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<title>貧盗恋歌</title>
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<description>多彩でアナクロな趣味と雑学の世界。</description>
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<title>三方一両得</title>
<description>自分で作った人形やぬいぐるみを売ることもありますが、私のようにとろい人間にとって、手作り品の販売は売れば売るほど赤字がふくらむのが実情だから、積極的に売り出しはしておりません。それよりも、作ったものを展示したり、作り方や型紙を載せて人を集め、広告収入を得ることを主体にしたいところです。型紙はすべて無料でダウンロードできるようにしていて、このことが国内はともかく、海外では好評を博しています。というのも、あちらでは型紙は買うものであって、自作の型紙を売る個人ビジネスがたいそう盛ん..</description>
<dc:subject>サイト運営</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2012-01-27T10:02:21+09:00</dc:date>
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自分で作った人形やぬいぐるみを売ることもありますが、私のようにとろい人間にとって、手作り品の販売は売れば売るほど赤字がふくらむのが実情だから、積極的に売り出しはしておりません。<br /><br />それよりも、作ったものを展示したり、作り方や型紙を載せて人を集め、広告収入を得ることを主体にしたいところです。<br /><br />型紙はすべて無料でダウンロードできるようにしていて、このことが国内はともかく、海外では好評を博しています。<br />というのも、あちらでは型紙は買うものであって、自作の型紙を売る個人ビジネスがたいそう盛んです。<br />型紙がタダであるのに加え、それを使って作ったものは自由に販売してよろしいとサイトに明記しているとあって、私は「世界一generousなアーティスト」と（一部の人から）絶賛されています。<br /><br />そんなに盛んなら、型紙販売に参入すれば、多少なりとも収入の足しになるではないか。<br />その予定はありません。根がものぐさだし、「売る」という行為に精神的重圧を感じる人間なので、結局引き合わないと思うのです。<br /><br />ウェブにアップした型紙はデジタルデータなので、無限増殖が可能です。得た人はメールに添付して友人に送ることもできます。<br />うちからタダのものを取ってきて販売しようとたくらむ輩が現れるのは当然ともいえます。<br />欧米には著作権意識が浸透していますが、発展途上国ではその概念さえ生まれていません。道ばたに落ちている空き缶を拾ったり、誰でも立ち入り可能な山できのこを採集したりして売るのとどう違うんだと開き直られれば、ちょっと返答に窮したりして。<br /><br />２年余り前、「あなたのサンタ人形の型紙を売っている人がいる」というメッセージをもらい、そのことを英語ブログに書いたところ、かなりの反響がありました。そのサイトはetsy.comといいますが、コメントの多くは「あなたはetsyとコンタクトすべきだ」というものでした。<br />しかしほうっておきました。当該ページをじっくり見なかったので、etsyという中国人が開設したサイトだと早とちりしたのです。そんな相手にメールアドレスやIPアドレスを教えるなんてまっぴらですからね。<br /><br />その後、etsyは素人でも手軽に手作り品を売り買いできる場を提供する会員制サイトだと知りましたが、とにかくかかわり合う気はありませんでした。<br /><br />昨年のこと。「あなたのダックスフントの型紙がetsyで販売されている」という情報が立て続けに寄せられました。<br />実を言うと、こういう善意の密告はいささか迷惑に感じます。それに気づいたアナタがさっさとetsyに報告してくれたらありがたいのにさ。この要求が間違っているのは承知していますが、とにかく英語を読み書きするのが面倒で面倒でたまらないのです。<br /><br />今回は渋々ながら、etsyに苦情を申し立てることにしました。<br />ところがコンタクトフォームからの送信は、会員登録しないと受け付けないのです。これだからかかわりたくないのよね。苦々しい気分で登録して、「お宅のメンバーにドロボーがいる」と書き送りました。<br /><br />etsyからはすぐに返信が届きました。長々しい定型文です。<br />翻訳ソフトで訳したら、「著作権侵害の申し立ては、被害者本人がポリシーページをちゃんと読んで所定の様式で送れ」「あなたが本人でないなら、本人に知らせればよい」みたいな内容だと判断されました。<br /><br />ああ、なるほど。私に知らせてくれた善意の人々は、先にetsyに届けて、同じ定型メールを受け取ったのかも。<br /><br />私はポリシーなど読む気になれず、とりあえずメールを送りました。「私は本人であるが、英語が苦手だから、複雑な手続きには耐えられない。ドロボーの放置はあなたの損害になることだから、自力で調査して対処してほしい」<br />その後etsyからは、なしのつぶてです。<br /><br />私は著作権を侵害されてもどうってことないのです。むしろ私の型紙が優良だから有料で売る奴もいるのさ、と自己満足。<br />買った人はこんないいもんがたったの１ドルだなんて♪、と喜ぶ。<br />ドロボーさんは濡れ手で粟だからウハウハ。<br />誰も損をしない不思議な犯罪でありまする。<br /><br />そりゃあ、そんな理屈が通ると本気で思っているわけではありません。<br />不正な手段で稼いでいる人を見た人々は、不愉快でしょう。<br />第一、買った人が真実を知ったら怒り心頭。でもね、それは世界一のアーティスト、Runoの存在を知らなかったあなたの罪です。１ドルは罰金だとおあきらめなさいませ。<br /><br />ともあれ、私個人はこういった事態を深く憂慮する必要はないと考えています。<br />ウェブの口コミを甘く見ると怖いぞー。軽い気持ちで不正を行う素人は、遅かれ早かれ悪評を広めて自滅するに決まっています。<a name="more"></a>

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<title>雪だるま追想</title>
<description>最近はめったに雪が降らず、降っても積もることは珍しくなりました。私が住むのは九州の某都市です。積もりにくいのは、温暖化のせいだけでなく、雪の降り方が変わったからだとも思えます。このごろは昼間に降ることが多いようです。昼間だと融けやすいのです。「本日の最高気温は真夜中に出ました」などと聞くこともあり、ナンカヘンダナって気がします。ヒートアイランドで、街が地熱を蓄えて、日没後もあまり温度が下がらないのでしょうか。かつて雪は夜中にしんしんと降り積もりました。雪の降る夜は車も通らず、..</description>
<dc:subject>レトロ</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2012-01-14T17:21:34+09:00</dc:date>
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最近はめったに雪が降らず、降っても積もることは珍しくなりました。私が住むのは九州の某都市です。積もりにくいのは、温暖化のせいだけでなく、雪の降り方が変わったからだとも思えます。<br /><br />このごろは昼間に降ることが多いようです。昼間だと融けやすいのです。<br />「本日の最高気温は真夜中に出ました」などと聞くこともあり、ナンカヘンダナって気がします。ヒートアイランドで、街が地熱を蓄えて、日没後もあまり温度が下がらないのでしょうか。<br /><br />かつて雪は夜中にしんしんと降り積もりました。雪の降る夜は車も通らず、不気味なくらい静まり返ります。朝起きて窓を開けたら、一面の白世界に「わあ」と声をあげたものです。そして子どもたちは雪だるまを作りに表へ駆け出すのでした。<br /><br />雪だるまといえば、目鼻には炭を埋め込んだものです。<br />炭が一般家庭の常備品でなくなった現在、何を使っているのかよく知りません。アボカドや人参？<br /><br />で、思い出しました。この私、学芸会で主役を演じたことがあるのですよ。<br />小学校２年まで過ごした田舎町でのこと。どっちの学年だったか、記憶はあやふや。<br /><br />私が選ばれたのは、たぶん一番のっぽで「お姉さん」てイメージだから、でしょう。弟役には同姓の小柄な男の子がなりました。その地域でありふれた名字というわけではないのに、その子は親戚でもなんでもありません。担任教師としては、ちょっとしたしゃれのつもりだったかも。<br /><br />ストーリーは、たいそう貧しい姉弟がいて、家では病気の母が寝込んでいるのに、炭を買うお金もなく、部屋は寒々しい。ふたりはとてもいい子だったので、雪だるまたちは何か役に立ちたいと話し合って、目鼻の炭をプレゼントする、と。<br /><br />「貧乏な家の子だからね、いつものボロ服を着ておいで」と、先生からわりと傷つくようなことを言われました。<br />確かにうちは貧乏だったけど、まわりに「分限者」は珍しいくらいだったので、さほどひけ目を感じたことはなかったような・・・。<br />学校だって貧しくて（？）、真冬でもストーブがあるのは職員室だけ。ずるーい。<br />このお話は、衣装や大道具などが安上がりで済む点も、魅力だったのでしょう。<br /><br />雪だるまの目がひとりでにぽとりと落ちるシーンはちょっとした山場なのですが、そこをどう演出しようと悩んだ結果、雪だるま形に切った厚紙に本物の炭を糸でくくりつけ、後ろで支える雪だるま役の子がはさみで切ることにしました。先生のアイデアです。子どもたちにはなかなか思いつきません。<br /><br />落ちた炭を拾ったふたりは「雪だるまさん、ありがとう」と手を振って退場。残るはのっぺらぼうの雪だるまたち・・・と、感動のラストシーン？<br />ま、地味でつまんない話だから、観客には受けなかったことでしょう。そのへんはよく覚えていません。<a name="more"></a>

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<title>グズにつける薬</title>
<description>自慢じゃないが私はグズです。筋金入りのグズです。骨の髄までグズです。私からグズを取ったら、抜け殻になってそよそよと飛んでいきます。ええい、取れるもんなら取ってみろ。たとえば、メール１通書くのにさえ、何日もかかります。何日もぶっ続けで書き続けるという意味ではなく、何日も（どうかしたら何年も）なおざりにしてしまう（書き始めない）のです。借金の申込とか借金申込への断りなどのややこしい用件ならともかく、送信済みトレイからコピペして数十秒でできあがる簡単な内容であっても、です。忘れてい..</description>
<dc:subject>人生燻</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2011-12-28T14:19:20+09:00</dc:date>
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自慢じゃないが私はグズです。筋金入りのグズです。骨の髄までグズです。私からグズを取ったら、抜け殻になってそよそよと飛んでいきます。ええい、取れるもんなら取ってみろ。<br /><br />たとえば、メール１通書くのにさえ、何日もかかります。何日もぶっ続けで書き続けるという意味ではなく、何日も（どうかしたら何年も）なおざりにしてしまう（書き始めない）のです。借金の申込とか借金申込への断りなどのややこしい用件ならともかく、送信済みトレイからコピペして数十秒でできあがる簡単な内容であっても、です。<br />忘れているだけならただの脳天気ですみますが、あのメール早く片づけなきゃといつも心の隅に引っかかっていて、夢にまでみるのです。せっせとメールを書いている夢から醒め、メールが仕上がっていないことを知ったときの疲労感は、あらためてメールに取り組む気力を失わせてしまいます。<br /><br />どうして私はメールいっこ書けないほどのグズなんだろ、そうだ、図書館に行ってグズ対策本でも読んでみよう。こういうときだけやけに身軽にホイホイ出かけてしまう。そんなヒマがあるならさっさと書いて出せば解放されるのに。<br /><br />そういうわけで、目についたグズ本は片っ端から読みました。<br />今や私はグズのエキスパート。ますますグズ道を究めつつあります。<br /><br />筆頭は『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4479790667/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=abcabcnet-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4479790667">グズをなおせば人生はうまくいく　ついつい“先のばし”する損な人たち</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=abcabcnet-22&l=as2&o=9&a=4479790667" width="1" height="1" border="0" alt="" />』（斉藤茂太）<br />なんと魅力的なタイトルでしょう。これで人生がうまくいったかた、おめでとうございます。<br /><br />『グズをきっぱりやめるコツ！』（ジェーン・ブルカ＋レノーラ・ユエン）<br />グズな著者によるグズ脱却の指南。本書が完成したのは締め切りから２年後だったとか。えーっ、大丈夫？<br /><br />『今日できることを、つい明日に延ばしてしまうあなたへ』（ウィンディ・ドライデン）<br />長年グズピープル指導を行ってきた人による実践的な本で、本人は全くグズでないと豪語しています。<br />人がやるべきことを先延ばしする理由を分析し、心理面からの解決策を提示。考え方を変えなければなおらないということ。<br />この本では「グズ」という言葉は使われていません。<br /><br />『グズの人にはわけがある』（ランダ・サパディン＋ジャック・マガイヤー）<br />グズのタイプを６つに分けて分析。それぞれ対処法が違います。<br /><br />『「あとでやろう」と考えて「いつまでも」しない人へ』（和田秀樹）<br />「のろま」受難の時代を乗り切る仕事術、つまりビジネス書です。「グズ」はわりと愛嬌あるけど、「のろま」ってのはグサッとくる表現じゃないかなあ。<br /><br />『あなたはなぜ段取りが悪いのか』（渋谷昌三）・・・副題『要領がよくなる心理学』<br />万事モタモタしてうまくやり遂げられない人へ、心理面からアドバイスしています。私に言わせれば、この本自体、あまり要領を得ないように感じられ、段取りが悪い見本のようです。<br /><br />『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4344006542/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&tag=abcabcnet-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4344006542">キッパリ！　たった5分間で自分を変える方法</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=abcabcnet-22&l=as2&o=9&a=4344006542" width="1" height="1" border="0" alt="" />』（上大岡トメ）<br />ミリオンセラーの人気本だから、手に取ったことのある人も多いはず。<br />一見グズとは関係がなさそうですが、『だらだら地獄を抜け出す』きっかけとなる小さな行動の提案です。『難しい仕事はカンタンな仕事をひとつ終えてからすぐにとりかかる』など、グズ対策の実践的項目もいろいろ。冒頭の『脱いだ靴はそろえる』のような些細なことでも、『あとで、ではなく、その場でやる』習慣を身につける第一歩なのだと。<br /><br />こうしてみると、グズ本には海外の著書が意外に多い。グズで悩む人々は全世界に分布しています。<br />概してあちらの書は論理的・分析的で、本気でグズをなおしたい人々のために書かれた専門書って感じ。あまりかたくならないよう、訳者も苦労しているようです。<br />日本人の手になるものは、情緒的でやや未整理、読み物としては面白く、読めば納得するけど、グズ脱却にはあまり結びつかないような気もします。<br /><br />英語でグズは“procrastination”といいます。正確な訳は「遅延、先延ばし」（“cras”は「明日」という意味）。<br /><br />日本語のグズ（愚図）は「行動がのろいこと」です。ぐずぐずすることと先延ばしすることはたいていくっついているから、ひとくくりにできそうですが、世の中には先延ばしせず直ちに着手しても、あまりに不器用で要領が悪いからいつまでも仕上げることができない「真正グズ」だって存在します。<br />私がメールを書けないのは純粋な「先延ばし」です。汚れた食器をためこむのも「先延ばし」ですが、いざ洗い始めると、とろくてやたらと時間がかかるから、二重のグズなのです。<br /><br />一般のグズ本が問題にしているのは「真正グズ」よりも、やるべきことを先延ばしまたは放置してしまう習癖です。そのために自分も損をし、周囲にも迷惑をかけていて、本人もすぐにやればいいことはわかっているのに、なぜか絶対にとりかかれないという厄介な症状なのです。症状？　確かにグズは一種の病気だ。<br /><br />人がものごとを先延ばしする心理は性格によって違ってきます。<br />その分類を見ると、まさしく私はこれだーというのやら、これも多少は当てはまるぞ、など、けっこう思い当たります。<br /><br />強制されるのがイヤ、なんでも自発的にやりたいんだというタイプは、命令されたことをやりたがりません。職場では完全なダメ社員。<br />私がメールの返信を放置するのも、返事を強要されているように感じるからかもしれません。ならばホームページなどさっさと削除して、メールが来ないようにしろ。<br /><br />スリルを味わいたくてギリギリまで手をつけない人々もいます。<br />夏休みの宿題を最後の１日で仕上げるのが常だった私は、典型的スリル派のようです。その裏には、もしそれが間に合わなかったり、出来が悪かった場合、早くからやっていればもっと良い結果を出せたはずという言い訳を隠しているのです。<br /><br />自分もグズ本を読破してグズをなおそうとお考えのグズさん、いまだに私がグズのままであるという事実は、いくら本を読んでもグズはなおせないことを証明しています。読むだけ時間の無駄ですよ。<br /><br />要は私、単なる怠け者なのです。先延ばしする理由も半端ながら分析できていて、それは<a href="http://zzz.abc-abc.net/article/5793841.html">苦あれば楽あり</a>に記載したので、ここでぐだぐだ述べません。<br /><br />留意すべきは、どんなグズでも、万事にグズなわけではないってこと。<br />私だって３度のごはんは遅滞なく食べますし、目先のメールを放置して図書館に行く行動力はある。生存に必要なこと、好きなことならちゃんとできるのです。<br /><br />嫌いなこと、したくないことを先延ばししてもいちおう生きていける恵まれた環境が、グズを育てているというわけ。<br /><br />ほんとうに「恵まれた環境」なら申し分ないのですが、私の場合、自己実現にはほど遠い、最低限の生活しかできていません。<br />人がそれなりのことを成し遂げるには、多少の無理と我慢が求められます。その「多少」に耐えられないから、いつまでもダメ人間に甘んじるはめになるのです。<br /><br />とはいえ、実のところ、私は真に自分が「ダメ人間」だとは思っていません。昨日もできなかった、今日も怠けてしまった、と後悔の連続にありながら、明日こそは必ずちゃんとやって、すべてが好転するだろうと楽観しているのです。Tomorrow never comes という真理を延々と実践しているだけなのに。<br /><br />そんなとき手に取った本『読んだらきちんと自分の知識にする方法』（宮口公寿）。読む片端から忘れてしまう私には、ズキンとくるタイトルなのでした。<br />が、案の定、自分の知識にはならず。ただ、procrastinationが成功への唯一の障害だというあたりは納得。<br /><br />そしてこの本で一番印象に残ったのは、著者の姿勢です。『人生はチョロい。でも、もし失敗したら気のせいと思え』とかなんとか。<br />この底抜けの楽天主義、まさしく私の生き方と同じではないか。<br />ひとつ大きな違いは、向こうは成功者、こっちは敗残者ってこと。・・・などと自嘲しつつ、やっぱり私は決して真の敗残者ではないと思っています。今は敗残者に見えたとしても、そのうちバリバリ働いて華々しい人生に突入するぞう、と。<br />それでいて、多少の無理と我慢をおして立ち上がろうとはしない。<br /><br />こんな私につける薬はありません。<a name="more"></a>

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<title>私まだ生きてます</title>
<description>今年の私を漢字一字で表すなら、『惰』でしょうか。いや、『堕』がピッタリかな。『駄』もあるぞよ。なんで、ダばかり集めるんだ？　これが運命って気がして。ダダダダーン。ともあれ、ある日突然、生まれ変わったようにバリバリ働き始めるなんてのは、凡人には無理ですよ。</description>
<dc:subject>辞書と戯れる</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
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今年の私を漢字一字で表すなら、『惰』でしょうか。<br />いや、『堕』がピッタリかな。『駄』もあるぞよ。<br /><br />なんで、ダばかり集めるんだ？　これが運命って気がして。ダダダダーン。<br /><br />ともあれ、ある日突然、生まれ変わったようにバリバリ働き始めるなんてのは、凡人には無理ですよ。<a name="more"></a>

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<title>難しゅうございます</title>
<description>大盛況らしいツイッター、私はいまだに見たこともやったこともありません。ブログなど抱えているだけで精一杯なのに、これ以上手を出す余裕などないに決まってます。この「余裕がない」はあいまいさが便利で、弁解に当たってよく使います。内心では「精神的な余裕」を指していて、要はやる気がないってことだけど、相手は「時間がない＝忙しい」と受け止めてくれるだろうと期待してるんだよね（このへん、個人的つぶやき）。ツイッターは「短文のつぶやき」って形だそうです。一般に「つぶやき」は独り言などに用いら..</description>
<dc:subject>イチャモン日本語</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2011-02-27T22:51:06+09:00</dc:date>
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大盛況らしいツイッター、私はいまだに見たこともやったこともありません。ブログなど抱えているだけで精一杯なのに、これ以上手を出す余裕などないに決まってます。<br />この「余裕がない」はあいまいさが便利で、弁解に当たってよく使います。内心では「精神的な余裕」を指していて、要はやる気がないってことだけど、相手は「時間がない＝忙しい」と受け止めてくれるだろうと期待してるんだよね（このへん、個人的つぶやき）。<br /><br />ツイッターは「短文のつぶやき」って形だそうです。一般に「つぶやき」は独り言などに用いられ、他人に聞かせるものではなかったはず。<br />他人に読ませるものではなかった日記が、ウェブで公開を前提としたとたん発展・増殖していったのと同じような経過をたどっているのでしょう。<br /><br />いちおう「つぶやき」という建前に気楽さがありそうですね。<br /><br />普通、人は「ですます体」でつぶやいたりはしません。タラちゃんじゃないんだし。<br />しかしながら、半数以上のツイッター利用者がそれなりの文体を使っているだろうと推測します。ブログよりはくだけているとしても、公開するものである以上、あまりにぶっきらぼうだと、「このヒト、何様？」とか感じる人が出てきてやりにくいからです。<br /><br /><a href="http://zzz.abc-abc.net/article/3433734.html">敬語が嫌い</a>な私も、丁寧語はまあまあ便利なものだと思っています。ちょっとした防護服のようなもの。<br /><br />丁寧語は聞き手・読み手に対して敬意をあらわす（または距離を置く）ものです。その基本が「ですます体」ということでしょうか。文末を「です」や「ます」で終える形式。「だ」「である」を「です」や「ます」に変えれば、とりあえず丁寧になるから、簡単といえば簡単です。もっと丁寧にするときは「ございます」となります。<br /><br />その「です」はどんな語にも無条件でつけることができるかというと、むろんブンポーにのっとる必要があります。<br /><br />たとえば、「きれいですね」も「美しいですね」も、日常の話し言葉では特に違和感なく言い聞きしていますが、この両者、決定的に違うのです。<br />「きれい」は形容動詞、「美しい」は形容詞です。形容動詞には「です」をつけることが可能ですが、形容詞にはつきません。「美しいです」は文法的に間違っているのです。<br /><br />じゃあ、なんと言えばいいんだ？<br /><br />「美しゅうございます」もしくは「美しゅう存じます」が正解。ひえっ。今どきそんな気取った言葉遣いする人なんかいるかよ。<br /><br />形容詞に関しては、「美しい」からいきなり死語に近い「美しゅうございます」になって、中間がないという、たいそう不自由な空白を生じているのです。これは日本語の欠陥といえます。<br />尊敬語では「食う」→「食べる」→「召し上がる」→「お召し上がりになる」など、敬意に応じて段階があるのに（この上の「お召し上がりになられる」はNGだす）。<br /><br />しいて「です」をつけるなら、「美しいのです」となりますが、ちょっと説明的というか、ニュアンスを考えると常に置き換え可能とは限りません。<br /><br />文法的に間違いとはいっても、文章的に間違いってわけではありません。すでに広く使われていて、『文部省追認形』として認められています。「行きたいです」などはまだ非推奨のようですが。<br />「ら抜き」に嫌悪感を示す堅物でも「形容詞＋です」は普通に使うことが多いようです。<br /><br />そんなふうに口語ではなんとも感じませんが、手紙やメールなど書き言葉にすると、どうも稚拙な印象を与えます（そう感じる人は減ってきているとは思いますが）。「美しいと思います」など回りくどい表現にしたり、名詞化して「美しさが際立ちます」とかに変えたりで対処する人もいるでしょう。<br /><br />言葉はめまぐるしい勢いで変化しつつあります。文法的些末事をゴチャゴチャ言う人もそのうちいなくなると願いたいものです。<a name="more"></a>

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<title>皿洗いをバカにする心理</title>
<description>私は皿洗いが嫌いです。ついためこんでしまいます。とはいえ、ウォーショースキーにならって、きれいな食器がなくなるまで洗わないでおくには、我が家には食器が多すぎ、キッチンは狭すぎます。３日分の汚れ物を積み上げると、まな板を置くスペースもなくなり、料理もできません（もともとあんまりしないけど）。結果として、しぶしぶながらもけっこうこまめに洗っています。日に３度片づけるのを当然としている人々からは「それがこまめか？」とひんしゅくを買う頻度ですが。世の中に皿洗いが好きと断言する人は少数..</description>
<dc:subject>あれも嫌いこれもキライ</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2011-01-31T20:12:10+09:00</dc:date>
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私は皿洗いが嫌いです。ついためこんでしまいます。<br /><br />とはいえ、ウォーショースキーにならって、きれいな食器がなくなるまで洗わないでおくには、我が家には食器が多すぎ、キッチンは狭すぎます。３日分の汚れ物を積み上げると、まな板を置くスペースもなくなり、料理もできません（もともとあんまりしないけど）。<br /><br />結果として、しぶしぶながらもけっこうこまめに洗っています。日に３度片づけるのを当然としている人々からは「それがこまめか？」とひんしゅくを買う頻度ですが。<br /><br />世の中に皿洗いが好きと断言する人は少数派でしょう。毎食後ささっと片づけるのは、むしろ嫌いだから、が本音のはず。<br /><br />そしてまた、私が食器を洗うようすを見た人は、「ほんとうに嫌いなんだろうか」と首をかしげるかもしれません。<br />それほど私の洗い方は丁寧です。箸などまとめてガシャガシャと洗うなんて論外で、１本ずつ何度もなでさすります。すすぎも完全に洗剤を落としたスポンジと流水で、なっとくのいくまで仕上げ洗いをし、指先で表面の感触をくまなく確かめてから食器かごへ。<br />つまりやたらと時間がかかるのです。だから重労働。だから洗いたくない。だからためこむ。だから重労働という悪循環。<br /><br />重労働ゆえ、茶碗洗いに当たっては、覚悟を決め、エイヤッと気合を入れてから始めます。この時期なら、まず暖房を止めます。それから上着を１枚脱いでエプロンをかけます。<br /><br />エアコンを切るのは、台所まで温風が届かないし、食器洗いのような「非生産的」「単純作業」時に貴重な電気を無駄遣いしたくないという事情もあります。縫い物やブログ書きは仕事だから（えっ、これも仕事か・・・いちおう）、電気代を費やして温度調整をすることに後ろめたさがないのです。<br /><br />しかしそれのみにあらず。<br />洗い物をしていると、体があったまるのです。１枚脱ぐのはそのため。夏場は扇風機をそばに寄せて強風をかけます。<br /><br />このこと、自分でもちょっと不思議でした。肉体労働とはいえ、一か所に突っ立って手先しか動かさないのに。<br /><br />ちなみに、この厳寒期でも、お湯はいっさい使いません。すすぎがあまりに丁寧だから、お湯を出すと、温水器が空っぽになって、お風呂に入れないおそれがあるのです（むかーし、１度経験済み）。<br /><br />皮膚が切れるような流水で延々すすいでいると、手は真っ赤になり、指先の感覚が薄れてきます。冷気が手から体へ這い登って全身が凍りついてもおかしくないのに、なぜか体はぽかぽか。そのうち、手の冷たさも平気になります。<br />シンクも壁もピカピカに磨いて、洗い物終了。手を拭くと、指先には急速に血行が戻って、あっという間に手もぽかぽか。わりと爽快な気分です。<br /><br />このスッキリ気分で、さあ、やリかけのぬいぐるみを一気に仕上げるぞう。と取りかかれば、次第に体は冷え、指もかじかんで手元が狂い、我が身にぶすりと針を刺してしまったり。<br />縫い物をするときには、どうしても暖房が必要です。<br /><br />座って行う針仕事のエネルギー消費量が多少低いのは理解できますが、どちらもじっとして、動くのは手だけ。それにしては体への影響が違いすぎる。<br /><br />先日、皿洗いをしていてふと思いました。体が温かいのは、脳が休んでいるからではないか。<br />脳はぜいたくな器官で、重量は数パーセントなのに、酸素消費量は全身の２割以上必要だと聞いたことがあります。酸素を運ぶのは血液。<br />単純肉体労働かつ定型作業である皿洗いでは、おツムへの血流を倹約できるから、体や手を温めるほうに回せるのです。<br /><br />かたや縫い物は高度な創作行為。一見単なる手作業のようでも、緻密な脳内活動を伴います（ほんとうですっ）。大量の血液が脳に送られる分、体や手先は冷えるのです。<br /><br />私が皿洗いを嫌いなのは、それがぱあでもできる低級な肉体労働だと、心の奥底で知っていたからなんだ～と、あらためて認識したのでありました。<br /><br />「何がぱあでもできる低級な肉体労働だ」<br />まじめできれい好きな主婦や家政婦さんや独身の方々から皿や茶碗を投げつけられそう。ス、スンマヘン。個人的こじつけですだ。<a name="more"></a>

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<item rdf:about="http://zzz.abc-abc.net/article/42367355.html">
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<title>門松は冥土の旅の</title>
<description>個人的には正月なんて全然めでたいものではありませんが、長い間に定着した社会のしきたりにイチャモンをつける気などさらさらなく、現に昨日も某所であけおめしてきました。しましま、こーゆー性分ですから、お正月はどうしてめでたいのか、私なりに考えてみることにします。一般に、おめでとうという言葉をかける相手は、ノーベル賞や金メダルや福引の一等など、幸運や努力の結果、何か特別なよいものを得た人です。結婚、新築、創業、進学、昇進なども同様。これらは納得がいきます。祝う人と祝われる人はいちおう..</description>
<dc:subject>世相＝世間相場？</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2011-01-03T22:25:01+09:00</dc:date>
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個人的には正月なんて全然めでたいものではありませんが、長い間に定着した社会のしきたりにイチャモンをつける気などさらさらなく、現に昨日も某所であけおめしてきました。<br /><br />しましま、こーゆー性分ですから、お正月はどうしてめでたいのか、私なりに考えてみることにします。<br /><br />一般に、おめでとうという言葉をかける相手は、ノーベル賞や金メダルや福引の一等など、幸運や努力の結果、何か特別なよいものを得た人です。結婚、新築、創業、進学、昇進なども同様。これらは納得がいきます。<br />祝う人と祝われる人はいちおう線引きされています。<br /><br />それに対して正月は特定の誰かを祝うものではありません。運が悪かろうと、怠けていようと、万人に公平に訪れます。<br />正月という特定の時期を祝うものなのです。<br /><br />クリスマスは正月に似てはいますが、イエスさんという明確な対象がいます。<br /><br />おお、それで不思議に思ったのは、誕生日を祝うのはなぜでしょう。<br />誕生日のいったい何がめでたいんですか？<br />幼いころは、１年間無事に生き延びて成長したという実感が（まわりには）あっても、現代日本では特別なことともいえず、本人の努力の成果でもないでしょう。<br />一定の年齢を過ぎると、とりわけ女性は、誕生日なんかちっともめでたくない気分に、いや、恐怖の的とさえなってしまいます。<br /><br />誕生日を祝う風習は、おそらく近年、西欧から入ってきたものです。昔の日本では数え年が一般的で、個人の誕生日など問題にならなかったと思われるからです。<br /><br />誕生日のおおもととなる、実際の誕生、これはめでたいものです。ほとんどの両親が我が子の誕生を嬉しく思うに違いありません。<br />そのめでたい気分を再現しようと、毎年の同月同日にお祝いをするというのが趣旨ではないでしょうか。結婚記念日などと同様です。<br /><br />そうしてみると、誕生日にプレゼントをもらうのは本人ですが、ほんとうは両親を祝うべきだと思うのです。<br />少なくとも、自分の誕生日は両親へ感謝の気持ちを新たにする日だと思い直せば、年をとるのがいやだーというマイナーな感情を払拭できるかもしれません。<br /><br />正月も一種の記念日ってとこでしょうか。その国の誕生日みたいなもので、それは建国の日みたいに厳密でない、つまり数え年の日。<br />だから国民ひとりひとりが自分を祝おうってことです。<br />お年玉をもらえるからめでたいと思ってる子どもたち、正月がめでたいからお年玉をもらえるんだぞ。<br /><br />昔はその年のツケがチャラになるとかで、年末には借金取りから逃げ回る光景が見られたとか。うまく逃げ延びれば、正月はめでたしめでたし、ですなあ。だけど踏み倒し族に同調して国中がめでたがるのは本末転倒。正月がめでたいから借金も恩赦にしようってことでしょう。<br />商売人にとって正月はめでたいどころじゃないし、実際にどうだったのかよく知りませんが。<br /><br />ともあれ、それくらい我が国では、正月を特別な日としてきたのです。<br /><br />新年を祝う行事は世界中いろんな国で行われますが、日本ほど極端に雰囲気が変わる国は珍しいように思います。<br />全国いっせいにお正月モードになり、多くの日本人が自分が日本人であることを思い出すようにしむけられるって印象。着るものの食べるものも「和」に回帰しちゃうんですからね。太陽暦なのに。<br /><br />お祭りだからそれでいいんです。<br />特別なことをするとお金がかかります。正月は人が動き、お金が動き、経済効果は莫大です。<br />毎日がお正月ならいいのになー。それではお祭りの意味ないだろ。<br /><br />相変わらずしょうもないゴタクを並べている私って、１年中おめでたい人なのですよ。<a name="more"></a>

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<title>暗黒実話</title>
<description>『目を閉じて何も見えず～』とか歌って人気を博した人がいまして、一部で「そんなん当たり前じゃん」などとつっこまれていたとか。当たり前なんかじゃありません。目を閉じると、さまざまなものが見えます。私は歯を磨くときに目を閉じるのが癖で、その理由を尋ねられたとき、「こうすると口の中が見えるから」と答えたらバカにされちゃいました。よけいな視覚情報がない分、歯や歯茎に意識を集中できるってことで、単なる比喩ですが。目を閉じているときに見るものの代表は夢です。が、はたして夢は「見る」ものか？..</description>
<dc:subject>美容と健康</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-12-31T23:06:31+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
『目を閉じて何も見えず～』とか歌って人気を博した人がいまして、一部で「そんなん当たり前じゃん」などとつっこまれていたとか。<br /><br />当たり前なんかじゃありません。目を閉じると、さまざまなものが見えます。<br /><br />私は歯を磨くときに目を閉じるのが癖で、その理由を尋ねられたとき、「こうすると口の中が見えるから」と答えたらバカにされちゃいました。よけいな視覚情報がない分、歯や歯茎に意識を集中できるってことで、単なる比喩ですが。<br /><br />目を閉じているときに見るものの代表は夢です。<br />が、はたして夢は「見る」ものか？　夢の中では歩いたりしゃべったりもするから、「体験する」ようなものかもしれません。時として自分の姿が見えることもあるし、全般的に「見る」に近い感覚ではあります。<br /><br />睡眠が「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」に分けられることをご存じのかたは多いでしょう。そして、レム睡眠のときにはしばしば夢を見ていることも広く知られています。<br />レムとは Rapid Eye Movement の略で、その最中には眼球が急激に動くことから名づけられました。<br /><br />夢を見るときには目が動く、つまり目を使うのですね。「見る」に近い感覚になるのはそのせいでしょうか。<br /><br />夢のように非現実的なものはおいといて、目が見える現象を理論的に説明しますと、『視覚とは網膜の細胞に達した光エネルギーが刺激となって生じる感覚』だそうで、光がなければ視覚は機能しないことになります。<br /><br />目を閉じても明暗の判断はできるし、視野を何かが横切ったことくらいわかります。瞼の皮膚が薄いから光を透してしまうのです。<br />すると透明人間は目を閉じても閉じなくても視界は同じということで、うっとうしいでしょうねえ・・・。<br /><br />光をさえぎってしまう、つまり真っ暗闇の中では「暗黒」しか見えないかというと、そうでもなくて、形が定かではない灰色のものが動いているように感じます。これを『網膜固有光』と呼ぶそうです。<br /><br />子どものころは、暗いところでぎゅうっと目をつぶると、石ころのようなものがいっぱい詰まっているように見えて、地球の内部が見えるんだーなんて、わけのわからんことを思っていました。<br /><br />今や闇の中の情景はより多彩になってしまい、老化の進行が身にしみます。<br /><br />私はかなり度のひどい飛蚊症なので、明るいところで目を閉じると、薄暗いバックに蚊がうじゃうじゃ残っています。暗い場所ではさすがにいなくなりますが。<br /><br />代わって飛来するのが蛍たち。光視症もかかえているのです。<br />とりわけ朝起きた直後や夜寝る前などは、パッパッとたくさん光っては消えます。稲妻のように見える人もいるそうですが、私の場合、丸い輪っかのような形です。<br />光視症は外部からの光刺激でないものを光として感じる症状です。網膜が引きつったり癒着を起こして、不要な刺激を与えるためだそうです。だから激しくまばたきをしたときなどにもよく現れます。せめてもの対策として、普段はなるべく目を動かさないようにしています（動体視力ゼロはそのせいか？）。<br /><br />インターネットの発展は、現代人に「見る」ことをより多く強いる傾向にあります。<br />ときには目を閉じて闇を見つめることで休養してはいかがですか。自分の内面が見えるかもしれませんよ。<a name="more"></a>

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<title>凡人だって幸福論をぶつぞう</title>
<description>新明解国語辞典によりますと、幸福　　現在（に至るまで）の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持を抱くことも無く、現状が持続してほしいと思う△こと（心の状態）。凡人　　自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。一生を終えたあとでなければその人が凡人であったかどうか判断できないのか。などと揚げ足とるつもりはないけど、『影響力が皆無』とはちと厳しすぎませんか？　孤島で独り暮らすの..</description>
<dc:subject>人生燻</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-12-30T22:21:42+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
新明解国語辞典によりますと、<br /><blockquote><b>幸福</b>　　現在（に至るまで）の自分の境遇に十分な安らぎや精神的な充足感を覚え、あえてそれ以上を望もうとする気持を抱くことも無く、現状が持続してほしいと思う<span style="font-size:75%;">△</span>こと（心の状態）。<br /><br /><b>凡人</b>　　自らを高める努力を怠ったり功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。</blockquote>一生を終えたあとでなければその人が凡人であったかどうか判断できないのか。などと揚げ足とるつもりはないけど、『影響力が皆無』とはちと厳しすぎませんか？　孤島で独り暮らすのでない限り、どんなに非力な人でも他者になんらかの影響を及ぼすことはありえましょう。そしてまた、孤島で独り暮らす人は、そのことによってすでに非「凡人」です。<br /><br />おっと、本日は凡人論ではなく、幸福論です。<br />生ける凡人ルノがぶち上げる幸福論は、他に対する影響力が皆無だろうから、気楽に好き勝手を言えますぞ。<br /><br />ちなみに私は新明解国語辞典を持ちません。触ったこともありません。<br />「読める辞書」として名高い『新解さん』ですが、辞書好きの私には、いったん手に取ったら中毒しそうでコワい。老後の読書リストに掲げておきましょう。<br /><br />じゃあ上記引用はどこから取ってきたんだ？<br />夏石鈴子『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4043604033?ie=UTF8&tag=abcabcnet-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4043604033">新解さんリターンズ</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=abcabcnet-22&l=as2&o=9&a=4043604033" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』です。つまり、引用の引用というものぐさぶり。<br /><br />この『リターンズ』と出世作『新解さんの読み方』は、面白いところだけ抜き出している分、本家本元『新解さん』より面白いようです。あちこちで笑っちゃいます。<br />とりわけ引用順序の妙とでもいいましょうか。凡人でも３人タッグを組めば、その並び方しだいでは天才をしのぐ可能性があると思えてきます。<br />新解さんでも事例の掲載順序が面白いみたいで、それは『リターンズ』の『物の順コーナー』で堪能できます。<br /><br />おっと、本日は新解さん論ではありませぬ。<br /><br />「幸福」とほぼ同じ状況をあらわす「幸せ」、両者はどう違うのでしょうか。<br /><br />「幸福」は二字熟語で硬い印象だから、とりわけ口語では「幸せ」が使われる傾向にあります。<br /><br />「幸せ」は「仕合わせ（為合わせ）」から来ています。運命の巡り合わせです。字面に良い悪いの判定は含まれませんが、通常良い方面に使います。「幸運」のことです。<br /><br />仕合わせや運は自分ではどうすることもできません。<br /><br />幸福ならば、上にも引いたように「心の状態」だから、自力でどうにかなりそうです。<br />傍目にはどんなに「不仕合わせ」でも、本人が「幸せ」だと思っていれば、その人は「幸福」なのです。<br /><br />現実には「心の状態」なんて、そう簡単にコントロールできるもんじゃありません。できないからこそ、世の中トラブルだらけなのです。<br /><br />『幸福論』の大御所アランは『意志で自分の感情をどうこうすることできないが、態度はただちにコントロールできる』と述べています。<br /><br />そっか、幸せそうな態度をしていれば、幸せ気分になれるのかも。それって、どんな態度？<br />まずはニコニコ。幸せならきっと笑顔がこぼれるでしょうから。はい、チーズ。ニコニコ、にっこり、むふふ、わははは、がっはっは・・・。<br />そもそも笑いの効用はすごいらしくて、おかしくなくても笑っていれば免疫力が上がって癌さえ退治するのだとか。<br /><br />しかし・・・幸せそうに振る舞い、笑ってさえいれば、飢えや失業が解決するだろうか。<br /><br />ここでいきなり根源的な質問。<br />幸福ってそんなにいいものか？<br /><br />戻って、新解さんの定義を再読しましょう。そこはかとなく「幸福」をバカにしているように感じられません？<br />幸福とは向上心を失った状態です。というか、向上が不要（不可能）になった、最上の段階です。幸福な人は、幸福を維持できなければ、不幸になるしか道がないのです。<br /><br />むろん語句の意味に関すれば、新明解が「絶対正しい」わけではない。<br />たとえば当辞典には『全知全能を振り絞る』という用例が載っているようです。<br />神が天地を創造する際は全知全能を振り絞ったかもしれません。が、振り絞らずともできるのが全知全能のゆえんじゃないですかね。<br />おーっと、またも脱線。<br /><br />別の（まともな）辞書を開いてみます。<br /><blockquote><b>幸福</b>　　すべてのことにみちたりていて、心がおだやかなこと。しあわせ。</blockquote>すべてに満ち足りるってこと、人生にありうるのでしょうか。<br />仮にそうなって幸福を満喫していたとして、たとえば、ふと外を見たら雨が降ってきた。<br />「うわー、これから出かけようとしていたのに、やだなー」と顔をしかめた時点で、「すべて」の片隅にひびが入ります。<br />「わーい、雨だ。昨日買ったピンクのレインブーツを履ける」と喜ぶポリアンナイストもいましょうが、出かけておニューのブーツが泥はねで汚れたら悲しくなるかもしれません。<br /><br />テレビをつければ戦争や自爆テロ、殺人、いじめ自殺など悲惨なニュースが目白押しです。それらを見て、いささかも心が痛まない人がいるでしょうか。引き比べて自分の幸せを再認識するだけの人間は、幸福だとしても、客観的にはあわれです。<br /><br />人は幸福でなくたっていいんです。満ち足りていなくていいんです。心穏やかでなくたっていいんです。<br />満ち足りた愚者よりも、不遇のソクラテスたれ、ですよ。<br /><br />むろん幸福に価値がないわけではありません。努力目標として、まっとうな方法で目指せばよろしい。<br />『幸福は目的として望ましいただひとつのものである』とか言ったのは、経済学的に幸福を求めたミルです。『その他は幸福という目的の手段だ』とも。<br /><br />一般に、人は幸せになるために行動します。<br />ただし、幸福そのものは目指すには漠然としすぎています。「幸福」という言葉はさほど意識せず、自分自身や生活をより良くしたいといった感覚で、具体的な目標を設定するものです。<br /><br />目標を決めた時点では、達成したときのことを考えてワクワクします。<br />途中ではいろんな障害が発生し、しばしば挫折も味わいますが、やり直したり軌道修正したりと努力の結果、どうにか乗り越えてもう少しで手が届くところまできたら、かなりの充実感があるはずです。<br /><br />達成してしまったら、実はこんなもんじゃなかったと失望することもままありますが、それはそれでOK。自分が成長しているから、次はより高いものを目指したくなるのです。<br />そうやってチャレンジし続けることが人生の醍醐味です。「幸福」とやらにはいつまでも手が届かないかもしれないけど、満足（停滞）してしみじみと幸福を味わうよりも、ずっと素晴らしいことだと思いませんか？<a name="more"></a>

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<item rdf:about="http://zzz.abc-abc.net/article/41886328.html">
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<title>悲しくないのに</title>
<description>新聞や雑誌の人生相談コーナー、くだらんと思いつつ、ついチラ読みしちゃいます。他人の不幸は蜜の味。悩み苦しむ人々と引き比べて我が身のささやかな幸福を味わおうという魂胆？　いえいえ、ひまつぶしです。そもそもほんとうに困り果てている人は、返事をもらえる当てもない誌上相談室宛てに手紙を書く余裕なんかないと思いますよ。結果的に、採り上げられる悩みは「んなん自業自得だぜい」とか「しょーもないことに拘泥する前にもっとやることあるだろうに」などと突っ込みたくなる些末事ばかり。でもまあ、本人に..</description>
<dc:subject>人生燻</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-11-28T13:26:26+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
新聞や雑誌の人生相談コーナー、くだらんと思いつつ、ついチラ読みしちゃいます。<br /><br />他人の不幸は蜜の味。悩み苦しむ人々と引き比べて我が身のささやかな幸福を味わおうという魂胆？　いえいえ、ひまつぶしです。<br /><br />そもそもほんとうに困り果てている人は、返事をもらえる当てもない誌上相談室宛てに手紙を書く余裕なんかないと思いますよ。結果的に、採り上げられる悩みは「んなん自業自得だぜい」とか「しょーもないことに拘泥する前にもっとやることあるだろうに」などと突っ込みたくなる些末事ばかり。<br />でもまあ、本人にとってはそれが一番の重大事なのでしょうね。ある意味、うらやましい。<br /><br />ある日見かけた相談。「真剣に話をしようとすると涙が出て困る」というような内容だったと思います。<br />ふーん、そんなこともあるんだなと読み流し、回答者の意見については全く覚えていません。<br /><br />だいぶ日が経って唐突にそれを思い出し、私にも同様の経験があることに気づいたのです。会話の最中、決して涙が出るような局面ではないのに、なぜか涙ぐんでしまうといったことが。<br />若いころ、特に学生時代にはわりと頻繁に起きたような気がします。<br /><br />とりわけはっきりと覚えているのは・・・。<br />カッコーが自分で子育てをせず、ほかの鳥の巣に卵を産んでを育てさせることはよく知られています。それをうまくやり遂げるために進化してきたようです。カッコーのヒナが孵化してまず行うのは、養い親の卵を巣から放り出すこと。そのためかヒナの背中は、卵をのせやすいようにくぼんでいます。<br />そのことを何かで読んだ私は、うわー、必要は外形を変えるのかと、造形の妙に感嘆しました。<br />数日後、友達に教えようと詳しく話して聞かせていると、急に涙がこみ上げてきて、驚くとともに、非常に当惑したのです。殺されるオオヨシキリのヒナはかわいそうだけど、別に泣くほどのことじゃあるまいし。<br /><br />今思えば、まさに私は「真剣に話そうとしていた」のでした。<br /><br />くだんの相談者は若くて、真剣に話す機会がたびたびあるから、どういう状況でそうなるということを分析できていたのでしょう。<br />私はその場その場では困ったとしても、過ぎればどうでもよくなり、引きこもっているうちに歳月が過ぎ、「真剣に話す」ことなどなくなりました。だからその悩みを読んだ当初は、完全に他人事としか捉えられませんでした。<br /><br />涙は起きている間、常に分泌されています。それはごく少量です。目を守り、栄養を与えているのです。<br />ときたまどっと出ることもあります。あくびをしたり、ごみが入ったり、タマネギを刻んだり、わさび食ったり、ひどく痛い思いをしたときにだって。大笑いしても涙は出ます。<br />そういう反射性の涙のほか、人間特有の感情性涙があります。悲しい、悔しい、せつない、嬉しい、感動や同情・・・さまざまな感情に伴って涙が出ます。涙腺の分泌神経が頸部交感神経と顔面神経の中間にあるからとかなんとか、百科事典に書いてありましたが。<br /><br />真剣に話すことは「行為」だから、「感情」とは無関係に見えます。だから涙が出ることは理解されにくく、当人も困ってしまうわけです。<br />しかし「普通に話す」から「真剣に話す」へ前進するには、なんらかの意志、やっぱり感情の後押しが必要。また真剣に話せば、表情筋だって普段よりもよく動くでしょう。いずれにせよ、神経の密集した部分が刺激を受けるのだから、ご近所の涙腺神経が連動する可能性は大いにあります。<br /><br />「将来の夢を熱心に語る彼女の瞳はキラキラと輝いていた」<br />何の変哲もないありふれた文章です。この「キラキラと輝く瞳」は単なる比喩ではなく、きっと実際に輝いているのです。それには目が通常にうるおっているだけでは不十分。<br />真剣に話すときにいつもより余分の涙が分泌されるのは、特殊なことではない。これが私の結論です。<a name="more"></a>

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<link>http://zzz.abc-abc.net/article/41640427.html</link>
<title>お勝手口は閉めましょう</title>
<description>わりとたくさんのホームページを運営しています。その中で秘密にしておいた一群のサイトが流出してしまいました。いや、別に、見られて恥ずかしいような内容ではありません。別のドメイン名でちゃんと公開しているので、そのURLではアクセスされたくないという事情なのです。正規のドメインが表玄関なら、こちらは裏口みたいなもの。同一コンテンツにたどりつけるけど、ドアが違うのです。具体的に文字を使って示します。私が利用しているサーバーでは、abc-abc.netというドメインを取得すると、それに..</description>
<dc:subject>サイト運営</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-11-08T18:10:16+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
わりとたくさんのホームページを運営しています。<br /><br />その中で秘密にしておいた一群のサイトが流出してしまいました。<br />いや、別に、見られて恥ずかしいような内容ではありません。別のドメイン名でちゃんと公開しているので、そのURLではアクセスされたくないという事情なのです。<br />正規のドメインが表玄関なら、こちらは裏口みたいなもの。同一コンテンツにたどりつけるけど、ドアが違うのです。<br /><br />具体的に文字を使って示します。<br />私が利用しているサーバーでは、abc-abc.netというドメインを取得すると、それに付随するサブドメインをいくつか持つことができます。サブドメインとは、zzz.abc-abc.netとかyyy.abc-abc.netなど、任意の文字を頭につけて分類するものです。仮にzzzというサブドメインを作ったとしましょう。<br />そしてabc-abc.netの下にxxxというサブディレクトリを作り、このabc-abc.net/xxx/はzzz.abc-abc.netであると紐づけすると、http://zzz.abc-abc.net/にアクセスしたときに、http://abc-abc.net/xxx/の中身が表示されるわけです。<br />なぜ紐づけるかといえば、サブドメインはサブディレクトリよりも数段カッコイイから・・・でしょうね。<br /><br />むろんhttp://abc-abc.net/xxx/に直接行くこともできます。混乱を避けるために、xxxは慎重に隠しておく必要があります。<br /><br />この隠しディレクトリがばれてしまったのです。<br />理由はわかりません。私自身が相対リンクなどでうっかり露出させた可能性もありますが、検証はできませんでした。<br />ちゃんと隠しておいても、知識のある人なら簡単に見つけ出せるようです（なんの得にもならないけど）。<br />誰かのURL入力ミスがたまたまヒットしたのかもしれません。ディレクトリ名が短くて推測しやすい文字列だったのは事実です。<br /><br />気づいたのは１年以上前のことです。まずいなあ、なんとかしなきゃと思いつつも放置しているうちに、あちこちから善意のリンクを受け、検索結果では正規ページをさしおいて上に出てくるなど、バカにならない存在となってしまいました。<br />同一ページに複数のURLがついていると、検索エンジンはミラーサイトと同列視して、重複の片方を排除するということになるのでしょう。<br /><br />ドアが多いほうが訪問者増加には役立つかもしれません。<br />しかしそれぞれの「ページ力」は分散されて弱まります。<br />「カッコ悪い」サブディレクトリがしゃしゃり出ることは、自己満足的美意識の観点からも気が滅入ります。<br /><br />やっとこさ重い腰を上げて、対策に乗り出したのでした。<br /><br />要はサブディレクトリに来た人をサブドメインに誘導すれば済むことで、.htaccessファイルにチョコチョコッと書き込むだけでしょ。<br />・・・で、そうしたんだけど、全く効果なし。ど、どうして？<br /><br />焦って専門解説サイトなどを見回りまして、Condの記述を分けたり、一段上のディレクトリに置き直したり、いろいろ試したけどダメでした。<br />困り果てて、その日は中止。<br /><br />思案するうちに、.htaccessで飛ばすだけでは根本的解決にならない、いっそ当該ディレクトリxxxを削除してしまえ・・・という気持ちに傾いてきました。<br /><br />実際に削除まではしませんが、xxxのディレクトリ名をpppに変更し、別途作った空のディレクトリをxxxと名づけます。しかる後にpppとzzz.abc-abc.netを紐づけしなおすのです。<br />xxxへ来た人はファイルが存在しないというエラーに直面するので、お知らせページへ誘導。<br /><br />作業はアクセスの特に少ない時間帯がよかろうと、朝４時半から行いましたが、あっという間に終了。<br />表示確認では取り立てて問題はないようでした。<br /><br />その後落ち着いて.htaccessを見直したら、記述した「：」や「￥」が全角になっているのを発見。作動しないのは当然だあ。<br /><br />実は.htaccessに初めて取り組んだとき、その内容を当ブログに<a href="http://zzz.abc-abc.net/article/827753.html">投稿</a>していました。それをコピペして修正したのですが、おおもとが全角混じりだったのです。見た目の都合だけでなく、自動リンクを防ぐためにそうしたのですが、自分で但し書きしているにもかかわらず、見落としちゃったんですねえ。アホアホ。<br /><br />半角に直してアップしたけど、ほかにも間違いがあるらしく、うまくいきませんでした。面倒だから放置しています。<br />哀れ、万年初心者。<a name="more"></a>

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<link>http://zzz.abc-abc.net/article/41581502.html</link>
<title>アフィリエイト挫折組</title>
<description>数年前からホームページやブログに広告を載せています。提携している広告業者は、Google、Amazon、リンクシェアです。このたびリンクシェアと手を切りました。ほとんど収入がなかったからです。リンクシェアとAmazonは成果報酬方式、つまり売上金額の何パーセントかがサイト運営者に支払われます。おおむね３パーセント前後です。1,000円の品が売れたら30円。Amazonでは5,000円たまると振り込んでくれます。リンクシェアは金額にかかわらず、収入が発生したら毎月振込です。Am..</description>
<dc:subject>広告戦略</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-11-03T15:02:16+09:00</dc:date>
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数年前からホームページやブログに広告を載せています。提携している広告業者は、Google、Amazon、リンクシェアです。<br /><br />このたびリンクシェアと手を切りました。ほとんど収入がなかったからです。<br /><br />リンクシェアとAmazonは成果報酬方式、つまり売上金額の何パーセントかがサイト運営者に支払われます。おおむね３パーセント前後です。1,000円の品が売れたら30円。<br /><br />Amazonでは5,000円たまると振り込んでくれます。リンクシェアは金額にかかわらず、収入が発生したら毎月振込です。<br /><br />Amazonから最初の振込が来るまで、丸１年を要しました。<br /><br />リンクシェアからはたまにポツポツと振込みがありました。その額ときたら、たいてい10円とか16円とかで、あまりに情けない。1,314円計上されたことが１度ありましたが。<br />10円振り込むのにもそれ以上の手数料がかかるだろうし、申し訳ないなあ・・・てなわけで、撤退を決めたのです。<br /><br />アフィリエイトで収入を得るのはかくも難しいものです。<br />ウェブ上では通販が花盛りですが、個人のアフィリエイターはどれだけ寄与しているのでしょうか。多くの人が私と同等か、ややましな程度ではないかと思っています。<br /><br />その２社と違って、Google広告はクリック報酬方式です。売上があろうとなかろうと、クリックされれば収入になります。ワンクリック当たりの額は低いのですが、うっかりクリックする人もいるのか、Amazonよりは効率がよろしいようです。<br /><br />当然、AmazonよりもGoogleの広告をたくさん載せるほうがいいとは想像がつきます。だけど広告だらけのページって印象悪いから、二の足を踏んでおりました。<br /><br />ある日Googleからメッセージが届きまして、「現在小さいバナーをご利用のようですが、大きいバナーに変えたら収益が向上する可能性があります」とな。Googleのコンピュータは個別に解析とアドバイスをしてくれるんです。<br /><br />そのときはよけいなお世話だいっと反発したのですが、クリック率も単価も非常に低迷していたので、一部サイトで大きな広告を採用してみようと決意。具体的には縦バナー（120×240）をワイドスカイスクレイパー（160×600）に変更したのです（数字はピクセルで、広告のサイズを表します）。<br /><br />広告の差し替えはHTMLソースを手作業で修正して行います。ファイルを開かず一括編集という方法もあるようですが、自分の目で確かめないと不安だし、誤字脱字やリンクミス、レイアウトの崩れなど発見する機会でもあるから、面倒でも１ページずつチェック。<br />縦長のスカイスクレイパーをコンテンツの少ないページに置くとバランスが悪いので、写真や文章を追加して充実させたり、それが無理なら小さい広告のままにしておくといった配慮も必要です。<br />空き時間に少しずつおこなったので、時間はけっこうかかりました。<br /><br />そうこうしているうちに、収益が上向いてきたことに気づいたのです。<br />始めのうちは微増程度と感じていましたが、２か月後には３割増しくらいになっていました。もともと少ないから増えてもたいしたことはないけど、単に広告を張り替えただけにしては、じゅうぶん以上の成果です。<br /><br />ただし目に見えるほど向上したのは、比較的アクセスの多い英語サイトが中心で、この貧盗恋歌では全く変化がありません（更新が滞っているのに変化なしとはむしろありがたいのですが）。<br /><br />そのうち張り替えも億劫になって中途放棄。収益は３割増しのまま推移して、いちおうホクホクなのでした。<br /><br />そしたらまたもGoogle様からメッセージ。「現在１ページにつき２つほどしか広告を載せていませんが、３つに増やしたらもっと収益が上がりますよ」<br />さらには「大バナーのレイアウトが改良されたので、ぜひそちらの利用も」というニューズレターも届きました。<br /><br />１ページに３つも広告を置くのにはまだ抵抗がありましたが、ここまで汚染された以上、２つも３つも五十歩百歩。<br />むろん大きな広告の効果は実感していたので、それまで多用していた通常バナー（468×60）を、スペースが許す限り大バナー（728×90）に置き換えることにしました。前回やり残していたページにも少しずつワイドスカイスクレイパーを導入。<br /><br />するとビックリ。変更したサイトから明らかに収益が増えていくではありませんか。<br /><br />結局その月は５割増しという狂乱物価（？）。<br />３割増しがさらに５割増しってことは・・・いかに元が少なかったとはいえ、もうなんだかスゴイ事態だー。<br />広告を大きくして数を増やしただけでこうなるなんて、ウェブ利用者は素直な人ばっかりなのね。<br /><br />かねてより私はあちこちで「充実した内容のページにある広告はクリックされにくい」との説を唱えていました。それは「我がページの広告がクリックされないのは、訪問者が内容に満足して帰るからだ」という負け惜しみでした。<br />単に広告が小さくて少なくて目立たないからというのが真の理由だったとは・・・。気づくの遅すぎ。ううう。<br />多くのアフィリエイターがページのてっぺんから両端からすそ野まで、めいっぱい広告で埋め尽くしているのも理の当然ですなあ。<br /><br />思えばリンクシェアの広告も少なすぎました。もっとベタベタ張りつけていれば、それなりの成果が上がっていたかもしれません。今さら再提携するつもりはないけれど。<br /><br />それにしても、タイトルでは挫折を装っておきながら、実はウハウハ成功例の自慢っぽいぞ。<br /><br />いやあ、５割ってのはたまたま運が良かっただけでしょう。その後は下降気味です。<br /><br />何よりも私はかなり深刻な憂いのタネを抱えているんですよね。<br />例のヤフー・ジャパンとGoogleの提携話。もっかヤフーに愛されている（かつGoogleに嫌われている）我がサイトは、ヤフーがGoogle検索を採用したとたん、アクセスが激減すると予想されます。誰も来なければ、いくらたくさん広告を載せても無駄ってことになりかねません。<br />それまでなんとかせこくしぶとく<a href="http://zzz.abc-abc.net/article/2342732.html">稼</a>いでおかなきゃと焦る日々なのです。<a name="more"></a>

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<title>来年のカレンダー</title>
<description>光陰矢の如し。ぼうっと過ごしているうちに日々は容赦なく消え去ります。新たなカレンダーやダイアリーを準備する時期となりました。普通に暮らしている人なら、カレンダーや手帳は銀行や取引先からもらうものから選んでいるでしょうが、世間との接触が少ない私にはそういう当てもありません。年末になると店先や窓口などにさまざまな販促用カレンダーが置かれていたものですが、不況のせいか減ったようですね。質も落ちたし。無料のカレンダーはデザインがいまいちだから、値が張ってもインテリアにマッチするすてき..</description>
<dc:subject>レトロ</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-11-02T10:34:01+09:00</dc:date>
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光陰矢の如し。ぼうっと過ごしているうちに日々は容赦なく消え去ります。<br /><br />新たなカレンダーやダイアリーを準備する時期となりました。<br />普通に暮らしている人なら、カレンダーや手帳は銀行や取引先からもらうものから選んでいるでしょうが、世間との接触が少ない私にはそういう当てもありません。<br />年末になると店先や窓口などにさまざまな販促用カレンダーが置かれていたものですが、不況のせいか減ったようですね。質も落ちたし。<br /><br />無料のカレンダーはデザインがいまいちだから、値が張ってもインテリアにマッチするすてきなものを買うって人も多いかもしれません。<br />私個人はカレンダーごときにお金を投じたくはない気分です。去年はつい買ってしまいましたが、<a href="http://zup.seesaa.net/article/113737825.html">曜日</a>の配列が見にくくて後悔しました。<br /><br />私好みのカレンダーは、絵や写真がないシンプルな構成、数字が大きくて遠くからでも見える、大判で厚手の紙、などです。<br />紙質にこだわるのは、型紙作成に再利用するからです。だから両面印刷はペケ。<br />しかし昔に比べると、ペラペラで薄手の紙ばかりになりつつあります。薄くて大きな紙なら封筒に作り変えて、型紙整理に使ったり。<br /><br />ところで、ボロッとなったふきんを取り替えようとキッチンの抽斗をあさったら、出てきたのは1977年のカレンダークロス。ここに住んで十余年、どうしてこんなものが我が家に？<br /><br /><img src="http://abc-abc.net/blog/calendar.jpg" border="0" vspace="4" align="" vspace="4" alt="77年カレンダー" /><br /><br />麻布に印刷されたもので、大きさから推測するに、いわゆるテーブルセンターとして作られたものではないでしょうか。壁飾りにもなりますね。<br />洗濯して色あせていますが、生地はしゃっきり。<br /><br />これがたまたま2011年と同じ曜日なのです。<br />30年も経てば祭日なんか激変しちゃってますが、祭日の記載がないので、問題なく使えそうです。<br />次に同じ曜日が巡ってくるのは2022年？　それまで生きている自信はないなあ。<br /><br />このクロスを提供したMelody Houseというレコードショップはとっくにつぶれたはずです。でもその名は我が家の抽斗の中で生き続けることでしょう。<br />なにぶん花柄の変なデザインだし、字も小さすぎて好みに合わないから、たたんで抽斗に戻しました（使わないならさっさと捨てろ）。<br /><br />Amazonでは本もカレンダーも<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html?ie=UTF8&location=http%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fgp%2Ffeature.html%3FdocId%3D1000271196&tag=nunobook-22&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">無料配送キャンペーン</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=nunobook-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" />実施中です。<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/search?ie=UTF8&keywords=%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC&tag=nunobook-22&index=books&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211"><span style="font-size:large;">カレンダー検索</span></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=nunobook-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" /><br /><br />&nbsp;<a name="more"></a>

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<title>やっぱり無能な検索エンジン</title>
<description>以前「ネットで検索する際に、用例を見ただけで検索をやめてしまったり、検索しても該当ページに行かないことがある」と述べました。検索結果の上位に表示されるページを見れば、その検索語について正確で詳しい情報が得られると、誰しも期待するものですよね。その期待はしばしば裏切られます。真剣に探す人は40、50番目、ときには100以上、しらみつぶしに見ていくかもしれませんが、はたしてどの程度満足できるでしょうか。それはそうと、年が行きますと、体の不調は、あちこちいっぺんに来るものなんですね..</description>
<dc:subject>ちょっとSEO</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-04-30T22:05:32+09:00</dc:date>
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以前「ネットで検索する際に、用例を見ただけで検索をやめてしまったり、検索しても該当ページに行かないことがある」と述べました。<br /><br />検索結果の上位に表示されるページを見れば、その検索語について正確で詳しい情報が得られると、誰しも期待するものですよね。<br /><br />その期待はしばしば裏切られます。<br />真剣に探す人は40、50番目、ときには100以上、しらみつぶしに見ていくかもしれませんが、はたしてどの程度満足できるでしょうか。<br /><br />それはそうと、年が行きますと、体の不調は、あちこちいっぺんに来るものなんですねえ。<br />私もこのところ非常に具合が悪くて、もう死にそうなんですぅ。<br />とはオーバーな。もともとヒポコンデリー傾向で、必要以上に気にするタイプなのです。<br /><br />しかしま、世の中には「病気のデパート」みたいな人、たくさんいますよね。昨今のデパートは品揃えが貧弱だから、誇張表現ではなくなりました。<br />無病息災ならぬ一病息災でもなく多病息災の時代なのです。いろいろと具合悪くて、すべったのころんだのとぼやくけど、結局医者にかかることは少なく、普通に暮らしていたりして。<br />病院へ行くにしても、ネットで調べてから・・・とかなっちゃいます。調べたらなんとなく安心して、あとはうやむや。<br /><br />私も「<a href="http://zzz.abc-abc.net/article/35280637.html">お尻が痛い</a>」を初めとして、いろんな病気や症状を検索しました。<br />もし私のパソコンから検索履歴が流出したら、心身の状況がもろ見えで、嘲笑の的となりかねん。念のため消去しておこう。<br />そんな恥ずかしい症状ばっかり抱え込んでいるのか？　うーーん、やっぱり、ちょっと・・・。<br /><br />それにしても健康情報に関するページは多いですねえ。広大な需要があるのです。<br />当ブログでも、アクセスが多い記事は美容と健康カテゴリに偏っています。<br /><br />むろん皆さん、ご存知なのです、「健康関連は需要が大きい」＝「儲かる」と。<br />健康と病気に関するページが氾濫するのは、たぶんそうした理由からです。<br /><br />しかしですよ、医師でも学者でもない普通の人々に、病気や健康に関する正確な知識がどれほどあるのでしょうか。<br />問題はそこです。<br /><br />私のように自分自身の体験談を書いていれば、客観的な知識はさほど必要とされません。<br />が、病気のデパートさんであっても、体験談のみではネタが尽きます。一ブログを構築するには足りないのです。<br /><br />ひとつの病名を検索してみると、全く同じフレーズ（説明文）を含むページがたくさん出てきます。<br />最近のウェブページはブログが相当量を占めるようになりました。ブログはその構成上、内容のダブりがはなはだしいからやむを得ない面もあります。<br />しかし、全くかかわりがないように見える複数ページが同じ文面を載せているみたいなのです。中にはミラーサイトもありましょうが、多くはどうやらパクリに過ぎないようです。<br /><br />いちおう権威ある（ありそうな）ページから「○○病の症状はこれこれ、原因はこれこれ」うんぬんをコピペして、まわりに広告いっぱい配置して１記事出来上がりというしだいです。コピペもあんまりたくさん取ってくるとヤバいと思うのか、数行におさめています。<br /><br />こんなページに行き当たったら、腹立ちますよね。怒りのあまり心臓発作や脳卒中を起こすかもしれないから、極力個別ページには行かないようにしています。<br /><br />実は私もパクられたことがありまして、相手は単なる引用だとのスタンスなのか、トラックバックまで寄越してきたのですよ。盗人猛々しいとはこのことです。思い出しても血圧が上がる～。いーの、普段は低血圧気味だから。<br /><br />「内容が充実していないページの広告はクリックされやすい」が私の持論です（我がページのクリック率が低いこともそれを裏付けているんですー、わはは　-_-;）。彼ら盗作者のページにある広告は、きっとばんばんクリックされていることでしょう。<br />そういうページを上位表示させる検索エンジンも共犯者じゃないですか。当然ですね。広告配信元も兼ねているんだから。<a name="more"></a>

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<title>躍るブーマー</title>
<description>ひところ流行した「スプーン曲げ」、あれはいったいなんだったんでしょうね。始めは「超能力」だなんて言われていたみたいだけど、なんで「スプーン」なのかって疑問に思いませんでしたか。せっかく超能力らしくするなら、もっとありがたみを感じさせるものを選びなさいって。全国で相当多数の人が曲げちゃって、つまりは誰でもできることらしいけど、私はそんなもったいないこと試す気にもなれませんでした。小さなスプーンをうっかりゴミといっしょに捨ててしまって悔やむほどのしまり屋ですもん。だいぶ経って、ぶ..</description>
<dc:subject>レトロ</dc:subject>
<dc:creator>ルノ</dc:creator>
<dc:date>2010-04-15T22:28:39+09:00</dc:date>
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ひところ流行した「スプーン曲げ」、あれはいったいなんだったんでしょうね。<br />始めは「超能力」だなんて言われていたみたいだけど、なんで「スプーン」なのかって疑問に思いませんでしたか。せっかく超能力らしくするなら、もっとありがたみを感じさせるものを選びなさいって。<br /><br />全国で相当多数の人が曲げちゃって、つまりは誰でもできることらしいけど、私はそんなもったいないこと試す気にもなれませんでした。小さなスプーンをうっかりゴミといっしょに捨ててしまって悔やむほどのしまり屋ですもん。<br /><br />だいぶ経って、ぶあつい電話帳を素手で裂くなんて話も聞きました（流行らなかったけど・・・スプーンと違って、一家に２冊くらいしかないから？）。これもコツさえつかめば非力な人でも簡単にできるとか。紙は縦に裂けやすいものですし。<br />今では電話帳も薄っぺらになって、裂いてもインパクトなし。そもそも電話帳自体、あまり見かけません。<br /><br />もっと昔に流行ったらしいヘンなものに、「綿吹き病」があります。<br />怪我をした人の傷口から綿（脱脂綿）のようなものが次々と湧き出るという奇病。流行ったといっても、別に伝染病ではなく、全国で特に接触もない老若男女の間に散発的（？）に発生していたようです。<br /><br />あまりに不思議な現象なので、高名な学者が調査を始めまして、その吹き出る綿らしきものを分析したら本物の植物性綿であったことや、患者の傷口を封印して本人に触らせないようにしたところ、綿の出が止まった・・・などの事実から、「詐病」であると結論づけています。<br /><br />つまるところ、周囲を騒がせたい、注目を浴びたい、みたいな単純心理から、自分で綿をくっつけていただけの話。<br />なんの得になるのかわからないところが奇妙で、スプーン曲げから連鎖的に思い出してしまいました。<br /><br />傷口の殺菌消毒を神経質に行う習慣もなかった時代です。包帯をはがしたら傷口に脱脂綿の切れ端がくっついているのを見て、これが増殖したら面白いな、なんて、コドモならなんとなく考えそうなことかも。<br /><br />綿吹き病の話は、若いころ買って読んだわりと高価な法医学書に載っていました。索条痕の付き方や死後硬直の経過などと同列に、綿吹き病を大真面目に研究するなんて、のんきな時代、というか、ずいぶんヒマな学者もいたもんです。<br /><br />現代はテレビやインターネットなどの情報網が発達して、何か面白そうなことがあると、ぱっと広まってあっという間に消えてしまいます。<br />綿吹き病のころはラジオくらいしかなくて、何事もスローに運んでいたので、じわじわと浸透して長く話題になる、一種の娯楽みたいなものだったのでしょうか。<br /><br />連鎖がちょっと飛びますが、フィリピンなどで行われていた、メスを使わない心霊手術とかいうの、行って手術を受けた日本人もけっこういると聞きました。<br />これは全くの詐欺だから、まじめに取り上げたテレビ番組は罪深いと思うけど、「病は気から」で、ちゃんと治る人もいたのです。新興宗教と同じです（頼りすぎて本来の治療がおろそかになり、手遅れの人が出る点も）。<br /><br />へんてこな流行りものに毒されないためには、情報を厳選する姿勢と能力が必要です。<br />しかし、自分の考えと意志をしっかり持っているつもりの人でも、実はそうではないということを、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794215592?ie=UTF8&tag=abcabcnet-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4794215592">脳は意外とおバカである</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=abcabcnet-22&l=as2&o=9&a=4794215592" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』を読んで、つくづく感じたのでありました。<br />いやあ、私の脳は「意外と」どころではなく、「やっぱり」のようだけど。<a name="more"></a>

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