「あ、この菓子パン、まずい」「ぐへー、スパイス入りクッキーなんて好みじゃなかった」なんて気づいたとします。だったら食べるのをよして、残りは捨ててしまうのが、脳のため、心のため、カラダのため。なのに、まずいときにこそ、「まずい、まずい」と言いながら、腹立ちまぎれにガツガツと食べてしまうのです。全部胃に収めることで、復讐もしくは征服したつもり? そして、お定まりの後悔。
・・・。

だけど、そういう日常的な軽い破滅願望と、展望台から飛び降りるのには、距離があり過ぎるのも確か。


ところで、その帰り道、蝶が自動車に轢かれるのを目撃しました。
タテハチョウっぽいのがひらひらと道路に飛び出すのが視野に入ったときには、あんな軽いもん、風圧で飛ばされちゃうだろって思ったのです。だから、車が通り過ぎたあと、無残につぶれた蝶に、いささか茫然としまして。
タイヤの幅なんて十数センチ程度なのに、なんて運の悪い蝶なんでしょ。

もしかして、あの蝶は自ら死にに行ったのかも。
吸蜜できる花も吸水できる水たまりもないアスファルトをうろつく理由なんて、人間には思い当たりません。


川べりの舗装されていない道も、私のウォーキングコースです。ここでときたまミミズに出くわします。

いつだったか、歩くのも躊躇するほどおびただしい数のミミズの死骸に遭遇しまして、いったいコイツラは何を考えてんだ、土の中でおとなしくしていれば天寿を全うできたのにと、あわれんだものです。

ミミズの謎』によれば、ミミズが大量に地上に出て干からびるのは、月の満ち欠けと関係があるらしく、下弦の月のころが一番多いとか。
月齢とは関係なく、雨上がりにも出てくる数が増えることもあるそうです。

先日、「おびただしい」には程遠いが、けっこうたくさんのミミズを見ました。
まだ生きてもぞもぞしているのも何匹か。
生存中

快晴の午後で、推定気温32度。月の情報は調べていないけど、確かにその日は明け方まで雨が降っていました。
いくら目がないからって、太陽が照りつけてくれば、感覚器が察知するものでしょ。その時点で急いで土に潜れば助かる確率は高かろうに。

人間の目には本能のみで生きているように見える小さな生き物ですが、破滅願望が芽生えないわけではないのでしょう。死ぬことだって本能の一部なのだし。
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投稿者:ルノ 18:32 | コメント(0) | トラバ(0) | 生老病死
2016年06月30日

習慣の力

私は皿洗いが嫌いです。ついためこんでしまいます。
と、何年か前に書いたことがあります。

が、何年か経てば、人は変わるものです。いや、人って容易に変わるもんじゃありません。考え方や行動が変わっただけ。

今では毎日最低1回は洗っています。
日に3度以上洗う人には、何をその程度で胸張って、と笑われそうですが。

世の中には、毎食後ちゃんと洗い物をしても、食器や鍋を洗うだけで満足する人がけっこういます。
調理台のあちこちに水がはね、食器かごの受け皿にはぬめった水がたまり、スポンジは洗剤と食品のかけらを含んでずっしり重く、台布巾は湿って異臭を放っているという状態でも平気。

ある調査によれば、キッチンスポンジには15億個、台布巾には14億個の細菌が潜んでいるそうです。スポンジよりも台布巾で洗うほうがきれいなのか。んな、五十歩五十三歩でしょ。

手前味噌ですが、わが家は一般家庭よりはかなり清潔にしているという自信はあります。
夕食後の食器洗いが終了したら、排水口のごみ受けや中蓋なども磨き上げ、壁やシンクは一滴の水も残さないよう乾いた布で拭きます。ていねいにすすいだスポンジと台布巾は扇風機の風に当てて乾かします。以後翌朝までキッチンの水道は使用禁止。
ここまで徹底しなかったころは、水栓のレバーやシンク横のパッキンなどに赤カビ黒カビが発生したり、シンクの壁に菌のコロニーらしきものが点在したり。現在そういう兆候は見えません。カビ取り剤の出番もめっきり減りました。

そのように行動が変わったのは、なぜなのでしょう。
実際の話、昔から私は食器洗いをバカにしていました。今もそうです。
しかしながら、それをせずに済む身分にはなれそうもない(主に経済的な事情で)。だったら嫌いだの面倒だの苦痛だのとぼやくよりも、さっさと片づけて忘れたほうが得策ではありませんか。
食器洗いや歯磨きなどの日常茶飯事に、「好き嫌い」のような高度な感情を持ち込むのは、もったいないことなのです。以前はそれに気づかず、汚れものを目にしてはイライラ。感情を無駄遣いしていたんだなぁ、愚かにも。

感情を交えずに淡々と片づけることが習慣になれば、決心して取り組まなくともいつの間にか済んでいます。

そういう法則がわかってしまえば、かつて億劫がって先延ばししていたことごとを、習慣づけてすいすいやっつけてしまえる・・・はずなのに、人生なかなか思うようにいきませんねえ。


私がなにかと引き合いに出す『ほんとうは治る防げる目の病気』は、少食で白内障や緑内障が治るという内容の本です。
この中に、酒やタバコやお菓子がやめられないのは、意志が弱いからではなく、単なる習慣だからである、といった記述があります。身体に及ぼす影響を理解すれば、その習慣は断ち切れるのだと。

そう簡単にものごとが運ぶなら、何千万人もの依存症者とその予備軍がひしめいているはずはないっ。と、甘いものをやめられなくて困っている私は叫びたい。
でもまあ、真実でしょう。依存症の始まりは、ほとんどが習慣なのです。

ネックは「理解する」こと。頭でわかっていても、実行できなければ、わかったことにはならない。

糖質を摂ると、血糖値が上がり、中性脂肪が増え、糖化最終生成物とやらが身体のあちこちを焦げつかせ、老化を促進させる。てなこと、理屈としては知っていても、現実にお菓子を目の前に置くと、すべて忘れてしまう。それどころか、糖分を欲するのは人類の本能だ、食べて30分後に運動すれば血糖値も抑えられるなどと、都合のよいように自分を納得させてしまいます。
で、パクパク食べて落ち込むのです。結局運動はしないし。

私はギャンブルの類はやらないけど、パチンコ依存者がボロ負けして後悔し、もう絶対にパチンコ屋には足を向けないぞと決心して眠りについても、翌朝「本日10時開店」のチラシを見ると、「今度は必ず勝てる」「これで借金帳消しだ」と気分高揚し、またボロ負けという循環、理解できます。

どうしたら脱却できるんでしょう。

甘いもの大好きとはいえ、私は四六時中甘いものを食べているわけではありません。
間食も夜食もしません。これって、間食や夜食がどうしてもやめられない人から見たら、スゴイことかも。

だけどそれは、意志の強さでも努力の結果でもなく、ここ10数年ほどの習慣です。単なる習慣なのです。
ある日突然そうすることに決めた、とかではなく、じわじわとそうなったようです。すたれずに続いているのは、そのほうが楽だからにほかなりません。歯磨きもいちいちしなくて済むでしょ。

皿洗いの習慣だって、徐々に身につきました。清潔に乾いたキッチンを見ると気持ちがいいから、明日もやろうと思うのです。

鍵はメリットの有無、でしょうか。

甘いものをやめても、たちどころに美人になるわけでも、痩せるわけでもないから、すぐに挫折しちゃうんですよね。
でもお菓子を買わない分、お金はたまるんじゃないかしら。そっち方面からアプローチしてみれば、もしかしたら・・・。

付記:
文中で「赤カビ」とあるのは、私が便宜上そう呼んでいるのであって、正しくは赤色酵母というものだそうです。浴室でよく見かけるピンクぬめりの正体です。ま、酵母もカビもお仲間ですからね。
タイルの目地やシリコンのパッキンなどに生えるのはクロカビですが、フォーマというものも混じっているとか。
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投稿者:ルノ 19:17 | コメント(0) | トラバ(0) | 生活の浅知恵